2012年1月6日金曜日

クレーメルのバッハ無伴奏作品集を聴いた


ギドン・クレーメルによるJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン作品集、いわゆるソナタとパルティータ全曲二枚組を聴いた。録音データは以下の通り。

2001年9月25-29日、ロッケンハウス、聖ニコラウス教区教会(パルティータ)
2002年3月10-15日、リガ、レコーディング・スタジオ(ソナタ)




クレーメルはもちろん、いわゆるモダン楽器を用いるヴァイオリニストなのだけれど、どちらかというと美音で名をなした人ではない。などという消極的な言い回しよりも、作品に対する独自のアプローチ、それを支え切るだけの技量により実現される刺激的な演奏、今まさに作られたばかりの作品にまで及ぶ広範なレパートリーによって評価されてきた人だ、と言いきってしまうほうがいいと思う。実際、この盤でもいわゆる美音で聴き手を陶酔させるような演奏ではなく、思わぬ方向から聴き手の認識を刺激して、作品自体のもつ、それまでの先入観とは別の可能性に気づかせてくれるようなところが実に多い。さすが、としか言いようがない。
おそらくは熟慮と経験により導かれたのだろう短く区切られたフレーズ、音楽の呼吸に時に乗り時に逆らう自在な緩急とそれを実現するテクニック、実に多弁で刺激的な一丁のヴァイオリンから示される音楽世界に(雄弁よりは饒舌に近い、と個人的には思う)、心から拍手。

フレージングや音色、緩急で作品に内在する可能性を音にしていく、というアプローチで演奏されるバッハに、いわゆる古楽奏法、同時代アプローチに近い感触を受けた、と評してみてもいいだろう。しかしクレーメルはいわゆる装飾は行わないし、音の扱いにしてもイネガルなどの処理は行わない、なのでレガート重視ではないというポイントだけでピリオド奏法への接近がどうの、とか言ったりしないほうがいいと思う。もちろん、クレーメルがそういったアプローチを無視しているとは思わないのだけれど、彼自身が以前から行なってきた、彼独自のアプローチが意外にも古楽奏法に近似していた、という「恩讐の彼方に」的な展開のほうが面白いと思うので(笑)。

なお、陶酔と覚醒の対立項は、演奏を評するときにこれからも使っていくことが多いだろうと思われます。個人的な嗜好としては、陶酔よりは覚醒を求める事が多いので、いわゆるうっとりさせてくれる、またはその美音で圧倒するようなタイプの演奏についてはそっけないコメントになるような傾向がある、と自覚しております(笑)。

ということで、以上簡単なレヴューでした。こちらの別館では、あまりつっこまない短めのレヴューをぽんぽん放りこんでいこうかと考えています。内容は聴きました、というメモ代わりなので、後で聴きなおして反省文を挙げることも、きっとあるかと思いますがそのあたりはご笑覧くださいませ。そもそも音楽を聴いた感想、誰でもが妥当しうるものにはなりませんしね!(と逃げを打っておこう)

ではまた。


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Gidon Kremer/J.S.Bach: Sonatas And Partitas For Violin Solo BWV.1001-1006 [4767291]



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