2012年3月6日火曜日

今日は誕生日、そして明日は命日!(…)


こんにちは。千葉です。

今日は大好きな旧ソヴィエト、そして亡命前後からヨーロッパ各国で活躍したマエストロ、キリル・コンドラシンのお誕生日が今日である、とTwitterで知らされてまず確認にWikipediaに行ってみました。
なるほど、1914年3月6日の生まれでいらっしゃる。で、えっと。1981年3月7日が命日。……二日連続で記念日とは何というコンドラシン濃度の高い日でございましょう、それじゃあ仕方がない、千葉がかってに大恩を感じているマエストロの話をしましょう、そして遺された録音を聴きましょうそうしましょう(いそいそ)。

どの様に恩を感じているかは話せば長いことながら、煎じ詰めれば「旧ソヴィエト音楽への先入観を壊していただいた」ことに集約できます。劣悪なマスタリングで損なわれていたメロディア録音のショスタコーヴィチ、それをさらに残念なものにしてしまっていたBMG盤や、ソヴィエト崩壊直後の「出稼ぎ」としか評しようのないいくつかのオーケストラ来日公演によって、そしていわゆる「爆演」なる言葉で特殊なものとしてもてはやされる独特な受容の在り方、それらがあまり意識的ではなかったけれど旧ソヴィエト、その後のロシアの音楽家への偏見を形作っていました。
ですが、きまぐれで図書館から借りた国内盤K2リマスタリングの文字が踊るショスタコーヴィチ、忘れもしない交響曲第一二番&一五番の録音の鮮明鮮烈なこと、そしてその音で聴く、一般に失敗作とされることも多い第一二番の圧倒的な説得力たるや!
あとになって知るのですが、日本はいわゆるビクター(変遷が複雑で追い切れません)が良質のマスターを入手して、世界的にもいい音質でメロディア録音を楽しめていたとか。なるほど、リヒテルといいムラヴィンスキーといい、ちゃんと来日してくれた演奏家の人気が高いわけだ(この辺、ちょっと思うところがあるのだけれど別の話ゆえまたいずれ)。

実際にはその前にコンセルトヘボウ管との録音でコンドラシンの演奏を聴いてはいたけれど(「シェエラザード」!名盤です!)、西側のオーケストラとの仕事ではどこまでが指揮者の個性でどこからがオーケストラの持ち味なのか、どうにも判別しがたくて評価保留になっていたんです。コンセルトヘボウ管がまた、どんなに煽られても過剰な表出には向かわない引き締まったサウンドが持ち味でしたから(今は、そうでもない。と言わざるを得ないのは、一般的な人気を考えればまあ仕方がないことなんでしょうね)、厳しいと言ってもいいほど端正に磨き上げられた音楽からは「この演奏が素晴らしいね!」ということしか伝わらない、という(笑)。
ですが、この自ら鍛え上げたモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団との録音からはもう、その何処をとってもコンドラシンの音楽と見るしかないでしょう、その力強さたるや!(二回目)

そこからはソヴィエト時代、亡命後を気にせず録音を買い求めましたよ、とはいえその真価に気づくのがいささか遅すぎて、今はなきPhilipsレーベルでリリースされたコンセルトヘボウ管との放送録音のシリーズはほとんど入手できなかったわけですが…

ということでマエストロの演奏、まず聴いてみようか、と思われましたらこれです。入門ということでならこれ以外ありません。



ですが今日千葉が聴いたのはこちら、最近リリースされた放送録音、バーデンバーデン&フライブルクSWR交響楽団とのマーラーの交響曲第六番、です。



コンドラシンは第二番、第八番を除いたマーラーの交響曲を録音していますが*、残念ながらショスタコーヴィチの全集とは違ってオーケストラはモスクワ・フィルだけではありません。モスクワ放送響と思われる団体(第五番)、そして現在のサンクトペテルブルク、というよりかつてのレンフィル、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団(第六、第七番)に、モスクワ・フィルとの録音を合わせた選集が数年前に再発されましたね。本当はその前に国内でリリースされたものが欲しかったけど…(以下マニアさんの繰り言につき自粛)客演の演奏と自らのオーケストラとの録音、どうしても違いますからね…

*大地の歌、かつては「交響曲だよだってそう書いてあるじゃん」派だったのですが、今は前島良雄さんの著作で指摘されている通りの「交響曲とみなすこともできるだろう連作歌曲だね」派に転向しました。裏切り者と笑わば笑え、であります。
そもそも、あの「第九の迷信」説には首を傾げていましたので、自分の中では大きい変更ではない、つもりなのですが。

そこで、というわけではないけれど、この録音の登場はありがたいものでした。いわゆる手兵ではないけれど、早すぎる晩年のマエストロが受け入れられていたドイツ語圏のオーケストラを指揮したマーラー、コンセルトヘボウ管との録音が少ないことを併せて考えれば貴重なのです。バイエルン放送響のポストを得て、新たなる時代を始めるところ、だったのですが…

1981年1月の複数の演奏会によると思われるこの録音、さすがに放送局のマスターからのリリースですから音がいい。
それに加えて、一般的にはそれ程でもないかもしれないのだけれど、なかなかの美音が素敵なんですよ、というのはモスクワ・フィルやレニングラード・フィルと比べるから、かな?(笑)ロシアのオーケストラにしかない、原色のにぎやかさはそれで素敵なのだけれど、いささか「マーラー的」ではなかったか、などと思わされたりいたしますです。
そしてコンドラシンとオーケストラが作り出す音楽の強いこと、強いこと。「悲劇的」なんて愛称(好意的にそう受け取ることにしています)、そして「自伝的」「予言的」なる流布された風説とは関係のない、力感あふれる展開、そして圧倒的なカタルシスをもたらすドラマがここでは展開されています。ニーチェが言うところの、ギリシャ的根源まで踏まえて悲劇的、というならまだ理解できなくもない、かな(嫌味っぽいな)。どの演奏でもいい、マーラーの中でも最も振幅の大きいドラマが描かれる楽章の一つであるこの交響曲の終楽章を聴いて、なおもノイローゼがどうとか死に怯えた作曲家とか言ってしまう人、この演奏を聴いて少し落ち着いてくださいな。
いや、この苛烈な演奏を聴いて落ち着くのは無理がありますか(笑)

ソレルチンスキーにマーラーの方へと導かれたショスタコーヴィチ作品に大きな貢献をしたマエストロの、日本ではいささか軽んじられている感が否めないマーラー録音。千葉もはじめは敬遠したクチなので偉そうなことは申しませんけれど、せっかくなのでその最高のもののひとつであろうこの録音から聴いてみては如何でしょう?神経質だの線が細いだの、イメージがイメージを再生産するお決まりの言説ループから聴き方を解き放てる、かもしれませんよ?

なお。明日はきっとマエストロのショスタコーヴィチ作品を聴くと思います。第四番、第十三番でしょうね、うんうん。

そんなわけで本日はここまで、ごきげんよう。


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