2012年8月24日金曜日

生誕150年のその日に(了)


こんにちは。千葉です。

それにしてもあれですね、我が国も相当に愚かだと思っていましたが、以下自粛。こんな流れから武力衝突になったら後世に消えない汚名を残すことになると気が付かないものかしら…

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剣呑な枕はこれでおしまい(笑)。

決定盤主義というのはなかなか難儀なものでございます。好きなモノができたらそれを一心に愛でてりゃいいじゃねえか、なんて外からは思うところ、何故か気に入った曲ができると必死にいろいろな盤を聴いてみてはああじゃないこうじゃない、あそこの音符の扱いがどうのこうのいや楽譜の版そのものが違うのにそういう議論はどうのこうの。本人たちは楽しいからやってるんだからまあ、どうこう言うほどのこともないんでしょうがねえ。

咄ごっこもこの辺りで(笑)。千葉も大学に入ってからはいろいろと録音を漁ったもんです、それまで知らなかった世評の高いものから順に(音楽の評判というものの世評、あることすら知らなかったなあ、だって真面目な受験生でしたから)。アンセルメとかマルティノンとか聴いて、「なぜクリュイタンスはドビュッシーの録音をちゃんと残していないのか」とか「デュトワさんはいつ録音されるんですか?」とか思ってましたなあ…当時の世界にはマイナーレーベルはなかったんですよ、聴くべきは基本、赤青のレーベルのみ(大嘘)。ああ、でもそのレーベルでも聞く価値のない録音も(以下自重)。

Jean Martinon/Orchestral Works - Debussy, Ravel<限定盤> [CZS7044442]


今度非常にお安く出ますね、マルティノンのドビュッシー&ラヴェル。この情報を見て聴きなおしていたりします、これも刷り込み盤のひとつだなあ…


さっきのはさすがに言いすぎなのだけれど、でもその当時の世評には、確かにメジャーレーベルしかなかった、かも。世評というか、それを作っていると千葉が思っていた、「批評」では。基本的には「本場物」、またはそれに準じた演奏中心。どういう演奏なのか、という疑問には定番の紋切り型が並んじゃう感じ、エスプリがどうのこうの精妙なアンサンブルがどうのこうのラテン的な響きがむにゃむにゃむにゃ。正直言って何を示しているのかよくわからない、昔も今も。その頃と比べたら、最近はまだマシになっているのかもしれません、いわゆるレコ芸的な評も。いやあれか、印籠を心待ちにする時代劇と同じで、お決まりを楽しめればよかったのかな。それを初学者がしようというのは無理筋、無茶にもほどがあるけれど。

よくわかっていないままに多くを聴いて、そのうちに知ったマヌエル・ロザンタールの盤は個人的には衝撃でした、自分の知らない/レコ芸とかに載ってない演奏家の音楽がこんなに素晴らしいよ!って思いまして(笑)。ちなみにその時点ではまだ存命でいらしたロザンタール氏、オッフェンバックによるパスティーシュ「パリの喜び」の編者として知っていたものだから、もっと昔の人だと思い込んでいました。まあこの人、「音楽の教科書に載ってるから」という理由でビートルズはみんな物故者だと思っていたような物知らずですから、ご容赦のほど…

そして待望していたデュトワ盤を聴き、それまで存在すら知らなかったアンゲルブレシュトなど「作曲者ゆかりの」録音も聴き、そうこうしているうちにブーレーズ&クリーヴランド管弦楽団による録音が登場するわけですね、考えてみるとたかだか5年とかそれくらいの、意外と短い時間の中でのことだったか…趣味を深めるってのはそういうものかもしれません、いろいろ聴いたとは言っても対象が一曲ですしね。マーラーの交響曲に近づくのにはまた別の、手のかかるやり方が必要だったので、こうして鳥瞰できるようになるとなにか感慨深くさえありますです。しみじみ。

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この話の最後にだいぶ個人的な見解を。
ラヴェルや初期ストラヴィンスキーなどの名録音が好きだったから大いに期待して待っていたシャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団のドビュッシーですが。率直に申し上げて期待外れでした。その後の彼らのなりゆきを思わせる、とまでは言いませんが表面の磨き上げで終わってしまった感が否めず。
いま考えれば、ドビュッシーをワーグナーからの流れに位置付けるような視点に欠けていたように思われた、のかもしれませぬ。その独自性や透徹したセンスが評価されている作曲家にこういう言い方はないかもしれませんが、ドビュッシーは音響だけには還元し難いところがある、と言えるのかなあ…(では音響的洗練を極北まで極めたようにも思えるブーレーズはどうなのか、という話はどこまでも長くなりますからここではしませんよ)



この件はデュトワへの評価が変わっただけではなく、自分の中の「決定盤」「名盤」志向に対する考え方を動かしたように思います。また、「好きなあの演奏の何がどういいのか」を少しは言語化して考えるようになったきっかけのひとつ、かも。

なお、こんなふうにくさしてはおりますが、シャルル・デュトワとモントリオール響の仕事のいくつかは「決定盤」扱いされるだけの質があると思いますし、今でも好きな演奏もいくつかはあるのです。公共放送交響楽団さんはもっと彼に鍛え上げられるべきだったといまでも思っていますし(いまでも来るじゃん、と思われた方、客演とポストありでは、活動の中身がまったく違いますからね)。


こうして振り返ると若かったなあ、あのころは(笑)。この二回でつらつらと書いてきたことは、自分なりのクラシック事始めから1995年のブーレーズ・フェスティヴァルに至る道程は、いま振り返るとこういうことだった、となるのかもしれません。とは言いながら、この私的回顧にはバーンスタインが登場していないわけで、「自分語り」としてはいささかの不備がある、と感じているのですが、タイトルに偽りを生じさせたままこれ以上続けるのもどうかと思いますので(笑)、今日のところはこれにて。ではまた。


Desire-Emile Inghelbrecht/Debussy: La Mer, Images, Trois Chansons / Inghelbrecht [SBT1213]


昔「DISQUE MONTAIGNE」から出てたボックスはもう手に入らないのかしらねえ…

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