2012年4月26日木曜日

できれば、ライヴか映像でお願いしたい、かも(笑)


こんにちは。千葉です。

これからは音楽の、特にクラシック音楽関係の本についての感想はこっちに書きます。その方がまあ、資料的なものとかあとで探しやすいもので、かってながらそのようにいたします、ご了承のほど。

ということで読み終わった本です。




先日東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の音楽監督に就任披露公演を無事成功させた宮本文昭さんの、ひと癖ある名曲紹介です。モーツァルト、ベートーヴェンからマーラーにリムスキー=コルサコフと基本的に19世紀もの中心に選曲されています。ある曲は既に指揮したもの、ある曲はこれからの目標のように考えているもの、などなど。

まあそこまでなら類書も多くございましょう、しかし本書が独特なのは選曲ではなくその文体、というか、語り口です。これがですね、説明や解説というよりはほとんど語りそのもの、目の前で宮本さんがお話しされているような、そういう文体なんです。筒井康隆や山下洋輔的な饒舌ではなく、一人の音楽家が本当に好きな作品の魅力を伝えようとしてこれでもかと言葉を繰り出してくるような感じ、というと伝わりますかしら。ええ、本人も自覚されているようなんですが、ちょっとくどいほどに熱心に語ってくださいます(笑)。
曲ごとに趣向を変えつつ音楽の魅力を伝えよう、伝わるように話そうとされているのがよくわかる、ある意味で非常に熱い語りになっております。これ、映像で収録して名曲探偵アマデウスの後継番組とか某番組の代わりとかに使った方が、いいと思うんだけどなあ。そうだクラシカ・ジャパンとかどうですか、東京シティフィルと組んでレクチャー・コンサートのシリーズを立ち上げれば現代日本版ヤング・ピープルズ・コンサートが作れちゃいますよ?(笑)

先ほど書いた通り、指揮者としての宮本文昭さんはまだこれらの作品を演奏していなかったりします。例えばマーラーの交響曲第九番、またブルックナーの交響曲第八番を、それぞれに「なるほど」と思わせてくれる理由で。そう、指揮者としては失礼ながら駆け出しとも言えてしまう宮本文昭さんは「ひと通りのレパートリーは抑えましたキリッ」みたいなことは、残念ながらありません。解説も本業ではないし学問的見地で新説を紹介してどうこう、ということもない。では本書に説得力がないかと言えばさにあらず。なにせ宮本文昭にはドイツを中心に活躍したかつての名オーボイストの顔もあるわけで。それも、まだまだ演奏家として活躍できるだけの力があるのに、音楽家として充実した時期に自ら指揮者への転業を望んで引退したほどの。オーボエ奏者としての長年の多彩な活動に裏打ちされた語りは、失礼ながらちょっと俗説よりな部分を感じさせてしまう「大型新人」指揮者としての語りとは比べようもないほどの説得力です。特にもマーラーの交響曲において、如何に無意識・無前提にウィンナ・オーボエが想定されているか=フレンチ・スタイルでは如何に演奏が大変か(笑)というくだり、大いに納得です。ちょっとそれを意識して録音を聴き比べようかと思いますもの、例えばそう、ラトルによるウィーン・フィルとのもの、ベルリン・フィルとのものとか(ウィーンと他のオケでこの曲を録音しているマエストロ、ほとんどいませんね、考えてみると)。興味のある方は該当のP.225からのところだけでもご一読あれ、千葉には大いに説得的でありました(実は他の部分は、「大地の歌にはいろいろあって九番をつけなくて~」など、ちょっと俗説が健在でいらっしゃいますので、オススメしにくくもあります。なお、ここで引用せずに曖昧な書き方をしたのはこれ以上俗説の流布に協力してやる義理を感じなかったからであり、それ以上の意味はありません)。

他にも、どこまでも宮本文昭個人のパーソナルなエピソードを語りつつその音楽を聴きたいと思わせてくれるモーツァルトの協奏交響曲 K.364の話など、なかなか読ませてくれます。

惜しむらくは、ですね。いきなり冒頭から飛ばしていらっしゃいますので(笑)、若干とっつきにくい感じがあるんですよ本書。宮本さんのテンションの高さを抑えた第一章があると、より読みやすかったかなと思ったりもいたしました。まあ、もしかするとこの初めからクライマックス、というテンションで語りが始まる構成がより本人に近いのかもげふんげふん(笑)。先日好評のなかスタートを切った東京シティフィルとの関係を測るうえで、本書で挙げられていた曲の扱いは一つのサインになる、かもですね。期待しましょう。

ということで感想はここまで。ではまた。




個人的には微妙に思えていたイージーリスニング方面の活動も自らの糧として貪欲に成長されたオーボイスト宮本文昭に拍手を、そして前途ある有望な若手指揮者(笑)の前途に期待を。

2012年4月23日月曜日

せっかく、ですので。



こんにちは。千葉です。

昨日は、某番組があることさえ忘れてNHKスペシャルでスプライトの映像に見入っておりました。この後で一度、ネタ的に触れたあとは黙殺します、あの番組は。根本的な部分で問題のあるバラエティだ、と前回を視聴して認識したとおり変わっていない風なのはTwitterで見かけた反応から察しておりますが、それであればまた見る理由もないし再度言及するまでもないでしょうし。それとは別に、テレビメディアとクラシック音楽の相性の悪さはどうしたものか、ということは考えてみたくもありますが。

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さて、話変わって。なんでも今日はセルゲイ・プロコフィエフのお誕生日だとか。こっちのブログではほとんど触れてきていませんが。千葉は結構なプロコフィエフ好きでございまして。旧館のほうで全力で取り組みました記録はリンク先をご参照ください、交響曲をゲルギエフとロストロポーヴィチのものを軸に聴いていった日々の記録であり、いちおうは作品についての説明にもなっているかと思います。

ではあるけれど。今、以前の初学者的視線で書かれたものを見返すといささか物足りない、何より自分にとって!(笑)何より、ロジデーストヴェンスキィ(ロジェストヴェンスキー)の録音を入れずに書いたもので完結したことにする、とかやっぱりありえない!と強く思いますので、セリョージャのお誕生日に告知します。新版、前の学習記録的要素を抜いてロジデーストヴェンスキィの録音他幾つかの音盤を参照して再構成します。前は根性でスピード勝負した感がありますので、少しは落ち着いて書く予定です。と、書くことによって破綻するスケジュールが、いまこの刹那に見えましたが(笑)。

Gennady Rozhdestvensky/Prokofiev: Complete Symphonies, Complete Piano Concertos, etc / Sergei Prokofiev, Gennady Rozhdestvensky, Ussr Radio & Tv Large SO, David Oistrakh, Victoria Postnikova [CDVE44252]


大ざっぱな話をします。二枚組×3で六枚組のディスクに交響曲七つ(第四番は改訂版 Op.112のみ)、そしてヴィクトリア・ポストニコワをソリストに迎えたピアノ協奏曲全集、さらにオイストラフ独奏のヴァイオリン協奏曲第一番、バレエ音楽「ロメオとジュリエット」第二組曲が収録されています。最後の二つは、残念ながら時代を感じさせる録音なのだけれど、世界大戦前のものでは仕方ありますまい、資料的おまけと割り切るべき、でしょう。交響曲は1960年代ですからコンドラシンのショスタコーヴィチとほぼ同時期の録音、あの全集同様にクセはあっても音楽自体はちゃんと聴き取れるものかと。またピアノ協奏曲は1980年代の収録ですのでほぼ問題なし、です。このくらいの音で、ショスタコーヴィチが録れていればよかったのに…(デジタル最初期の録音故か、怖ろしいほどにきつい音がしますね、あれ)

非常に見通しよくプロコフィエフの交響曲を聴かせるこの全集、これを好機として聴きこんでみようと思います。マーラーとは両立しない、とソレルチンスキーは若きショスタコーヴィチに告げたとか聞きますが、千葉は聴くだけだから両方好きでも問題なし、ですよ!(笑)

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でもさ、ラザレフ&日本フィルの、世界に対して胸を張っていいだけの全集が完結したらまた最新化しないといけないんだけどね(笑)。もし買えたらキタエンコの全集も参照したいし…などなど、先のことを考えるときりがないけれど、ひとまずは予告ということで。ではまた。




ラザレフ&日本フィルの演奏、全集としてリリースしなかったらもはや文化的損失ですからね、エクストンさん?とプレッシャをかけ続けないと、第二~四番あたりが日の目を見ないような不安が…

2012年4月22日日曜日

大阪市音楽団、10月に東京公演です!

こんにちは。千葉です。

さて大阪市音楽団を巡る状況、というか言説の酷さ(特に市長氏のもの。あとでまとめます、その問題については)は相変わらず、しかしおそらく行政的スケジュールは動いてしまっているのではないか、といささかの危機感を感じております。行政の歯車で前進しているものを止めるためには、かなりのエネルギーが必要になりますし…

この件、黙っているだけでも廃止したがっている人たちの思惑に加担することになりかねませんので、賛成/反対はともかく各位が意見を、自分の言葉で言っておくこと、とても大事だと思いますよ。朝日に掲載された赤川次郎先生の投書に賛同/反対の意思表示をするのもいいでしょうし、指揮者の飯森範親さんがTwitterで発信されたものを拡散するのもいいでしょう。でも、本当は文章の上手い下手とか、自分個人でなにか言っても…とか気にしないで、自分の言葉で意見を表明していくべきだと千葉は考えています。今回の大阪市音楽団を廃止しようという目論見、かなりいろいろな方面から切り込めるだろう問題ですから、誰かひとりの言葉がすべてを言い表してくれるわけではない、と思いますし。ということで、ブログやTwitter、その他SNSなどでご意見、ぜひ自分の言葉で発信してみてくださいね!あ、そうそう、ハンドルでもいいから、責任の取れる名前付きで、ね。


という話はまた別途、全力でしなければならないけれど、今日はこの前発見した公演情報のお知らせ。発売日等はまだ出ていませんが、この10月に大阪市音楽団が東京公演を行います!というご案内です。


◆東京芸術劇場 Presents ブラスウィーク2012
2.宮川彬良&大阪市音楽団


2012年10月16日(火) 19:00開演

会場:東京芸術劇場コンサートホール


出演:

作編曲・指揮・ピアノ:宮川彬良
吹奏楽:大阪市音楽団

曲目:~『宇宙戦艦ヤマト』宮川音楽の勉強会~
・ファンファーレ
・組曲「宇宙戦艦ヤマト」
・劇伴音楽「宇宙戦艦ヤマト」の勉強
萩原哲晶:クレージーキャッツ・メドレー<無責任一代男~ホンダラ行進曲~スーダラ節~ハイそれまでヨ>
宮川泰:ゲバゲバ90分
宮川彬良:バレエ音楽「欲望という名の電車」から ほか


以前ならきっと、大阪市音楽Dahhhn!名義にしていたのではないかしら、と思えなくもないけれど、いわゆる吹奏楽&現代の作品を愛好する濃い層(笑)よりも幅広い層へ向けた公演となる模様ですね。発売スケジュールは7月上旬を予定、チケット料金他詳細はまだ発表されていません。詳しくは会場であり主催となるのだろう東京芸術劇場のサイト等でご確認ください。


このアンサンブルの存続を願う気持ち、コンサートに行くことで表すのが一番のやり方じゃないかなって思いますので、皆様是非に。ちょうど上手い具合に、宮川彬良さんがお父様の後を受けて音楽を担当されている「宇宙戦艦ヤマト2199」もその頃には盛り上がっているのではないかしら(笑)。


ということで、ひとまずはご案内のみ。詳しい日程など確認できたらこのブログでも告知するようにしますね。ではまた。





2012年4月16日月曜日

これは、もしかして…

こんにちは。千葉です。

ちょっと思いついちゃった酷い話(笑)を書き始めたら止まらないので、その話より先に今日届いた、昔の録音の話を。

先日アンドレ・クリュイタンスの話をしたことを伏線だ、とは申しませんけれど。今年はですね、フランス音楽をちゃんと聴こうかなって考えているうちにもう4月も半ばになってしまいました。この数年はマーラーに注力してきましたから、ちょっと違う方向にも目を向けたいな、という思いもありまして。
さっさと言挙げしておけば、いささかの義務感でもう少しちゃんと取り組めただろうに…と反省しきりであります。フランス音楽を、千葉はクラシック音楽をちゃんと聴くようになった入り口としてラヴェルやドビュッシー、そしてその同時代音楽を中心に聴いてきたもので、そこからの拡がりのなさをなんとかしようと考えているので、いささか腰が重くなっているのです。課題や勉強は先にやれとあれほど言っているのに…(夏休み最後の週に頑張る派、あとはギリギリまで手を止めなければなんとかなるだろう系)

その思いもあって、かつてまじめに聴きこんだオネゲルの交響曲についての一連の記事が旧館にあるわけだけれど、それはどちらかと言えば20世紀音楽サイドからの興味も非常に強かった。また、そこで明確に課題として意識されたのは歌もの、特に歌曲にオペラ。バレエ・リュッス界隈からフランス音楽に親しむようになると、ついバレエ音楽や管弦楽曲でフランス音楽を捉えてしまうのだけれど、アカデミーやサロンではピアノ曲に室内楽曲や歌曲が、そして大衆的人気ではオペラが欠かせなかったはず。ちゃんと考えれば悪評高いローマ賞が20世紀に入っても管弦楽伴奏によるカンタータで作曲家を評価していたことなんかからも気づけたはずなのに。不覚。




ドビュッシーのローマ賞受賞作、カンタータ「放蕩息子」はこの盤で、クリュイタンスの指揮で聴けますが、いささか退屈の感は否めない。賞をとったからどうとか、正典の側にあるからどう、という問題ではない、とは思います。しかしだからといってそういう面を知らないままでいい、ワケがない。少なくともフランス音楽に興味があるのだから。今のままだと千葉にとってのフランス音楽史は古くはラモー、そして時代が飛んでベルリオーズ、そして何人かの作曲家をチラ見してもう20世紀になってしまう。それはさすがに薄っぺらいし、自分でも残念にすぎる。

なので、今年はフランス音楽、とか考えているわけです、フランス語という高くて厚い障壁は以前と変わらずあるけど、それでも、と思うくらいには積極的に。その一環として買ってみたのがこの盤。




オッフェンバックという作曲家、自分なりにちゃんと捉えておきたいなと以前から思っているのです。随分前にミンコフスキによる録音を聴いて、先入観はぐらついていたのにそのまま放置してきたのが、なんとも…ですが。最近は少しづつ、「ホフマン物語」を軸に近づけてきたような、気がしているのですが。

この盤は1955年12月3日の、メトロポリタン・オペラの実況録音盤。拍手や舞台ノイズが入っているとこういう言い方にしたくなりますね(笑)。指揮は千葉が大好きなピエール・モントゥー、キャストその他はリンク先で御覧くださいませ


で、ですね。まだ届いて一度通して聴いただけ、なのですが。これって、もしかして圧倒的名演という奴なのでは?遍歴される三人のヒロインとの物語はそれぞれに美しく描かれているし、舞台の空気がよく伝わる録音も時代を考えれば十分すぎるものに思えますし。細かいことはいずれまた書きますが、先ほどリンクしたHMVでもマルチバイ価格1,200円、Amazonのマーケットプレイスなら送料入れても1,000円程度で手に入ってしまうのですけれど、それが申し訳なくなるくらいの演奏であるように、先ほど聴き終えて今感じております。アントニアの物語の終わり、あれはなんなんだろう…

本当に聴いただけ、の状態でまともな紹介はできないんですが、このオペラが好きで、でもまだこの演奏は聴いていないな、という方、ぜひ。絶対に損はしません、それは一度聴けばわかりますもの。

あとでいろいろ調べたり、クリュイタンスの盤と聴き比べたりしてみるといたしましょう…いやはや、こういう発見から得るべき教訓は「興味は広く持っておけ」というところでしょうか。とりあえずきょうはここまで。では。




実は聴き終わってすぐ図書館に行ってこれを借りてきました(笑)。そうそう、そういえば版の問題がなかなか複雑な曲なんですよね、「ホフマン物語」。勉強べんきょう…

2012年4月9日月曜日

敷居下げるんじゃなくてさ、間口を広げませんか?

こんにちは。千葉です。

なんでしょう、お花見に最適なのは今日、でしたかしら。ようやく防寒具を持たずに夜まで外出していても大丈夫、かな?なんとも長い冬でした…

先日の大阪市音楽団(またなにか書くかも)の件もそうですが、いろいろと冬の厳しさを思わせるものがあってけっこう本気で困ります。けっこう、とかつけてしまうのは程度の多寡の話だけではなくて、自分一人ではどうしようもないところがあるから、なんですね。それこそ大阪市民でない以上、言えない部分というのはどうしてもあるように。今日のお題はですね。昨晩第二回目の放送を終えた「ららら♪クラシック」の話です。

放送局の方針がそうであるのなら、30年の歴史ある番組が消えることに抗議はできても、その決定を覆すことなど期待できようはずもない。それでも黙っていられなかったので先日自分なりの意見を事実上の最終回を見たあとで書きました(本当の最終回は、最良の意味で打ち上げでしたから(笑)特に追記する要素がありません)。千葉は一愛好家として最近のコンサートに触れる機会の消失を悲しむのと同じくらい、元近い業界にいたものとしてあのオーケストラが番組の終了によってこの先被るだろう苦難が想像されますので、なんとも…

残念だが終わってしまった以上仕方がない、失ったものに代わるだけの新しい別の何かが、新たに示されたものに見いだせるかを確認するとしよう。

そんな思いは昨日でなくなりました。さようなら、「ららら♪クラシック」。

あのう、「日曜の夜、ホッとしたいあなたへ ビギナーから通まで楽しんで いただけるクラシック音楽番組」を作るために、どうして旧来の俗説を振りかざしちゃうんですか?モーツァルト関係の研究って、あの時代の作曲家の中では相当に深く行われていて以前の「神話」とは異なるモーツァルト像もコンスタンツェ像も示されてるじゃありませんか。どうして番組全体の印象として、旧来の説を「活かす」ようにしちゃうんですか?ちょっと普通ではそういう手法、ありえないんですけど。

ジャンルを変えて考えてみてください、例えば歴史。「歴史秘話ヒストリア」で「~は○×ではなかった?」として再現ドラマ等によるVTRを流し、しかしそのコーナーの結論は「○×でした」なんてケース、見たことありますか?例えば動物。「ダーウィンが来た!」で「従来△■は群れを作らずに生活すると言われてきましたが~」で始まったVTR、新たに撮影できた群れで暮らすその動物の実像込の映像の最後に「ですが群れない△■もいるかもしれません」なんて〆ることって、ありますか?

しつこくなるのでこれ以上は例を挙げませんが、昨日の番組はそういう、少なくとも千葉はこれまでに見たことがない検証スタイルを示してくれました。いわゆる天才神話について、ゲストの言葉を引き出しつつ、それでも司会者が思い入れを語って〆る、というちょっと想像できない形で。石田衣良氏がご自身の著作で書かれるのならお好きにどうぞ、で済むところだけれど(千葉はまず読まないし)、公共の電波で、しかもかつては「教育」テレビだった所でやっていいうやりかたですか、これ。新たな知見を紹介すると見せて旧来の俗説を強めたらイカんでしょ?何を考えているんですかスタッフは(石田氏はそういう人だとあきらめました)。

クラシック音楽への「敷居」を下げたい、という意図自体は善意から出ているのでしょう、でも言いたくはないのだけれど、敷居下げるために事実関係や認識、知見を間違ったものにするのは最低の、下策ではないんですかい?例えば「アマデウス」をフィクションとして楽しむのはいいでしょう、でもあれを元にモーツァルトについて詳しく慣れると考えるのはいくらなんでも無茶だ。それに負けない無茶を、第二回にしてこの番組はしてしまっている。そんなもので入門させられる方が可哀想だ、まず間違った知識を身につけてそこから勉強して解除していかなければならないなんて。

教育だと押し付けがましさがあるし堅苦しいから、視聴者の側で知らないことが多いだろうからとレクチャーならぬトークを増やそうという意図はわかります、繰り返しますが善意からのものなんでしょう。でもそれで事実関係さえ怪しく思えるような話を放送時間約一時間のうち半分以上も流すの、どう考えてもおかしいでしょう?音楽は細切れの楽章単位で(これは前番組からの問題点)、語られるトークは出演者の感情的な話がメイン、それって知らない人向けじゃなくて「少し知っている人」対象なのを前提にしてますよ?

モーツァルトが書き間違いなく作曲をしたとか、コンスタンツェが悪妻の代表だとか、そんな古臭くてシンプルなお話を垂れ流しても音楽ではアリ、なんでしょうか。自然科学番組はそういうことはありませんよね?美術番組でそういうルーズな話をしますか?スポーツ番組で「貴方にとってその競技とは?」とか、司会者が思い込みだけで話していたら困るでしょう?繰り返しますけど、敷居を下げるためならアリ、なんですか?

あああもう、この話は結論が自分の中では出てしまっているので否応なくロンド形式(変奏曲ですらない)でお送りすることになってしまいます(笑)。
テレビがクラシック音楽への敷居を下げたいと思うのなら、わかりやすくてその分だけ怪しげになりがちなお話に頼るんじゃなくて、ちゃんとした情報と演奏そのものに触れる機会を作ってくれればいいんですよ、それも録画に頼るような時間ではないところで。視聴習慣というものについてはテレビ局の皆さんのほうがよっぽどご存知でしょう、某番組があの内容で一定の人気を博し続けているのはまさに、継続して放送しているから、だと思いますよ?
BSの放送を自分から探して録画する人たちはとっくに「敷居」なるものは超えてるんですから、もし本来の意図通りにしようと思うならちゃんとリアルタイムで見てもらえる時間に、それなりの時間と内容のある番組を見てもらうしかないですって。それも、単発ではなく定期的に、忘れられない程度の間隔で。

どうして話題を絞り込んで作品と謎解きドラマを強引に(笑)組合わせて視聴者を楽しませてくれた「名曲探偵アマデウス」を作った局が、少なくないクラシック音楽映像ソフトのエンドロールで制作協力をしていることがわかるほどクラシック業界に貢献している放送局が、こんなあたり前のことをしようとしないのかが理解できません。誰ともわからない初心者がわかりにくいかもしれないから、それだと不評かもしれないからと糖衣にくるんで不正確かもしれない情報を流したり、長くて集中して聴くのは難しいだろうからと先回りして配慮して細切れの演奏を放送する。そんなことで得られるのは、有料のサンプラーみたいなCDで満足できる人、CMで聴いたサワリを聞きたい人、クラシック音楽をBGMにしたい人、癒されたい人などなど、簡単に予想できるような人たちですって。そういう人たちにはちゃんと今挙げたような、そういう商品が手元に届いてますから、わざわざ新規参入される必要、ないと思いますよ、公共放送さま。


ああもう、モーツァルトがお題の番組でもこれだけ怒れてしまうのだもの、大好きなマーラーとかショスタコーヴィチがあの調子で放送された日には卒倒するのではないかしらワタクシ。その暁にはダイイング・メッセージにDSCHとサインしてやります、犯人はこの番組ですからね!と遺言を認めたところで(おーい)ひとまずおしまい。そして最後にもう一度、さようなら「ららら♪クラシック」。
まだこの番組を見続けられる予定の皆さま、もし面白い番組に成長した日には、ぜひコメントかTwitterで教えて下さいね、無節操に掌返しますので(笑)。

2012年4月6日金曜日

大阪市音楽団を応援させていただきます

こんにちは。千葉です。

前置きなし、本題です。今日は朝から不機嫌でした。それもこれも、こんなニュースを知ってしまえば、もう…

橋下市長、大阪市音楽団員36人配転認めず「分限免職」(読売新聞)

ああもう、こっちのブログではこういう話をしないでおこうと思っていたのに。このどうしようもない施策を前にはそんなマイルールなど出番ではないのです。大阪市音楽団が不要、解散の方向で検討を進めてきてさらに「市職員」の身分で活動してきた楽団員を一般職などに転換することもなく「分限免職」、要するに馘首する、というお話ですよね、これ。
「今まで音楽をやっていた人を単純に事務職に配置転換するのは、これからの時代、通用しない。仕事がないなら、分限(免職)だ」(記事より引用)ってことは、このニュースから感じてしまう悪意を汲み取って換言するならば「音楽やるってことで雇ったんだから、その仕事をなくすのでクビ。理由は他に使い道もないので」ってこと、ですか?えっと、なんでしょうかこの非情なコストカッター風の振舞い。そんなに最初にナタを振るわれなければいけないほどに、大阪市の財政を厳しくしている一番の理由は文化事業なんですか?


確か、以前見た大阪市音楽団の運営にかかるコスト云々の記事で四億円どうこうの話があったかと記憶しています。36人の楽員に事務職などの人件費、そして演奏会運用などにかかるもろもろのコスト、「市の文化活動」としての活動でのコストなどひっくるめて四億くらいなのであれば、使い方次第で取り戻せるんじゃないですか?とか(自分がそのお金を自由に動かせるセレブリティでないのが、ほんとうに残念)。
公務員待遇でプロの吹奏楽団を持っているところは他にない、というのならそれをセールスすればいいじゃない、文楽もそうだけれど市の特色をアピールするのも市長様の仕事じゃないのかい?国政への色気の部分じゃなくて、そういうところで東国原氏を見習ったら?とか。
そもそも演奏を聴いて評価できるのかい、その廃止を判断したプロジェクトチーム。東京佼成ウィンドオーケストラと並ぶプロの吹奏楽団※、もしかしてセレモニーのためだけに持っているつもりなの?
楽団の在り方を変えていくことでメリットを産む方向に行くのではなく、とにかく削ってなくしてしまうことが「大阪市の財政」を改善するための最善手だという短絡は何故?


怒りに任せていろいろと書いてしまいます、だって大正12年(1923年)に発足した、日本最古のプロの吹奏楽団ですよ?詳しくは大阪市音楽団のサイトを見ていただくとして。
その成り立ちから考えて、市民から不要だ、という声が上がって退場させられるのであればそれは受け容れざるを得ないのでしょう、有能なアンサンブルが失われることは残念に過ぎるけれど。しかしながら、今回のようにオーナーである行政が、使用者の馘首でひとつの歴史ある文化団体を消滅させようというやり方は到底理解できないし、受け容れられるわけもない。それだけでも怒りを感じるのに、なんですかこの「使えない奴はいらない」みたいな言われよう。ああああもう、使わなくなったソフトをアンインストールでもするかのような気軽な馘首予告、理解できない。その上捨て台詞まで投げられる、なんですかこれ。繰り返しますけれど大阪市の財政を危機に陥れたのは文化事業で、特にも音楽団の楽員や事務局なんですか?彼らを排除すれば健全財政になるんですか?何か目くらましに使われてるみたいで非常に不快です。安易で方針の不明瞭なコストカットによる財政健全化の考え方、そのものがどうかしてますよ、これ。

と、ひとしきり抑えられない憤りを書かせていただきました、興味のない方には申し訳なく。しかしながら、こういう文化は不要不急、行政がやることじゃないよね、みたいな安易な物言いで「コストカットごっこ」する紅衛兵かクメール・ルージュみたいなポピュリスト、これから増えかねませんので今のうちに申し上げておきたかったのです。かつての都響のように、以前よりいい形で活動できるようになっていけばいいのですが…(府での実績(苦)があるのであまりにも期待できない)

こういうときだから支援できる方法、何かないかと思いまして、ささやかではありますが今日からまずTwitterのアイコンを彼らのディスクのものに変えました。これです。




Twitterでも書いたのですが、舞楽の面だとちょっと「V for Vendetta」っぽくて面白いかも、などと思ってしまいました(笑)。象徴となる人物がガイ・フォークスならねば誰がいいんでしょうね…
他にも、団は現在ふるさと納税による支援など募っているとのことですから、よろしければ音楽団のサイトを御覧くださいませ

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はあ、少しだけ冗談が出せる位に落ち着いたところでひとまずおしまい。


なお、最後に一つだけ、ここをご覧になってしまった大阪の皆さんへお願いを。この件について言及する大阪市外の吹奏楽愛好家を「市民でもないくせに!」なんて頭ごなしに拒まないでいただけたら幸いです。もちろん、千葉へのご批判は甘受します。

千葉個人は、プロの演奏団体として尊敬を持って大阪市音楽団の演奏を聴いていますので、それが簡単に無くしてもいいものとして扱われることが、一吹奏楽愛好家として本当に悲しいのです。尊敬する音楽家が不要物のように扱われている現状が情けなく、憤ろしいのです。大阪市音楽団は、実演を聴く機会の持てていない*、ゆかりのない東北出身者でさえそう感じるほどの団体なのですから、おそらく地元大阪には彼ら彼女らの地道な活動に恩を感じていたり演奏に感銘を受けた人は決して少なくないと思うのです。もちろん録音や放送などで千葉同様に、より強く尊敬を感じている人たちもいらっしゃるでしょう。
よろしければそういう声も拾い上げて、より良い形を探ってはいただけませんか?今のまま、ただ音楽団を切り捨ててしまったのではいささかのコスト削減だけしか得られるものはなく、団が集めてきた好意や尊敬はただ失われるのみ、なのですから。

ぜひ、建設的なご一考をお願いさせていただきます。もし千葉へのご意見等ございましたら、ブログのコメントなどでの対話をさせていただけましたら幸いです(Twitterでの議論は持論というか意見のぶつけ合いに、あたかもプロレスのマイク・パフォーマンスのようになりがちですので予めお断りします)。


※東西を代表するプロフェッショナルの、間違いなく日本屈指の吹奏楽団が、どちらもこのような特殊な在り方をしている事実については、いささか考えるべき余地があるように思いますがここでは検討しません。金銭に換算しがたい価値についての相応の検討が必要になると思われますので。

*追記。
大阪市音楽団の東京公演、あまり記憶にないなあ…と思って調べてみました。実は2010年に、「宮川彬良&大阪市音楽Dahhhhn!」として公演を行なっていたそうです。それがなんと14年ぶりだったとか。詳しくはリンク先でご確認ください(pdfファイルが開きます)。千葉がコンサート情報に一番詳しかったのは2002年から2007年くらいまでの時期ですので、知らないわけであります。
もし今後、存続のためにいろいろと活動されるのでしたら、ぜひまた首都圏へも来演いただければと期待します。吹奏楽オリジナル作品での活動、録音等を見るかぎりでは日本で一番の取り組みをされている音楽団、聴いてみたいものです。

*もういっちょ追記。当ブログの本館に、少し違う方向からこの件について書いています。どちらも真意のつもりです、いろいろな側面から考えられるべき問題ではないかと。よろしければご一読くださいませ。

2012年4月4日水曜日

それはむしろ聴いてみたい…!

こんにちは。千葉です。

野球のシーズンも開幕して、今年は地上波U局の、ホームのチームに肩入れした中継を軸に試合を見ていこうと思います。不偏不党とか、ありえない建前に基づくキー局より、地元チームを応援していて、そのためにちゃんと勉強しているスタッフが中継してくれる放送のほうが楽しいですもの。本日もtvkとテレ玉で楽しませていただきました。ありがたやありがたや…

それはさておき、ニュース関係です。以下リンク先で詳細はご覧下さいね。


はい、この8月に例年通り松本を舞台に開催されるサイトウ・キネン・フェスティバル。この音楽祭そのものと言ってもいいだろう小澤征爾の休養で、今年のプログラムはどうなるのか、代役を果たす指揮者は誰なのかと気にしていた方も少なくないのでは。千葉はまあ、行ける可能性が低いのであまり注目してなかったんですけど(笑)。

でも、ですよ。昨今指揮台に登場するたびに好評ばかりを聞く若きマエストロ、山田和樹がオネゲルのオラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」を指揮する、と言われたら注目しない訳にはいかないですよ!オネゲル好きを自認しているくせにほとんど実演には行けていない千葉に、降って湧いたような好機到来、でしょうか?(どうだろう)

若干33才にして都内のほとんどのオーケストラに客演で招かれ、スイス・ロマンド管弦楽団と日本フィルハーモニー交響楽団にポストを得て、ますますの活躍が期待される山田和樹を聴くのは、千葉の今年の目標の一つでもあるんですよねえ…(もう一人、ピエタリ・インキネンも聴かなければと思ってます)
それがオネゲルの大作で叶うとなればそれはまさに望外の好機、普通に考えれば逃す手はないのだけれど…

まあ、手は考えてみましょう。おそらくは苦境に立たされた感があっただろうフェスティヴァルに、このニュースはなかなかの朗報ではないかと愚考しております。願わくは、オーケストラは往年の某放送局オーケストラみたいな狭量なやりかたで彼を迎えてめんどくさいことにならないでくださいね、昔の小澤征爾が経験させられたみたいのは、ね(笑)。では今日はこれにて。



自ら組織したアンサンブルで録音まである。やだなあ、後生畏るべし、ですねえ…


なお、本日は大好きなマエストロ、ピエール・モントゥーのお誕生日だとか。皆さま、お手元の好きな盤を聴いて祝ってあげてくださいね!ストラヴィンスキーの「Greeting Prelude」なら誰の演奏でもOKです(笑)。ではまた。



ちなみに千葉はこれを久しぶりに聴いて、大いに圧倒されました。「白鳥の湖」の見事なハイライト盤であり、品のある美しいチャイコフスキーが楽しめます。新品は入手困難みたいですから、お安い中古盤で如何でしょうか(笑)。モントゥーの話は別途書きます。

2012年4月2日月曜日

春、なので!

こんにちは。千葉です。

新年度ということで心機一転、こっちのブログもがんばります!…っていうか、一転するほどこっちのトーン、定まってないんですよね、困ったことに。やれやれ、であります。


さて、ようやく千葉の住む関東南部も春らしくなってまいりました(って、昨晩少し油断して風邪をひきかけましたが…朝晩の冷え込み、侮れんなであります)。であれば、ストラヴィンスキーの「春の祭典」の出番でしょうよ!

…安直ですみません(笑)、でも気温が上がって体が少しずつほぐれてくると聴きたくなっちゃうんですよね、何故か。残念ながら身体は動きません、ニジンスキーによるあの振付は今なら普通なんでしょうけど(もちろんモダンダンスの方面では、ですけどね)、普通人の可動域ではちょっと無理があります。ええ、もちろん以前試してみた上での判断ですよ(やったのかよ)。




かつては写真や山岸凉子先生のマンガでしか見られなかったニジンスキー版の振付も、今ではDVDでリリースされてますからね、ありがたいことです。バレエ・リュッス関連ならけっこう映像資料がなくもない、というのはその辺りの作品からクラシックに積極的になった千葉には実に喜ばしいことです。この調子で、あのう、「ダフニスとクロエ」のフォーキン版とか、「バッカスとアリアーヌ」の初演版の舞台(不評だったらしいけど)とか、見られませんかねえ…

さて話を戻して。じゃあ「春の祭典」聴くか!と思ってどの盤を選んだものやら一苦労ですよ。若干のぎこちなさがこの曲が受容される過程を感じさせて興味深いなあ、と思える初演者モントゥーによるもの?それともワイルドに吠えるぜ!とか言い出しかねない雰囲気のあるゲルギエフ盤?(でも彼の演奏なら上のDVDの方がよさそうに思えなくもない。いつか書くかもしれないけど、彼の演奏に対してけっこう疑問があるもので)それともラトルの出世盤、バーミンガム市響とのもの?ブーレーズのどれか?バーンスタインがNYPと暴れている旧盤?


普段は録音の良さと見通しの良いもの、それでいて交通整理で終わっていない盤が好ましく思えるので選ぶので、例えばシャイー&クリーヴランド管や(クラシック初心者だった頃、DECCAレーベルの一押しでした、これ)ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団とのものあたりに手が出ますが、今日はせっかくだからSACDのこちらを、久しぶりに取り出してみました(何が「せっかく」なのか)。




サロネンとロサンゼルス・フィルハーモニックの演奏でSACD、併録がムソルグスキーの「禿山の一夜」(原典版)、バルトークの「中国の不思議な役人」組曲(組曲なのが惜しい、あとこのタイトルどうにかしたい)であれば文句なしの名盤ですよ!

と言いたいのだけれど。この録音を聞くと、ドイッチュ・グラモフォンさまはSACDのハイスペックをどのように使うか、決めかねたまま縮小方向に行っちゃったんだなあ、とわかってしまうのが、なんとも惜しい。この組合せによる来日公演は、その最後となったものしか聴けていないのだけれど録音時期とは近いので断言していいと思います、こんなにのっぺりした音じゃないですよう。きめ細かく輝かしく、20世紀音楽独特のきらきらしさが素敵なコンサートでしたから、この音では満足できません!

そう、演奏に文句があるわけじゃないんです。さすがに作曲から100年も経とうとしているのだから(「春の祭典」の初演は1913年)、演奏が洗練されていくのは当然かも知れません、でもなかなかこうは行きませんよ?先ほど名を挙げたティルソン・トーマスの盤とか圧倒的なまでにデジタルな感触で押すのもいいでしょう、でもサロネンには独特の呼吸と、サウンドの美感があるんですよねえ…早くフィルハーモニアとのコンビも熟成されますように。

思うに、ダイナミックレンジの幅と、クリアなサウンドの強調にこのフォーマットの強みを活かしたのでしょうけれど、結果オーケストラという個々人の集合体がもつ「空気」のようなものが殆ど消えてしまっているのが、どうも。古楽の録音などでは少なくなくそっち方向で成功しているんですけどねえ…(もちろん、楽器本来の豊かな倍音を拾うためにそういう性格の録音になっている、という面はあるのだろうけれど)コンサート会場で、かなり上の階で聴いている時のような「雑味はないけどリアリティもない」、綺麗な音なんだけどちょっと困った感じの録音となっている、ということを再認識する結果と相成りました。

SACDで聴けるこの曲、他にはラトル&ベルリン・フィルの映画サントラ版もあるのだけれど、あれはあれでオーケストラがベルリン・フィルのアカデミー生が混じっているフシがあるので、どうも。




その昔は録音の目覚しい新譜が出るたびに「レコードアカデミー賞!」となっていたこの曲、今では一定以上の評価を受けた盤が多すぎてどれを選んだらいいのかわからない、いわば決定力不足であるように思われます。どなたか、迷えるワタクシに道を示してくださいませ!

なんて、思ってしまいそうになりましたとさ。では本日はこれにて。ごきげんよう。





イヴァン・フィッシャーとブダペスト祝祭管による新譜、気になってます。彼らのアンサンブル精度の高さは折り紙つきですからね!