2012年6月11日月曜日

テレビ番組二題、プラス

こんにちは。千葉です。

昨日、ひとつコンサートに伺って参りましたのでその感想も書きたいところですが、まず先に昨日告知したテレビの話、あともう一つのテレビ番組の話を。Eテレのアレじゃないですよ(笑)。

まずは先日紹介した日本フィルの番組。というか正確に書きましょう、番組内容は以下のとおり。

「未来へのおくりもの ~スペシャル~」 

2012年6月9日(土) 夜10:00~10:54 放送予定 BS-TBS(BSデジタル6ch)

●音楽で人々に笑顔を「日本フィルハーモニー交響楽団」

日本を代表するオーケストラ集団、日本フィルハーモニー交響楽団。主催する演奏会は、年間およそ150回。来場者数は、のべ5万人以上。
今回は東京で行われた定期公演会のリハーサルから本番まで完全密着!首席指揮者ラザレフの音楽に対する想い、そして楽団員の知られざる苦悩が。

また、日本フィルではオーケストラ・コンサートのほかに、エデュケーション・プログラムとリージョナル・アクティビティ(地域活動)という活動を実施。
そこには、楽団として社会に貢献できることを追求し、音楽を通じてより豊かな世の中を創りたいという大きな思いが!
音楽の持つ力を信じて…、日本フィルからの未来へのおくりものです。

(以上番組公式サイトより引用、一部改行のみ変更しました)



本来30分で一団体×2の一時間番組をまるまる使って日本フィルの活動における三つの軸、「演奏活動」と「教育活動」、そして「地域の中のオーケストラとしての在り方」を紹介したこの番組、なかなかの見応えでした、特に音楽活動、演奏会のリハーサルにインタヴューを絡めて紹介した、アレクサンドル・ラザレフ指揮による2012年5月の定期演奏会の部分が!当然ですね、それ目当てで見たのだから(笑)。



まあ、「一時間に拡大された」とはいえリハーサルも演奏もそのありようを伝えるためには否応なく時間がかかります、演奏時間は削れませんからね。なので、リハーサルの面白さの片鱗が見えたくらいなんだと思うんです、率直に言って。噂に聞いていたとおり、一秒も時間をムダにしないリハーサルでしたがそれは同時に規定の時間以上には団員を拘束しない、プロとしての相互尊敬のあるものであったことがわかったり、ポッドキャストでも話されていたトロンボーン首席の藤原さんが「かわいがり」を受けているところが見られたり、ということはありました。でもリハーサルで本当に面白いのは音が変わっていく過程でしょう?その辺りはさすがにこの時間の制約ではなかなか、伝わりにくいところであります。ようやく噂のリハーサルを拝見できた喜ばしさと、「もっと面白いところも撮ってるんですよね?見たいなあ」という隔靴掻痒感とのせめぎあいがですね、個人的には否めないものでもありました(笑)。でも一見の価値、ありますからご覧になれなかった方はぜひ、スポンサー様のサイトで近日配信開始されるのをお待ちいただいて。小一時間を使うだけの価値は間違いなくある番組でした、日本フィルのホームである杉並の皆さん、こんないいオーケストラなのでぜひ、もっとかわいがってあげてくださいね!(個人的には相撲的な意味含めたかわいがりでいいと思う)


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あのう、これはかってな想像なのですけれど。日本フィルを三軸で紹介するのは既定だったんだろうと思います、でもそれが一時間枠に広がって、中でも演奏会の部分に約半分を充てることになったのは、番組制作スタッフの皆さんがリハーサルから演奏会へ、というドラマに魅せられたからなんじゃないのかなあ、なんて。


もしこの愉快な想像が本当だったら、ぜひ同じスタッフさんで<「リハーサル(できるだけ長い収録時間)」+少々のインタヴュー、そして「演奏会当日の映像」>でガンガン収録してくださらないかしら、自主制作盤としてリリースしてもいいと思うんだけどな、昔のシュトゥットガルト放送が残したクライバーやチェリのような、とまでは言わないけれど貴重な映像のようになると思うのだけれど。今ならラザレフ&日本フィル、スダーン&東響、インバル&都響にカンブルラン&読響などなど実力派のマエストロたちのポストにある(=責任ある立場でオーケストラとつきあっている)状態でのいい仕事が、ほとんど都内で収録できるんですよ…


あ、日本人マエストロたちの仕事も残すべきだと思ってますよ、もちろん。渡邉暁雄先生や岩城宏之さん他のお仕事がそういう形で遺されて来なかったことを、公共放送さんや母と子のフジテレビさんは反省すべきです。ちゃんと放送局に関わるところにあったオーケストラで多く仕事をした、間違いなく力のあるマエストロたちだったのに。もう。


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すみません!脱線が過ぎました、すみません!(と言うほどは反省の素振りが見えない)もう一つの番組は、アレじゃなくてこちら。


題名のない音楽会21
ブラス・エンタテイメント~中高生に大人気!吹奏楽ヒットソング~

市音取り潰し問題をきっかけにして何周もの周回遅れから少しずつ吹奏楽方面のリハビリをしている千葉ですが、実はエンタテインメント方面での吹奏楽は、はっきり申し上げて苦手です。だって、テューバの楽譜なんてデカイ音を出させられる割にコードをつつがなく進行させるかエレキベースの書き換えでしかないじゃない!指揮者のすることなんてほとんどないじゃない!(これはあまり本当じゃないけど、志向するものの違いということでご容赦のほど)といういささか身勝手な理由から(笑)。

ならスルーしなさいよ自分、とも思うのだけれど、前から気にしていた「平清盛」テーマ曲の吹奏楽版を早う!という希望は既に叶えられている由、Twitter情報で知りましたために、見たのです。

目当ての曲は、ある程度は予想通り、吹奏楽映えしそうなので一安心でした。テンポが相当に速いけれど二つ振りではなく四拍子で指揮していたのはあれ、何かの指示でしょうかね、流れの速さではなくてビート感ある疾走感がほしい、とか。ああそうそう、全国の吹奏楽関係の皆様、昨日の放送のあとでは悪寒さえ感じさせられてしまいかねない曲の最後「あそびをせんとや~」のくだり、作曲者の「仮歌」は初音ミクだったそうなので、実際の演奏でも使っちゃっていいんじゃないっすかね。TWSOが使うとは思っていませんでしたから、昨日の放送についてどうこう、ではありません(どちらかというと優等生的なところ、ありますよね。模範演奏、とか言ってしまいたくなる感じの)。言葉が最後に登場することであの曲は終わることができるように思えますので、手段のある方はぜひお試しください(もうとっくにやられてるのかもしれない、周回遅れの妄言の可能性は理解しつつ言っておきます)。

ということで本筋は楽しめたんですよ(最後の一曲、二分半が本筋かい!)。だけれど、ポップスも応援も正直ゴメンだなあ、と今さら自分の苦手意識を再認識です。
ポップスは上述の通り、あとヴォーカル抜きで歌ものをやることに違和感があったり、いろいろとあるんですけど。シンフォニックな書き方をされているサントラとかはまだ、いいんですけどね…(実は今頃になって「E.T.」のテーマとか演奏してみたい、あの自転車チェイスの場面の浮遊感を音にしてみたい)
あと応援。これはねえ、自分は野球でもサッカーでも、モータスポーツでも鳴り物の応援がそんなに好きじゃないんです。見方ぐらい自分に決めさせてほしい、と言いますか。チャンスで畳み掛けるような応援には乗りますよ、でものべつ幕なし歌い続けるのは、どうも。高校時代にも吹奏楽応援なんてなかったからなあ、うちの学校(旧制の流れを汲む、いわゆるバンカラ学校でありました)。

という個人的な好悪もありつつ。吹奏楽の、いわゆる「藝術」よりの作品には、こういう機会に紹介していただかないと存在すら知ってもらえない危険があるけれど、ポップスとか応援ならかなりの頻度で聴けるのでは。それこそ春夏の高校野球でも見れば、いわゆる吹奏楽名門校の堂々たる応援が聴けますよ?

まあ、そういう未知のものをお知らせする番組じゃないことはわかっているのでもういいんですけど。こういっては申し訳ないけれど、一度さらっと流して見ておしまいになるような作りですものね。先日の髭男爵&彌勒忠史他による愉快なイタリアンバロックで少し見なおしていたところだったのだけれど、まあ根本的にはそのくらいのところで。仕方ない、目的が違うんだから。

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こう書いてきてやっぱり思うんですよ、公共放送は何をやっている?と。N響アワーが終わったことはもういい、でも代替となる後番組があれで、月一放送の「オーケストラの森」はおそらく今日の本題その一である「未来へのおくりもの」に劣るダイジェストのダイジェストでしかない。オーケストラ紹介部分入れてメインプログラムを一時間の枠で放送したらそうもなりますよね。なんだかな。
放送局としての力量はあるのでしょうに(でなければ海外の演奏会映像の最後にクレジットされませんわね、普通)、どうしてこんなことになるのか。映像作家的な方が居らっしゃらないの?それとも軽く物事の表面を撫でる番組を作るのが皆さまの公共放送の使命なの?なんかねえ、いい加減考えたほうがいいと思うんですけど。

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あれっ。何故かすごく不機嫌に本題が終わってしまいました(笑)。変だなあ(棒読)。事ほど左様に広義のクラシック音楽とテレビ文化はなじみ難い、のかしらね。

なお。ここまで読んで下さった方の中で、きっと千葉の物言いに「文句をいうなら見るなよ」って思う人も多いんでしょうけど、それやってるとどんどんと細っていくだけですよ、クラシック音楽の側もテレビの側も。クラシック音楽はテレビになじまないからさようなら、では今なお十分すぎる力のある告知媒体を失ってしまう、それは広く世間様に知っていただく機会を失い蛸壺化を進めるだけになる。テレビの側はテレビ用に作り変えられない「テレビに合わないもの」を切り捨てていけば否応なく定向進化の先に残念な結末を迎えるでしょう。いや最近はあまり見てないからもう定向進化極まって、口から長いながーい牙が生えているのかもしれません。ちょっと怖くて(笑)がつけられません。

昨晩放送された番組の中でもう一つ、興味深いものがあった、というのを最後にちょっとだけ。その番組は日曜洋画劇場の「インセプション」。ご覧になった方は御存知の通り、後半で入れ子になった夢の階層を画面左上のテロップで「第1階層」「第2階層」「第3階層」「虚無」としてインディケーションしていたんですよね。もちろん、真面目に見ていればその場面ごとに場所や衣装で今がどの階層の映像かはわかるように作られています(消せない妻のイメージに撹乱されるものではあるにせよ)。でもCMを挟んで放送するテレビではそういう視聴を強制することはできない、でもこの映画はちょっと見ればわかる映像の面白さだけにとどまるんじゃなくて、その構造をわかってもらえたらもっとその面白さが伝わるはず。そんな放送サイドの想いが嬉しく思えるような、いい映画放送だったので地デジ画質での見え方確認にちょっと見たら他のことをするつもりだったのに、ついラストまで見ちゃいましたよ。あの引きもまた、いやらしい(褒め言葉)いい映画でしたね。「ダークナイト」も見ちゃうのかなあ、自分…(笑)

余談で機嫌が良くなったところでおしまいにします。ではまた。




そう、今の日本に「バーンスタイン」はいないんですよ、だからモノマネじゃなくて自分たちの持っているいいものを伝えましょうよう。と思うのですが如何。

2012年6月9日土曜日

必見では?ラザレフ&日本フィル、22時よりBS-TBSにて!

こんにちは。千葉です。

もっと早く告知しておくのだった、と思いつつ、まだ手遅れではないので微力ながら情報拡散のお手伝いをば。

あとは交響曲第六番を残すだけ、となっているプロコフィエフ交響曲全曲演奏を通じて長足の進歩を遂げ、今や好調のオーケストラが居並ぶ首都圏でも千葉が最も聴き逃したくないコンビとなったアレクサンドル・ラザレフと日本フィルハーモニー交響楽団。先日のチャイコフスキーや昨年のラフマニノフ、評判を伝え聞くだけで悶え死にそうでしたよ。(笑)は付かない感じで。
何度となく演奏を聴いているから、作品さえわかれば実際の演奏をある程度イメージするのはできるけれど、実演の楽しさはそんなアウトライン程度の認識だけでは味わい尽くせない、もっともっといいものなのです。こと、コンサートで全力を開放したラザレフの場合には。ああいきたいなあこんちくしょう(あ、言葉遣いが…)


気を取り直して。そんな彼らが、今晩22時より、BS-TBSにて放送される番組に登場します!「美の巨人たち」とか見てる場合じゃない、んですよ!(笑、ウチの土曜日在宅時のパターンですね、アド街ック天国から美の巨人たち)


「未来へのおくりもの ~スペシャル~」

2012年6月9日(土) 夜10:00~10:54 放送予定 BS-TBS(BSデジタル6ch)



●音楽で人々に笑顔を「日本フィルハーモニー交響楽団」

日本を代表するオーケストラ集団、日本フィルハーモニー交響楽団。主催する演奏会は、年間およそ150回。来場者数は、のべ5万人以上。
今回は東京で行われた定期公演会のリハーサルから本番まで完全密着!首席指揮者ラザレフの音楽に対する想い、そして楽団員の知られざる苦悩が。

また、日本フィルではオーケストラ・コンサートのほかに、エデュケーション・プログラムとリージョナル・アクティビティ(地域活動)という活動を実施。
そこには、楽団として社会に貢献できることを追求し、音楽を通じてより豊かな世の中を創りたいという大きな思いが!
音楽の持つ力を信じて…、日本フィルからの未来へのおくりものです。

(以上番組公式サイトより引用、一部改行のみ変更しました)

マエストロは、プログラムを決めた時点でリハーサルの日程やだいたいのスケジュールを決めてしまう、そしていざ演奏会のためのリハーサルとなると会場入りするや指揮台に向かい、休憩中も指揮台にいて団員とのコミュニケーションを欠かさない、一コマのリハーサルで明らかにサウンドが変貌していく…などなど、その筋から噂のみ漏れ聞いてきたラザレフと日本フィルのリハーサル、ついに見ることができます!
演奏会で聴いて、そのサーヴィス過剰な(笑)振舞いに惹かれた方も、むしろその音楽に魂奪われた人も、必見です、きっと。千葉はあの演奏の裏にはかなり明晰なリハーサルによる方向づけがあるのだろう、と思って来ましたから、それを確認できることがほんとうに嬉しいです。

なお。この番組、スポンサー様のサイトで後日配信される仕組みになっているのだそうです。放送翌週の後半には、ということですから、BSデジタルは見られない、そもそもテレビがない、などお困りの場合にもご覧いただけるという親切設計となっております。メセナ、ですね、ありがたいことです。しみじみ。

>三菱UFJファイナンシャル・グループ 映像ライブラリー


ということで、いささかギリギリにすぎるけれど告知でした。きっと番組の感想も書くことになると思いますが、それはまた後日ということで。ではまた。




機会を見つけたら必ず書いておくことにしているので。
ラ戯れる&日本フィルのプロコフィエフの残り、既に演奏した第二~第四番(改訂版)と、これから演奏する第六番ももちろんリリースされるんですよね?全集として完成した暁には間違いなく日本フィルの、いやさ日本でのプロコフィエフ受容におけるモニュメントになるんですよ?出・ま・す・よ・ね?(笑)

2012年6月8日金曜日

Senzoku Special Wind Worldに期待します


こんにちは。千葉です。

これも寝かせすぎないうちにと慌ててまとめました(半泣)、先日伺ってきた洗足学園音楽大学の新企画、のレビューです。次回(6/26)までは時間があるから手遅れじゃない!はずです…

◆Senzoku Special Wind World 第1回演奏会

2012年5月29日(火)
18:30~公開リハーサル(約90分)、20:00~演奏会

会場:洗足学園前田ホール

指揮:山下一史
吹奏楽:Senzoku Special Wind World

曲目:

ホルスト:吹奏楽のための第一組曲変ホ長調Op.28-1
シャブリエ:狂詩曲「スペイン」


先日のマリア・フォシュストロームさんのコンサートに伺った際に知ったこちらの公演、いろいろな興味から聴きに行きました、入場無料でもありましたし!(貧民の弾ける喜び)

まずは、以前近所に住んでいたのに洗足学園の公演に伺ったことがない、結果そこにある前田ホールにも行けていないのが気になってました。吹奏楽をやっていれば少しはその存在を意識することもあるだろう音楽大学の、吹奏楽の企画だってあったことでしょうに。反省。
そして指揮者の山下一史氏の演奏を聴いたことがないのも、彼の仕事の多さを考えればいかんかな、とも思えまして。それにチラシを見るに、バンドのメンバーに首都圏のオーケストラ団員の名前も散見されて、一定以上の演奏クオリティは期待できそうです。
さらにこの企画、演奏を聴くだけの普通の音楽愛好家より吹奏楽経験者の方がより楽しめそう、加えて曲目が自分も演奏した二曲である。ここまで揃ってうかがわないようでは、出不精を通り越してもはや実演が好きじゃない人ですよ、千葉は(笑)。

演奏会というよりはゲネプロっぽい服装のステージ上の奏者各位にマエストロにより演奏曲順に手際良くさくさくとリハーサルは進められ(一部、ホルスト作品で楽譜の直しがあったとき、お答えを客席から伝えたのは、もしかしてこの曲の最新校訂を手がけられた伊藤康秀先生でしたかしら?)、はじめいささか不慣れな感もあったバンドはどんどんと整って行きます。そうそう、チラシには教員メンバー(名のあるプロ多数!)のみ掲載されていたのですが、メンバー構成は毎回変わるとのこと。教員と学生選抜により構成される格好です。チラシには名前のなかった都響の高橋敦さんがトランペットのトップ、そしてこちらはチラシにも名前のあった橋本晋哉さんがテューバの上の声部をやって、など今回のメンバーはなかなか千葉得でした(笑)。なにより、音楽的にさすがと思えるところも多かったですし。特にホルストの第一楽章の終わり、ああいう輝かしい音に、なるはずなんですよねえ…(超望遠)
会場の前田ホールは、先日伺った講堂とはまったく逆方向の、よく響いてその眺めの残響ともども音はブレンドされて聴きてに届く感じ。どうなのかな、もしかするとピアノの演奏会なんかで聴くととてもいいかも。吹奏楽では楽器それぞれが持つ指向性が不明瞭になるのがいいのか悪いのか。個人的にはもう少し立体的な音になると嬉しいかも。


ただし。この二曲、自分演奏した記憶があるものだから、少しばかりそっち目線からの食い足りなさを感じてしまうところは、ありました。アマチュアのいいところは演奏するその曲とかなり長期に渡っておつきあいすることですからね、否応なくいろいろな面を見ています。
例えばホルストの第一組曲は、いわば新古典主義的な作品でもあるわけで形式やモティーフ、フレージングでいろいろな表情を見せてくれる曲です。一度のリハーサルで流れ優先のつくりではあまり面白さが出てこない、のではないかな、とか。
シャブリエはいま聴くとあまりに非論理的な編曲に違和感を覚えずにはいられない、それに尽きます(これは編曲の思想自体の違いで、シンフォニックバンド用の編曲メソッドには完全に適っている、それを悪というつもりはないけれど…)。いくらプロとその卵が集まってはいても、一時間半でできることには限度があるわけです。これはこのフォーマットである以上は仕方のない部分かな。

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と、文句は言いましたけど、こういうアウトリーチがいま、特に大阪市音楽団ほどの名門団体ですら即時解散に追い込まれかねない逆風下にある吹奏楽には求められていると思うので、千葉は基本的に応援します。先日、新聞で「ニュー・サウンズ・イン・ブラス40年」なんて新聞記事を見ましたが、そっちの方向もいいけどいわゆる芸術音楽としての吹奏楽も、もっと知られないと簡単に大変なことになってしまう、と考えています。まさに間口の広いジャンルですから、多様な性格をそのままにお伝えしていく努力、していかないと。
とか、吹奏楽を応援しよう!などと口走る自分が現状をまるで知らないのはいかんよね、と心底反省してもおる次第ですが。

指摘したような問題はあると思う、だけれど企画趣意や出演者はいいものがある、それに入場無料の企画でもありますので、日程の合う方はぜひ、次回以降の公演に足を運んで見てはいかがでしょうか、と思います。千葉はもちろん行くつもり、であります。今度は演奏したことのない曲だから気楽ですし、ね(笑)。

以下、次回以降の日程のみ。

・第2回 2012年6月26日(火)
指揮:ロバート・チャイルズ

ショスタコーヴィチ:祝典序曲
アーノルド:序曲「ピータールー」

・第3回 2012年7月25日(水)
指揮:山下一史

ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」より

ではまた。




そろそろこの名盤を超えてやろう!という試みがあってもいいと思うんだ。いや、この盤の地味な凄まじさには聴くたび感心させられるのだけれど。特に趣味のテューバ吹きだった身には、第二組曲の粒立ちが怖ろしい…

2012年6月7日木曜日

曇り空では仕方がない、ので

こんにちは。千葉です。

いろいろ書きたいことがありすぎて手が回りません。正直な話、ぐつぐつに煮詰まった頭の中からネタが出たがっているんですけど、それをまとめる時間がない。困りました。

ということで。発作的に新企画、さらっとサイモン・ラトルの録音の話をするコーナー、始めます。どんどんどんパフパフ(…)。旧館の方ではそれなりに別枠扱いしていたサイモン・ラトルの話を、考えてみればこっちではしてないなって思ってはいたんですよ、うんうんいいきっかけになるよ、たぶん。

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千葉は別に天体観測には興味がないし(星座って、有名な幾つかを除くと図としてつなげる程度の認識もできてない)、いわゆる「天体ショー」の類も「まあ自転公転の関係上あることっすよね」くらいの受け取り方しかしていません。先日の金環日食はさすがに、写真で見たことがあるようなアレが見られるのかあ、くらいには気になったけれど特に何もせず木漏れ日にその独特な丸い影が映るのを見たのみ。
だから今日もなんの準備もせず、起きてみたら雨模様で金星の太陽面横断なんて見えないね残念だね、くらいの感想なんです。どうせニュースで見られるだろう、と思うと頑張る気がなくなる今日この頃です(サッカー代表戦とかも、もはやその領域に近い)。

でも数日も前から何度も何度も金星の話をされると私、気になります!


あ、すみません。あのアニメが気になるのではなくて(あれは評しようのない困った作品です、でもここでも向こうでも論評はしません)、惑星つながりでグスタフ・ホルストの組曲「惑星」が、です。あゝやっと本題だ(笑)、ということで、今日はサイモン・ラトルによる新旧の録音を聴きました。



はい、かたや駆け出しのしかし注目される若きサイモン・ラトルとフィルハーモニア管弦楽団による1980年12月の録音。もう一方は惑星の定義が揺れた2006年(覚えていますか~、けっこう話題でしたよ~)にリリースされたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との、同年3月の録音です。

演奏について評するのに「作曲者と同国出身ならではのー」とか言いたくないので(笑)、まずはベルリン盤のプロモーションでも御覧ください。少しは演奏も聴けますし。




いちおうですね、動画等は著作権を気にする派なので公式のもののみ紹介しますよ、今後も。皆さまのほうが詳しい場合も多いでしょうから、千葉の役目はまとめることかなと思っている、というのもありますが。

実演の印象なども加えた感触なんですが。ラトルはベルリン・フィルのポストについてから、オーケストラとのつきあい方が大きく変わってきているように思います。バーミンガム市響時代とも、ウィーン・フィルとの蜜月の時代とも違うし、就任前後のいささか堅い演奏ともまた違う、オーケストラの力を十分に引き出す、ある程度までは任せるけれど、自分が捉えている作品の「本筋」は絶対に外さない、とでも言えそうなやり方に。

千葉の捉えたラトルの演奏スタイルをおおざっぱに申しますと。一般にバーミンガム時代は自分が先陣を切って突き進む(ように見える)先鋭的挑戦的な演奏、ウィーンとは互いのアイディアを活かしあおうという協業的な演奏(この時期の録音が少ないのは、おそらく指揮者、オケの双方にとって損失であるし、何より聴き手にとって惜しまれるものです、エアチェック音源などから想像するに)をしています。
では、カラヤンのトップダウン時代、そしてアバドによる民主化(笑えない)を経た今、芸術監督としてはどのようにこの偉大なオーケストラと接するべきか。これはですね、さすがにラトルにとってもかなりの難問だったんじゃないかなって思うんです。就任からしばらくは一部の顔見せ的な盤を除いては録音もリリースせず、日本へのツアーもなかなか行わず(彼らのコンビでの初来日は2004年11月)。明らかに足場を固めていたんだな、って今なら思えます。
昨今の成熟した彼らの演奏は、かつてのバーミンガム時代のアップグレードされた再演でもないし、オーケストラの歴史とのケミストリーを演奏者も聴手もともに発見し合うようなものでもありません。それはですね、…

と書いてから長くなりすぎたことに気が付きました(笑)。ラトルの盤を新旧織り交ぜて紹介していく中でおいおい書かせていただきますね、期待したい方は期待して下さいませ。

この新旧の「惑星」では、リズム感と響きのバランスに圧倒的なセンスを感じさせる旧盤が、単純に好みで言えば好きです。このライトウェイトスポーツカーを振り回すが如き快感、いいんですよう。
しかし新録音のベルリン・フィル盤はコリン・マシューズによる「冥王星」、さらに「アド・ノストラ・プロジェクト」として委嘱された四人の作曲家の競演が楽しめるのも捨てがたい。それに何より、オーケストラとの距離感がこの時期から落ち着いてきたんじゃないかな、と思える音響的な充実はただならぬものです。なのでまあ、お好みでぜひお聴きくださいませ、どちらもそれぞれにいいですよ!というのが千葉の結論です。え?答え、出てませんか?変だなあ何がいけなかったんだろう(棒読)。

以上、「えっと、金星ってこの組曲の中のどの曲だっけ?」と今朝思っていたことはナイショのままこの辺で。ではまた、ごきげんよう。




上では国内盤SACDを貼りましたけど、輸入盤CDは安いです。廉いデス(繰り返し)。このへんの内外価格格差、ちょっと考えてみたくなるんですが、どうなんでしょう…
あと考えてみたらちゃんとスコアを追ったことがないな、と思ったのでいちおう自分用に、ドーヴァーのリプリントのスコアを。でもこれ、もうパブリックドメインなんですよね、考えてみたら(リンク先参照)。むむむ。

2012年6月4日月曜日

マリア・フォシュストローム アルト・リサイタル(5/25)の感想


こんにちは。千葉です。

先日伺ったコンサート、いろいろと触発されることも多くあるのですが、まずはそのレビューのみ先にアップします。速報の部とその影響の部、切り分けないといつまでもアップできないことに気がついた、のであります…無念。

◆マリア・フォシュストローム アルト・リサイタル

2012年5月25日(金)19:00開演

会場:洗足学園音楽大学 講堂

アルト:マリア・フォシュストローム
ピアノ:マッティ・ヒルボネン

曲目:

シューベルト:
  春の想いD.686
  鱒D.550
  糸を紡ぐグレートヒェンD.118
  君こそわが憩いD.776
  魔王D.328
  即興曲変ト長調Op.90-3D.899-3
ペッテション=ベリエル:
  待ち時間は特別なもの
  憧れは私が受け継いだもの
  君ゆえの悲しみ
グリーグ:
  六つのドイツ語の歌Op.48より
世の常、青春の日々、夢
  山の娘Op.67より
逢引き、小山羊のダンス、イェットレの小川で
マーラー:告別(「大地の歌」より、作曲者によるピアノ伴奏版)


え~、コンサートのレヴューをここから始めるのは無粋かとは存じますが。
こんなけっこうなものを、さらに歌詞付きマリア・フォシュストロームさんのエッセイ付きのプログラムまでいただいたのに、無料で聴かせていただけましたことについて、アーティスト側各位に加えて洗足学園大学さま、そして伊藤康英様に多いに感謝している旨、御礼申し上げます。昨今の貧窮生活ではこのようなことがなければ聴くこと能いませんでしたことは確実ですから、望外の機会をいただきましたことには本当に感謝しております。今日のレビューの範疇を超えてしまうので多くは書きませんけれど、ようやく歌曲の公演の楽しみ方がわかったようにも思えた昨晩の公演にはいくら御礼申し上げても言い尽くせません。

さてそれでは本編へ。
会場の洗足学園大学講堂は500名弱収容の小ホール、ですがおそらくは大編成を乗せられるようにと横幅がかなり大きく作られた独特の形状、音響はかなりドライ。そうですね、同じ大学のホールでもすこし前に伺った慶應義塾大学三田キャンパスの協生館藤原洋記念ホールなんかに比べたらだいぶ優しくない(笑)そう、音大の設備ですものね、細部までの聴取を容易にするためかも。なるほどぉ、と独り合点していますが真偽のほどはどうなんでしょうね(笑)。
あ、洗足学園大学の名誉のために申し添えますが、普通の公演用には近年作られた前田ホールという立派な設備がございますので、そちらはもっともっと優しい音響条件なんではないかと。まだ伺えてないので想像ですけど(笑)。

その音響、率直に言って声楽公演にはかなり優しくない、と思うのです。指向性の強い声という楽器を美しく響かせるのに、会場はあまり助けてくれない。実際、冒頭のシューベルト、二曲めの途中くらいまでは若干、演奏者にも客入れした会場でのベストの響かせ方が見つかっていないように感じられました(こちらが慣れていなかった可能性は否定しませんが、座席的にはかなりいい位置をとっていましたのでおそらくはそう見当違いではないかと)。ですが三曲目「糸を紡ぐグレートヒェン」からは歌については文句なし、よく鳴っていらっしゃいました。コントラルトの声域からイメージされる重さ、深さよりもむしろ輝かしいフォルテの美しさが印象的でした。ピアノについては蓋をフルオープンにして独奏した即興曲以降は音響的には問題なし、だったかと。

先ほどは文句ばかり言いましたが、講堂だからこそのメリットもあったんです。座席が机状になっているので、詩を読みながら聴くことに全く無理がないのはまさに僥倖、でした。実は有名なシューベルト作品にしてもそんなに馴染みがないんですよ、千葉は。「魔王」なんて通しで聴いたの、小学生の音楽の授業以来じゃないかなぁ…
で、ですね。マリアさんの歌を聴きながら詩を目で追いながら、しみじみと「これもまた語りものなんだな」、などと思っていたのです。演奏者の側で会場の感覚がつかめたように思えた「糸を紡ぐグレートヒェン」もそうですが、それこそ何役かを兼ね役でこなす一人芝居の如き「魔王」はもちろん、その他の一人称的なものもそうでないものも、ドラマの一場面のように受け取ることができて、ようやく自分に拭い難くある歌曲のコンサートに対する苦手意識が薄れた、かもしれませぬ。ピアノ独奏なのにシューベルトの即興曲はもう歌詞のない歌を聴いているような感じになってましたからね、少し自分、開発できたかもしれません。

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で、ですね。一番の目的はメインの、「大地の歌」の終楽章「告別」の、マーラー自身によるピアノ伴奏版です。そのために久しぶりに管弦楽版のスコアとか取り出して来ちゃいましたからね、けっこう準備しましたよ!(まさかそのタイミングであんな訃報が届くとは思っていなかったけど…それはまた別途)

今回のツアーパンフレットに掲載されている、ご存知前島良雄さまの解説より部分的に引用しますと「ピアノ伴奏による6曲の歌曲からなる壮大な連作歌曲として書き始められたが、途中からオーケストラ伴奏が並行して書き進められ、歌詞も一部書き換えられた」という過程を経て成立した「大地の歌」は、言うならばふたつの「正典」がある、特異な作品なんですね。その割にピアノ伴奏版があまり演奏・録音されていないのは、その「発見」が1987年だったからで、その後…という話はまた別途。

昨日演奏された「告別」は、普通の歌曲と言うにはあまりにも規模の大きい30分弱の大曲。オーケストラ伴奏でも演奏は容易ではないのに、ピアノ伴奏って大変じゃないの?っていうかこの曲の空気を長丁場を、二人で示すのは大変では?と思っていましたが、演奏を聴いての感想はひとこと、感心いたしました、です。オーケストラ版とは違う、しかし"本物"の「大地の歌」が確かに聴こえた、そう感じています。

オーケストラ版は、その小さからぬ規模の管弦楽との演奏ということからも、より大きな世界との対峙とでも言えそうな構図が前提的にあります。世界内存在の卑小さを知り、それを受け入れて生きていく個々人のドラマを一幅の山水図の中に見る、とでも言いましょうか。この「告別」も登場する個々人にとっての大事なれど、より大きな時の流れの中で何度も出来し、また巡りくるのだろう事柄に直面しているような不思議な距離感がある、と千葉は耳にするたび感じます。
それに対して先日聴くことができたピアノ版は、より生々しい、親密な対話を感じました。「世界」とでも言い換えられそうなオーケストラの超越的な伴奏とは違う、より個人的で赤裸々な。歌はほとんど変わらないのに、ここまで感触が変わるものかと、大いに感じ入り考えさせられるものでした。ことマリアさんの歌う「告別」であれば、オルガンによる伴奏で収録された素晴らしいマーラー・アルバムがあるわけですが、そこで聴くことができる歌唱ともまた違う、いい意味でより「感情的」な歌を聴かせていただいたように思います。


Maria Forsstrom/Mahler Songs [MRSACD018]

その歌に対峙するマッティ・ヒルボネンの雄弁さ、実に見事なものでした。率直に言ってしまいますが、独奏の即興曲でピアノの蓋を全開にするまでは音色にも表現にもどうも物足りなさを感じていましたが、それ以降はむしろ自由で踏み込んだ表現に感心させられることが多く、「伴奏」と書くのは申し訳ないように思える共演ぶりでした。特にもいわゆるお国もの、ペッテション=ベリエルの自由さは、初めて聴く作品を十分に楽しませてくれました。

ことマーラーについてはこれまたオーケストラ版との対比になりますが、オーケストラが醸し出すある種の客観性※とは明らかに異なる、より直截的に感情に訴えるピアノにより紡がれる音楽として、耳慣れたこの曲が慣れ親しんだのとは別の形で聴こえてきました。なるほど、もうひとつの「オリジナル版」は違う顔をしているのであります。

※この「客観性」は多人数で構成されるオーケストラという編成が持つ制約故にそのような表現にならざるを得ない、というところもありましょう。どちらが上だとかそういう良し悪しで書いているつもりはございませぬ。

ということで歌手とピアニスト二人によるマーラーは、まさに二人の「対話」として現れた「告別」はまさに音楽による対話、ひとつの別れのドラマとして受け取る事ができたように思います。であれば、その終わりのあと、拍手により区切られたあとにはアンコールがあってもよかろうというもの(笑)。
まずはプログラムでも演奏されたグリーグの「山の娘」より小山羊のダンス。歌もピアノも自由自在、でした。
そして何度かのカーテンコールのあと、楽譜を手にして登場したマリアさんいわく「9時までにこの会場を出ないといけないそうなのだけれど」と内輪のご挨拶の後、この公演に尽力された伊藤康英先生の「貝殻のうた」を歌ってお開きに。時間はたぶん、20時65分くらいだったんじゃないかな(笑)。千葉はささっと帰宅いたしました故、その後のことは存じませぬ、ご容赦のほど。

ということでコンサートの感想は終了。自分で見なおしてみてそうね、うん、「これならもう少し早くアップしろよ!」という内容でお送りいたしました。反省します…ではまた。




コンサート前後に触発されて、上掲の盤に加えてこれらの録音を繰り返し聴いております。オーケストラ版、ピアノ伴奏版、そしてシェーンベルク&リーンによる室内楽版。なんというか、「大地の歌」像が変わってきている、と思います。