2012年1月26日木曜日

いい加減、本格的に着手します、シベリウス…

こんにちは。千葉です。

先ほどTwitterで知ったのですが、フィンランドのマエストロ、パーヴォ・ベルグルンドが亡くなられたそうです。1929年の生まれということですから80歳超えの逝去、大往生なるかと存じます。お疲れ様でした、そして数々の録音をありがとうございます。合掌。


と、御礼だけ申し上げてこの文を終われればどれだけ気が楽か。この数年、シベリウスの交響曲について自分なりのまとめをする、と言ったのはいいけれどなかなか作品との距離が縮まらず、書きあぐねたままに何年かが過ぎてしまっておりました。その点、いささか少なからぬ負い目のようなものを感じてしまっています。特に頼まれたりしたわけじゃないですし、マエストロは自身をシベリウスのスペシャリストだと考えていらっしゃらなかったようですから、これは千葉のかってな思い込み、なのですけれど…

さすがに数年にわたって断続的に聴いているうち、そしてその中で何冊かの本にあたったりする中でようやくそろそろ行けそうかな、と思い始めたところでの訃報ですので、こうして書いている今もなんとも申し訳ないような変な感覚に囚われています…

そろそろ行けそうに思えていた、というのは、もちろん曲についてのイメージが掴めてきたように思えることが大きいのですが、加えてちょうどこの盤が復刻されたこと、もあるんです。好機到来、かなと。

Paavo Berglund/シベリウス: 交響曲全集 [WQCC-270]


この盤を店頭でも見かけるようになって。「そろそろ書けよ」と背中を押されたようにも思っていましたから、今が時、なのでしょう。これ以上の先送りはいたしません、今年は命さえあれば(割と冗談ではなく…)何があってもシベリウスの交響曲についての自分なりの見取りを書くことにいたします。もちろん、パーヴォ・ベルグルンドの録音も織りまぜつつ。

以上本日はこれにて。ではまた。

2012年1月21日土曜日

敷居なんて越えたきゃ越えますよ?


こんにちは。千葉です。

あのう、今朝起きて、ぼんやりとツイッターのタイムラインを眺めていたらこんなニュースに気づきまして。目が覚めるのなんの。


◆3月で終了の長寿番組「N響アワー」の次は、石田衣良が登場!

いやなんか紹介文はポジティヴに書いてるけど、誰が石田衣良さんに(敬称つき)登場してくれって頼んだのよ、クラシック番組に。確かに、彼の人気シリーズ作品でクラシックをちょっとした味付けで使っていたり、某音楽祭で何かの役を担っていたことは千葉でも知ってますよ、ええ。この話がそうね、硬派のN響アワーと並び立つ、軟派のクラシック新番組ノお知らせ、とかだったら自分は見ないけどあってもいいんじゃない、くらいに思えたでしょうね。でもねえ、放送局の名前を冠したオーケストラの地上波での定期番組を廃してしまって、その上で始めるのが、これですか?NHKさま、本当にちゃんと考えた編成ですか、これ?

そもそものところ、N響アワーについてはこれまでブログで言及したこともないような気がするし、Twitterでもツッコミ専門で見ていました、「そこでカットかよ!」的な。そう、この番組は演奏をそのまま流すのではおわかりにならないでしょう?という配慮からかスタジオトークと必要に応じてカットされた演奏によって構成されていました。正直に申し上げて、カットされた演奏を聞いて何を受け取ればいいのか千葉にはわかりませんが(吹奏楽とかの問題はまた別です、機会があればそのへんも)、それでも定期的にオーケストラの演奏がテレビさえあれば誰にでも見られる媒体で放送されている、そのことには大きい意味があったと思います。作曲家が、時代が、演奏家がどうこうと周辺的なことを言ってみても実際の演奏とは別物でしかないのだから。どんなに苦労して作曲された作品でも歴史の闇に消えてしまうこともある、演奏家がどんな人だから演奏がこうなる、なんて連関は特段存在しない(はず)、演奏家の人となりなどなど、そんなことを知らなくても音楽は聴ける。聴いてどう感じるのか、何を考えるのか、何を読み取るのか。そんなシンプルな対峙の仕方で十分なんですよ、他のもろもろの事ごとと同様に。もちろん、作品や演奏のあり方にはそれ相応の文脈が伴っているから、そういうものを知っていたほうがより多くを受け取れるかもはしれないけれど。

翻って、なんですか後番組。
「軽妙なトークを交えながらクラシックの魅力を伝える」って、あのう、演奏を聴いてからの話じゃないの、そういうの。
「毎回、演奏家や作曲家、音楽の生まれた“町”などにスポットをあて、クラシックの意外なおもしろさを紹介」えっと、そういうのはむしろ少し知ってからの話ですよね。いきなりライプツィヒではバッハがどうこう、ザルツブルクにはモーツァルトはあまりいい思い出がなくてどうのこうの、20世紀初頭までは中央ヨーロッパが文化的中心地と言えるものだったので、とかなんとか、別段好きな音楽もなくて聴かされてもピンと来ないでしょう?誰に向けた企画ですかこれ。
「鑑賞するのはオペラ、バレエ、オーケストラ、ピアノ、吹奏楽、合唱などのクラシックのさまざまなジャンル。「クラシックを聞いてみたいけど、何から始めたらいいの?」という人も、気軽に楽しめる内容となっている。」えっと、こういう全部入りで上手く行った話、聴いた覚えがないのだけれど…毎週一時間しかない中で総花的な話題をする時間がどれくらい取れますか?けっきょくはつまみ食いみたいなかたちになってしまって、誰も「気軽に楽しめ」ない、ってオチはもう見たくないのだけれど…(それで失敗したら「まだ敷居が高かったようで」なんてさらに薄められるんでしょう?恐ろしい…)
「また、いま旬の注目アーティストがゲストとしてスタジオに登場し、トークとともにとっておきの一曲を披露する。」すみません、そういう番組、もうありますよね、「スタジオパークからこんにちは」って奴が。ドラマの番宣にならないからクラシックの人は出してはいただけない?そうですかそうですか…

あえて紹介文に粘着的に絡んでみましたけれど、どうなんでしょう、これらが全て「愚かな千葉の難癖だったね、すみませんでした」って手の平を返すことになるような素敵な番組が始まるのかしら?
そう期待できるならいいのだけれど、千葉はかつてプロレスが好きだった少年期に新日本プロレス中継の無残な展開を見せられ、近年はカットされすぎて最期まで見てもレース展開が理解出来ないF1中継につきあわせられ(今年からBSとCSのみで放送なんですって。生放送になるのなら大歓迎ですよ、ほんと…)、バレーボールは退屈な応援合戦になりフィギュアスケートはアナウンサのポエム大会になり…とテレビとのつきあいで好きなモノが変質していく、悲しすぎる展開を何度も見てきましたから、今回もまったくポジティヴな期待が湧きません。というか、正直に申し上げて見なくてもいいかな、としか思えないでいます。

BSではコンサート全曲を放送していますよ!とは言うけれど、深夜帯に早朝にと初めから録画するつもりの人しか見ませんよそんなもの。っていうか、録画機器前提の放送って、ただのアリバイではないのですか?日中にあまり興味のないメジャーリーグベースボールとかNBAとか、あんなに放送されても困るのだけれど…おっと話がそれました(誤解なきよう、千葉は野球は好きですよ。大味なMLBにあまり興味がないだけです)。話を戻して。

どうも、日本のテレビは(と大風呂敷を広げましょう)、眼の前で行われているものの面白さ、素晴らしさをそのままにお茶の間に伝えよう、とは思っていないんだな、と今回のニュースで痛感しました。何かトークバラエティがお好きなんですね、きっと。はぁ。
演奏のカットもあれば、スタジオにいる人の感想でしかないものも流されていたN響アワーだけれど、池辺晋一郎先生や西村朗先生など見識ある人々がやっていればこそ許されたところ、多かったと思うのです。が、今度はクラシックを聞く人(愛好家、ですよね)とクロスオーバー寄りの作曲家によって、紹介したいものはなんなんですか?そもそもららら、ってなんだよ…

と、自分でも意外なほど落胆させられるニュースのお話でした。芸術劇場が残っていれば、こうは思わなかったところなのですが…(千葉はそんなにNHK交響楽団をいいオーケストラだと思っていませんので、「N響アワー」と今はなき「芸術劇場」とから二択でひとつを選べと言われたら迷わず後者を取ります)

以上、ガッカリしたまま今日のところはおしまいです。ではまた。

追記。
書くかどうか迷ったけれど、今日のような演奏を見せられては書いておかなければなりますまい。個人的には、NHK交響楽団にはあまり好感を持っていません。上手な方々が集まっているのでしょうけれど、どうにもその演奏からお仕事感を感じてしまいまして。あと、ときに平気で見せる「悪いのは指揮者だな」みたいな演奏も、ちょっと…
今日放送された演奏では、かつての名盤の記憶があっても補正できるようなものではない混乱と緩み、余裕のなさが明らかでした。めったに演奏しない作品だから、などと聴きてが配慮するのはおかしいと思うので率直に言いますが、かなり不出来な演奏だったのではないかと。仮にマエストロの衰えがあろうとも、貴方たちが貴方たちのポディウムに招いた指揮者でしょう、心中するくらいの覚悟を見せてほしいものだわ。それは前任者の時も同様でした。変わっていませんね、このオーケストラは…

2012年1月18日水曜日

頼れる先生のようでした

こんにちは。千葉です。

今日はグスタフ・レオンハルトの訃報に触れて思うところを少しだけ。

その昔、吹奏楽の人だったからバロックも古典派も、初期ロマン派もどちらかと言うと苦手だったのだけれど、ある時期に突然目覚めたのです、いわゆる古楽演奏によるバッハで。そのきっかけがレオンハルトの演奏だった、というと座りがいいのだけれど、実際にはトレヴァー・ピノック&イングリッシュ・コンサートのブランデンブルク協奏曲と管弦楽組曲でした。今はこんな感じで安くなってるんですね…




音楽の、それもポリフォニックなものの聴き方が一度にわかったように思えた、あの感覚がなければ今の自分はない。そう思えるほどの変化がそこにはありました。作曲された同時代のアプローチを参照する、という方法論にも共感できるところがありましたから、その後は「フランス革命前」の音楽はできるだけ同時代のアプローチを研究、意識している演奏家のものを聴くようになりました。このへんの話、拡げると止まらないので今日はここまで。

自分なりにバロック周辺の音楽を聴くようになったときに、多様多彩なレパートリーとその演奏に対する評価の高さで認識されたのが、クイケンファミリーであり、アーノンクールであり、そしてグスタフ・レオンハルトでした。知らない曲を聞いてみるのなら、まずは彼らの盤にしておけば大丈夫だろう、そんな信頼を持って数多くの作品を教えていただきました。趣味の楽器がテューバである自分がバッハその他の作品を彼らのアプローチを参考に演奏するわけでもないけれど、心持ちとしては「私淑」していたように思います。

ではレファレンス的な、教科書的な演奏ばかりだと思っているかといえばもちろんそうではなく。レパートリーを拡げていく中で勉強にと読んだ本で、これ以外ないと言わんばかりの推薦を受けていたのがこちら。




ラ・プティット・バンド他、充実したメンバーを率いて録音されたマタイ受難曲です。このような真摯な音楽あればこそ、異教徒とさえ言い難い自分でもキリスト教に対する共感を、僅かなりとも持てるようになった、とさえ言えるかもしれません。
齢80を超えての逝去ですから、大往生ではないかと思います。個人的には実演を聴く機会を作らなかったことへのいささかの後悔はあるけれど、これまでに遺していただいた多くの録音などで今後もお世話になり続けることだろう、と感じていますので、これからもなおお世話になるような、どこかリアリティの薄い感じ取りをしています。お疲れ様でした、おやすみなさい、マエストロ。そんな言葉しか出てこない、昨日の今日でありました。

ではまた。


なお、昔読んだ本はこれです。とても勉強になりました。



2012年1月6日金曜日

クレーメルのバッハ無伴奏作品集を聴いた


ギドン・クレーメルによるJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン作品集、いわゆるソナタとパルティータ全曲二枚組を聴いた。録音データは以下の通り。

2001年9月25-29日、ロッケンハウス、聖ニコラウス教区教会(パルティータ)
2002年3月10-15日、リガ、レコーディング・スタジオ(ソナタ)




クレーメルはもちろん、いわゆるモダン楽器を用いるヴァイオリニストなのだけれど、どちらかというと美音で名をなした人ではない。などという消極的な言い回しよりも、作品に対する独自のアプローチ、それを支え切るだけの技量により実現される刺激的な演奏、今まさに作られたばかりの作品にまで及ぶ広範なレパートリーによって評価されてきた人だ、と言いきってしまうほうがいいと思う。実際、この盤でもいわゆる美音で聴き手を陶酔させるような演奏ではなく、思わぬ方向から聴き手の認識を刺激して、作品自体のもつ、それまでの先入観とは別の可能性に気づかせてくれるようなところが実に多い。さすが、としか言いようがない。
おそらくは熟慮と経験により導かれたのだろう短く区切られたフレーズ、音楽の呼吸に時に乗り時に逆らう自在な緩急とそれを実現するテクニック、実に多弁で刺激的な一丁のヴァイオリンから示される音楽世界に(雄弁よりは饒舌に近い、と個人的には思う)、心から拍手。

フレージングや音色、緩急で作品に内在する可能性を音にしていく、というアプローチで演奏されるバッハに、いわゆる古楽奏法、同時代アプローチに近い感触を受けた、と評してみてもいいだろう。しかしクレーメルはいわゆる装飾は行わないし、音の扱いにしてもイネガルなどの処理は行わない、なのでレガート重視ではないというポイントだけでピリオド奏法への接近がどうの、とか言ったりしないほうがいいと思う。もちろん、クレーメルがそういったアプローチを無視しているとは思わないのだけれど、彼自身が以前から行なってきた、彼独自のアプローチが意外にも古楽奏法に近似していた、という「恩讐の彼方に」的な展開のほうが面白いと思うので(笑)。

なお、陶酔と覚醒の対立項は、演奏を評するときにこれからも使っていくことが多いだろうと思われます。個人的な嗜好としては、陶酔よりは覚醒を求める事が多いので、いわゆるうっとりさせてくれる、またはその美音で圧倒するようなタイプの演奏についてはそっけないコメントになるような傾向がある、と自覚しております(笑)。

ということで、以上簡単なレヴューでした。こちらの別館では、あまりつっこまない短めのレヴューをぽんぽん放りこんでいこうかと考えています。内容は聴きました、というメモ代わりなので、後で聴きなおして反省文を挙げることも、きっとあるかと思いますがそのあたりはご笑覧くださいませ。そもそも音楽を聴いた感想、誰でもが妥当しうるものにはなりませんしね!(と逃げを打っておこう)

ではまた。


なお。上の商品リンクはAmazonですが、個人的には実店舗をまだ展開してくれているタワーレコードさんを応援したい気持ちもありますので、下にそちらへのリンクも貼るようにします。身過ぎ世過ぎの事情ともどもの判断です、少々うるさい画面にはなりますがご容赦くださいませ。


Gidon Kremer/J.S.Bach: Sonatas And Partitas For Violin Solo BWV.1001-1006 [4767291]