2012年9月30日日曜日

あらしのよるに(絵本やアニメではなく)

こんにちは。千葉です。

まさかというかなんというか、台風でテンションが上がる悪癖が歳をとっても治らないとは思ってもいませんでした、我ながら困った性分です。もちろん、深刻な被害にあったことがないからそんな気分でいられる、ということが分かる程度には分別もありますゆえ、ここをこんな天気の日に御覧の皆様にはくれぐれも外出等はお気を付けられますよう、と申し上げておきます。この台風がさらなる困難をもたらしませんように、悪しき何者かを連れ去ってくれますように。

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とか殊勝ぶってみても。聴きたくなる音楽がマーラーだったり(「こんな天気の日には」)ワーグナーだったり(さまよえるオランダ人、ヴァルキューレの第一幕)してしまう程度には不謹慎なのであります。そうそう、近く新国立劇場で上演されるブリテンの「ピーター・グライムズ」も「あらしのよるに」カテゴリに含まれるかな(そんな分類あるのか)。

でもねえ、この前どっかの来日公演情報を新聞の広告で見かけたから今はこれでしょう、動画をどうぞ。

と書いてから少し、著作権がうんぬんで気にならなくもない。どう見てもそもそもがTV放映のもの、それが何故か以前から流通していて(千葉はヴィデオテープで持ってる)、いま検索したらYouTubeには全部あるという…(笑)
まあ、迷ったけどさ、という言い訳はここまで。ご覧あれ、カルロスさん指揮ミラノの伝統あるオペラハウスによる、ヴェルディの歌劇「オテロ」全四幕ですわ!(ちょっとぼかしてみた)




この曲といえば、千葉はこれかアルトゥーロ・トスカニーニの盤しか聴かないですなあ…他の演奏も幾つか聴いてみて実演でも聴いて(ソフィア国立歌劇場と、スカラ座の来日公演を見た)、でもけっきょくコンディションがそんなに良くないものに戻っちゃうのはなんというか、少しばかり残念ではあるのだけれど。
(そういえばカルロスくんの若き日に同僚だったアルベルト・エレーデの盤は嫌いじゃなかった、ってあれも新しくはないですよねえ…)

冒頭の嵐のシーン、明日の朝とかに聴くとなかなか効果的ではないかしら(笑)。まあ、無事に台風一過したとして、このオペラはそこからドロドロのドラマが始まっちゃいますけど。

ヴェルディなら他にもそうですね、「リゴレット」の四重唱のところとか、本当に好きです。ヴェルディ生誕200年を迎える来年には、今までよりマシな評がなされますように、と思ってしまうヴワーグナーよりはヴェルディ派の千葉であります。さて140分か、いつ見ましょうかね…ではまた。




カルロスさんのまさにそのDVD、そして来日公演と同じプロダクションのDVD(NHKホールの奥の奥から見るものではなかった、音は意外に聴こえたけれど)、そしていわゆるトスカニーニ箱ですね。どれも手元にないなあ、あは、あははははは(泣)

2012年9月27日木曜日

穏やかで親密なヴィヴァルディ、いいですよ


こんにちは。千葉です。

前置きなしで行きましょう。まるで昔のような連日のコンサート、いい刺激になります。二日目はこちらでした。

◆新イタリア合奏団 演奏会 ~ヴィヴァルディを讃えて~

2012年9月26日(水)15:00開演

会場:すみだトリフォニーホール 大ホール

出演:

ヴァイオリン独奏:フェデリーコ・グリエルモ
フルート独奏:アンドレア・グリミネッリ
アンサンブル:新イタリア合奏団

曲目:

弦楽のための協奏曲 ハ長調 RV.114
二つのヴァイオリンと二つのチェロのための協奏曲 ニ長調 RV.564
ヴァイオリンとエコー・ヴァイオリンのための協奏曲 イ長調 RV.552
調和の霊感》より 4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲 ロ短調 Op.3-10
ヴァイオリン協奏曲集 「四季」 Op.8-1~4(フルート独奏による演奏)


新イタリア合奏団のヴィヴァルディづくし、東京公演の初日です。口の悪いイーゴリ氏は「同じ曲を数百回書いた」とか言ってしまってますが、どうなんでしょう。その作品のフォーマットに近いものはあると思うけど、個々の曲ごとに如何に趣向を凝らすかという点ではかなりのものかと。って、今さら千葉がヴィヴァルディを持ち上げる必要はないですね、えへへ。でもねえ、特に前半の「二つのヴァイオリンと~」、「ヴァイオリンとエコー~」の趣向はなかなか楽しめるものでした。前者は独奏者同志の丁々発止、後者は遠くに置かれたヴァイオリンがこだまとしてステージ上のソリストと対話するものでした、こういうのは実演じゃないと伝わりにくいですからね、うん。

新イタリア合奏団こと「I Solisti Filarmonici Italiani」の、モダン楽器を使ってはいるけれど古楽的な演奏は、今の千葉にはとても気持ちよく響きました。攻撃的にすぎないアプローチの、モダン楽器による演奏というのはいささか折衷的ではあるけれど、これはこれでよし。それが最近の千葉のいわゆる「古楽」、同時代アプローチを採用した演奏に対するスタンスかも。緩くなってきたんです、私(笑)。イル・ジャルディーノ・アルモニコとかアーノンクールのアンサンブルとか、それももちろん楽しいんですけどね、彼らのような穏やかな対話そのもののようなアンサンブルを聴くことの楽しさ、なかなか得難いものだと思います。
そう、アンサンブルは家族的といってもいいくらいに親密で緊密。リーダーのフェデリーコ・グリエルモからバッソ組まで、互いに勝手知ったるアンサンブルの楽しさは前半から好調そのもの。個々の曲の趣向を存分に楽しませていただきました。あ、でも尻上がりにさらに演奏が良くなった感もありますね。特に、アンコールの自由さはなんなんだろう。後述します。


メインの「四季」ではいつもはソロを取るだろうグリエルモがアンサンブルを引っ張る格好だったんだけど…フルートでこの曲を、という試みそのものは興味深いしなかなか楽しめたのですが、同時にオリジナルのヴァイオリンとの違い、特にグリップ感(笑)の違いは、若干この曲の印象とは異なる部分もあった、ように思います。私見ですけど。
独奏のアンドレア・グリミネッリは前にも一度聴いたことがありますが、細めの音で音の扱いは真面目な印象があったんですよね。実際この日も、アンサンブルに比べると硬さを感じさせる部分はありました。でもなにより、ですね。
変な言い方になりますが管楽器はハイデガー的な「先駆」をしてないとまともな演奏にならない、加えて彼はソリストとしてアンサンブルに対峙し対話し、時に彼らを引き連れて行かないといけない。まあ、ただアンサンブルに神輿として乗っかる、というのも手でしょうけど。昨日の演奏はですね、若干、アンサンブルに揉んでもらってた感じになってました。特に通奏低音組に遊ばれすぎです(笑)。チェンバロにテオルボ、そしてチェロバスの即興やアクセントでの仕掛けの数々に、「先駆」しないといけない管楽器だと反応できたりできなかったり、なんですよね。その点は、ちょっと惜しかった。ちょっとアタックが浅めだったりするのは、まさに自家薬籠中の曲で自由自在に振る舞うアンサンブルの仕掛けの前に、分が悪かったかも。とは言え彼も尻上がりによくなった、と思います。「夏」まではけっこう手探り感もありましたので…
でも個人的にはトゥッティにフルートが一本入った響き、まったくオリジナルでもないものだけどけっこう好きでした。興味のある方はまず、こちらの動画で少し聴いてみては如何でしょう、彼らの「冬」であります。


プログラムはそのフルート独奏版の「四季」までなのだけれど。その後アンコールが「アンサンブルのみ→フルートあり→アンサンブルのみ→フルートあり→フルートあり」と繰り広げられました。喋り出したら止まらないイタリア人かあんたらは(はい、そうだと思います)。ヴィヴァルディをずっと聴いてきてそのスタイルに馴染んだ聴き手にはもうごちそうというしかない二曲、これだけでもお腹いっぱいになれるのに、ソリスト付きでさらに三曲ですからねえ…
グリミネッリも編曲ものじゃない、オリジナルだとかなり楽に演奏できているようで、かなりのスピードで駆け抜けたバッハのバディネリはなかなかでした。
また、彼らがモダンと古楽を往還できるアンサンブル(楽器を持ち替えたらL'Arte del Arco、そのまま古楽アンサンブルになりますからね!)であることをこの上なく雄弁に示したロータの「ガブリエルのオーボエ」(映画「ミッション」より)の艶っぽいこと!それまでの「節約されたヴィブラート」による丸い響きもよかったけれど、嫋々と歌うさまもまた良い。これもまたイタリアの歌、なんですなあ…
そして最後に「ニッポンのまったく知られていない歌を」と言って始まったのが成田為三の浜辺の歌。ああ、知らなかったわこんな綺麗な曲っておい!

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でもね。最後にひとつだけ言わせてほしいの。
私の隣の人達がさ。メインプロが終わったらすっかりくつろいじゃって。アンコールの最中は喋ってもいいマイルールを採用したのかなんなのか、演奏中にぼそぼそとお話になっておりましたの。聞こえるっつーの。そんなルールないって。ありませんから。

でね。最後にね。「浜辺の歌」でね。しくしく。
ええ、私も思っていましたわ、彼らったらまるでのど自慢ですわ歌い出したら止まらない、なんてね。でもね。いくらサーヴィスでみんなの知ってる曲を演奏してるからって、合わせて歌いださないでよ!もう動揺するわこっちが!コンサートのマナーとかそういうレヴェルじゃないよそれ?
アットホームな彼らの雰囲気がそうさせた面がある、とか言えないこともないけれど、さすがに自重しましょうよ。お願いします後生ですから。
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ふう、なんとか午前のうちにアップできました、一安心。今晩もすみだトリフォニーホールでは別プログラムでの公演がありますし、29日(土)にはまた別の「オール・ヴィヴァルディ」のコンサートが横浜みなとみらいホールで行われます。ああ、そっちはグリエルモの独奏で「四季」なのか、むむむむむ。

ともあれここまでで昨日のコンサートのレビューはおしまい。なお、以後のコンサート出没の予定は、ありません。無念。ではまた。


ラーンキの音が言葉にならない


こんにちは。千葉です。

コンサートのレビューや読書の感想、溜めるとなかなか出てこなくなる悪い癖があります。下書きをいじってある程度できると満足しちゃってアップしないとか、あるんですよたまに…後で抜けがないか確かめよっと。

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そういうわけでどういうわけで、行ってきましたコンサート。以下ざっくりとしたレビューです。

◆デジュー・ラーンキ&エディト・クルコン ピアノ・デュオ・リサイタル
~ドビュッシー生誕150年スペシャル・プログラム~

2012年9月25日(火) 19:00開演

会場:Hakuju Hall


ピアノ:デジュー・ラーンキ、エディト・クルコン

曲目:

ドビュッシー:
  牧神の午後への前奏曲 〈四手〉
  六つの古代碑銘 〈四手〉
  小組曲 〈四手〉
  白と黒で 〈二台〉
  リンダラハ 〈二台〉
  夜想曲 〈二台〉

白寿ホールは千葉はこれで二回目、ピアノで聴くのは初めて。前回は「古楽アンサンブルとソプラノ、それにダンス(加えて若干のプロジェクション)」という攻撃的な(笑)公演でしたから、普通のコンサートは初めてと言うべきでしょう。だから、というわけでもないんだけど。このホールの独特のサウンド、なかなか面白いですね。どんなに二台のピアノが低音を鳴らしてもサウンドは頭に、というか上半身に直接響く感じ、足元からは音が来ないんです。そのせいかどうかはわからないけれど、椅子の座り心地よろしきこととあいまって不思議な安らぎがあるんです。もうあれですよ、仕事帰りに慌てて寄った日にはもう。

そんなホールでですね。いきなり「牧神の午後への前奏曲」(ラヴェルによる編曲1910、元曲は1894)から「六つの古代碑銘」(1914)に繋ぐなんてあれですか、このホール自慢のリクライニング・コンサート状態でも作り出したいんですか(笑)。クルコンが牧神のあの有名な冒頭の旋律を弾き始めてからしばし、恍惚というのも変なのだけれど、しばし明晰な認識を旨とする私(いちおう(笑)なしです)にはあるまじき、ただ聴こえてくる音に変わりゆき響きに耳を澄ませるだけの状態でした。なんなんでしょうね、あの音は…一つの旋律から響きが広がっていく感覚、それをただ受け入れるだけというか。なおこの二曲は奥様が上声、ラーンキが低声側でした。
席替えをして前半最後の曲が小組曲(1896)。いやあ、愉快愉快。二人でひとつの鍵盤をシェアする窮屈さも感じないし、「夫唱婦随」なんて言いますけどこのお二人はどちらがリードでどちらがついていく、みたいな役割分担ではなく、まさにわかっているとおりに演奏されているような自在さがこの曲に合うのなんの。この時期はまだそれほど影響を受けていないはずのジャズにも似たノリの良さ、実に痛快でした。


で後半、二台ピアノの時間です。舞台前方に奥様、奥に旦那さまの配置。
はじめの二曲は「白と黒で」(1915)と「リンダラハ」(1901)。不勉強にももしかしてはじめて聴いたかな、私。二台ピアノの録音はたしかベロフとコラールのものが何枚かあるだけ、だと思うので…(だから言ってるでしょ、ピアノは得意じゃないんです)でもですね、この二曲は面白かった。「白と黒で」はプーランクにつながる線が見える様だし、「リンダラハ」はあたかもセッションの様なノリノリの演奏が素敵。あとタイトルからかってにイメージしていたパリ万博由来のエスニックな響きも、あったように思ったけど気のせいかなあ(自信なし)。だって解説を見るとスペイン云々あるもので。しくしく。
そうそう、後半の二台ピアノ、やっぱり連弾、一台のピアノに四手よりも場所が広いからか、二人とも弾きやすそうでしたよ、アクションも大きめでした(笑)。あと、これは書いておかなくてもいいんだけど。このあたりで感じたんですが、奥様のほうがリードされてるのかな、というか、ラーンキが付き従っているというか、だんだんわかってきたような(笑)。ステージの出入りにもクルコンの意志が最優先されてましたし。うん、そういう夫婦なのだな、と思うことにします(笑)。
そしてコンサートの最後はこれまたラヴェル編曲による「夜想曲」(1910、元曲は1899)。この頃になるともうこちらもホールに慣れてきますし、なにより勝手知ったる作品ですよ。もうただ身を任せて楽しませていただきました。あまりにノリノリすぎて、演奏が終わったことに一瞬気付けないほど集中できたのは、お二人の演奏もさることながらラヴェルの編曲がいいんだなあなんだろうこの違和感のないアレンジは、と何度となく思わされました。

アンコールはなく(奥様が、あのう、まったくその気がないようでした)、演奏会は何度かのカーテンコールでおしまい。ドビュッシーの響き、だけじゃない音楽を楽しませていただきました。ごちそうさまです。

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これは本当に余談というかなんというか。
あのう、ピアノの演奏会はそれはもう、数限りなくありますが(誇張ではないと思います、こと首都圏だけ見ても)、四手/二台ピアノをメインに据えた演奏会はそうありません。少なくとも、このレヴェルで聴けるものは。そしてドビュッシーの記念年にその作品をまとめて演奏してくれる演奏会だったのに、場内満場とは言えない感じだったのは、いかにももったいないことでした。最近、Twitterなどであまりお客さんの入っていない公演があるような雰囲気は感じていましたけど、それはチケット代の高騰やいわゆるミスマッチの類かなと考えていたので、この演奏会でこの反応は少し残念です。東京都内くらいでしかこういう考えられた企画公演には出会えませんのに、あまり求められていないのかしらん。難しいわねえ…個人的には、何人かの絶対に聴きたい音楽家の公演以外にはこういうコンサートに反応する方ですので、なんとか、こういう公演がうまくいく世の中であってほしいなあとぼんやり願うのでした。

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なお、先ほどは「こんな公演は都内くらいでしか」と書きましたが、彼らの演奏会は9/28に京都で、同じプログラムで行われます(まあ都ですかね←おい)。興味のある方はぜひ。また、デジュー・ラーンキのリサイタルは10/2に浜離宮朝日ホールで行われます。聴きたいなあ、あの音でシューマンとか。いいに決まってるじゃないですか。
なんというか、千葉の語彙だとうまく形容できないのですが、とても純粋に音楽が入ってくる、そんなピアノを聴いたように感じているのです。絶対に録音には入らない、でも間違いなくそこにある美しいものを聴くことができた、ような。いやはや、実演はいいですね、刺激になりました。
ではとりとめなく〆もなく本日はこれにて。もうひとつ、行ってきたコンサートの話はあす午前中にでも。ヒントはリンク先です(笑)。ではごきげんよう。



浜離宮朝日ホールのサイトで岡田暁生さんが言及されてるのはこの盤でしょうかね、ちょっと見逃していた感がありますです。

2012年9月24日月曜日

ようやく生誕150年が祝えます(笑)

こんにちは。千葉です。

先日、ドビュッシー展を見てきたんですよ。正式なタイトルは「ドビュッシー 、音楽と美術 ―印象派と象徴派のあいだで」、詳しくはリンク先をご覧あれ。会期も押し迫ってようやく、という感じではあるけれど見られてよかったです。

そうですね、少し詳しい感想はまた後日。その前に一個だけ。「ドビュッシーはアンチ=ワーグナー」(大意)という説明はそれでいいんだけど、音楽的には影響を十分に受けてるんじゃないかなあ。先行者の手法を意識的に回避しまくる、というのは先行者の影響をある意味では一番受けていると思うのだけれど。などなど、ところどころの解説文が過剰にドビュッシーの独創を強調しすぎていたように思いまして、いささか引っかかるものがあるのでした。でも一見の価値は間違いなくありました。
簡単に絵画作品についてふたつ。まず、カンディンスキーはあれしかなかったのかなあ…と、彼の作品が好きな千葉は残念でした。かなり自己模倣に入ってしまった時期のコンポジションを、他の画家の充実した作品に並べられるのは少し不憫でありますです。もうひとつ、常設展の中にあった岡鹿之助さんの作品がよかったです。一見でお名前を覚えちゃうほどには気に入りました。

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それはさておき。あす、コンサートに行く事になりまして。タイムリィにもドビュッシー・プログラム。以下その公演概要です。


◆デジュー・ラーンキ&エディト・クルコン ピアノ・デュオ・リサイタル
~ドビュッシー生誕150年スペシャル・プログラム~


2012年9月25日(火) 19:00開演

会場:Hakuju Hall


出演:

ピアノ:デジュー・ラーンキ、エディト・クルコン

曲目:

ドビュッシー:
  牧神の午後への前奏曲 〈四手〉
  六つの古代碑銘 〈四手〉
  小組曲 〈四手〉
  白と黒で 〈二台〉
  リンダラハ 〈二台〉
  夜想曲 〈二台〉

全席指定 6,000円

これで四手または二台ピアノ用の編曲作品(「さまよえるオランダ人」序曲とかね!)が入っていたら完璧の上を行くだろう、というくらい充実したピアニスト二人によるドビュッシー・プログラム。これでようやく生誕150年が祝えます、本当に。録音を聴くだけだと盛り上がりに欠けますからね!(目が真剣)

デジュー・ラーンキはいわゆるハンガリー三羽烏の一人。もう言いませんね、あはははは…

年を感じて疲れてる場合じゃありません(笑)。バルトークを好んで聴いていれば、言語的な音楽の扱いをしたフシのある彼の音楽を、その言語を使える人の演奏で聴いておきたくなるものです。であれば千葉の手元にももちろんあるわけですよ、アダムとイヴァンのフィッシャー兄弟によるオーケストラものや、シフ、コチシュのピアノ録音が。でもねえ、ラーンキは驚くほど録音が少ないんですよね。キャリアの初期にDENONに何枚か録音しているほかは調べてみたけど見当たらない。結果これまで馴染みのなかったピアニストですから、あすはようやくお目もじ叶う、といったところであります。なお、エディト・クルコンは奥方でいらっしゃるとか。なるほど。

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ちょっと余談なんですけど、最近考えていたことが明日コンサートを聴いたらまとまるかも、という予感があるので今のうちに書いておきます。

千葉はけっこうピアノ音楽が苦手なんです。幼少のみぎりに習う機会がなかったゆえの劣等感もある、これまではそのせいだと思って来ました。でも最近考えてるんです、それ以上に録音だとピアノのポテンシャルを拾いきれてないから、録音からではピアニストの表現を細部まで感じ取れていないから、聴いていても面白くないように感じたり、飽きてしまったりするのではないかな、と。

幸運にもこれまでポリーニやエマール、グリモーにラン・ランほか他多くの本物のピアニストを聴く機会がありました。彼ら彼女らの演奏はほんとうに面白い、こんな面白い曲があるのかと思って家で聞いてみるとそれほどでもない…そんな経験もまた、コンサートを聴いた回数に近い数だけ経験してしまっています。特にピアノ・リサイタルのあとに「もしかしてショパンって面白いのね!」「リスト、いい!!」と思ったあとには、ほぼ確実にこんなちょっとしたガッカリ感を味わって来ました。だから、というのは言い訳なんだけど(笑)、ピアノ音楽には疎いままなんです千葉は。

なのですが、最近になって「ピアノのダイナミック・レンジってもっと広いよねえ」「パソコンのキーボードじゃあるまいし、タッチだってこんなに均一なわけないじゃんねえ」などなど、ようやく過去の経験がフィードバックできてきたような、そんな気がしているのです。ピアノを演奏される方ならすぐにもわかるようなことを、こんなに時間をかけてわかったような気になるのだからなんともはや、独学の偏りというのは救いがたい部分があるものです…いや、それ以前にこの認識が間違いかもしれませんが(笑)。


ともあれ、そんな小理屈抜きで、あの内装が独特な白寿ホールに満ちるだろうドビュッシーの音を楽しんできます。いい演奏会になりますように。ではまた。

2012年9月20日木曜日

李雲迪氏の来日中止は残念だ


こんにちは。千葉です。

先日のブリテン「戦争レクイエム」とジョン・ケージの番組の話、近いうちに書きますね。まだご覧になっていない方、ハードディスクから消しちゃう前に一回は見てくださいね、どちらもなかなか興味深いものでしたので。

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昨今の政治やら国際情勢について、もちろん千葉なりに物は思うし考えもする。でもその辺の話は基本、向こうのサイトに書くことにしているし実際そうして来ました。ですがまあ、事象としてみればクラシック音楽の領分に他ならないこの件はこちらに書くしかない、残念なことだ。

本日、クラシック音楽、舞台芸術のジャンルでの最大手マネジメント&招聘元であるジャパン・アーツより以下の発表がありました。

◆ユンディ・リ 来日中止のお知らせ


文面から察するに、かなり明確に政府レヴェルでストップがかかったように思えます。ごまかす気のなさがこんなに明示されたキャンせるのご案内は初めて見たかもしれない。いやいや、千葉の忖度はともかく、来日直前の公演中止は如何にも非常事態、現下の日中関係の悪化を否応なく示してしまっています。千葉はあまりピアノ音楽が得意ではないので今回の来日を特段楽しみにしていたわけではないけれど、それでもこの公演に彼が特別の思いを持って臨むだろうことは察していました。だって、ベートーヴェンをメインに据えたごまかしようのないプログラムをもって、ファンも多ければ耳の肥えた音楽愛好家も多い(いまでも好んでCDを買って聴くような!)東京で公演を行うこと、ただの出稼ぎ公演とは位置付けられませんよ。それはどんな名門オーケストラでも楽器の演奏家でも同じです。
ちょっと話が本筋から逸れますけど書いておきましょう。地方出身者だから残念な思いを持ちつつ実感を持って断言しますが、東京での、それもサントリーホールやオペラシティなどの音響的にも優れた都心部の会場で行われるコンサートには、特別な雰囲気があります。地方公演にはまた別のよさがあるのですが、それはまた別途。ツアーの頂点をなすような特別な演奏会を求める音楽に通じた聴衆、その雰囲気を感じて奮い立つ演奏家、その出会いだけが生み出せる特別な空気、それはある意味では19世紀の芸術宗教を正統に継いでいるのではないかと思うものです。最近は行ってませんけど(笑泣)。
そんな意味付けはプロモータのみならずアーティスト本人もわかっていたことでしょうから、今回その機会が失われたことの意味は察するにあまりあるものです。もちろんその落胆も。それが本人のアニヴァーサリーでもあるような公演であればもう、かける言葉が見つかりません。無念。

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というのが、このブログ的視点での、つまり音楽方面から見た今回の突然の来日キャンセルの残念さ。でも今日はそっちはあまりメインじゃあ、ないんです。趣味じゃないけど忖度まじりの憶測をします。外交って定型の言い回しを駆使して言質は与えずしかし両国の関係をマシな方向にし、その中でも自分たちの得られる利益を最大化するよう努めるもの、でしょうし。

きっと、日本でも人気のピアニストを「危険が想定される」ところに送りたくない、という比較的穏当に敵意が示せる言い方で、彼らはこのキャンセル以上の意味合いを含ませているように思います。率直に感じたままを書けば、「これは手始めで、あくまでも小手調べです」とでもいうような。そう、芸術が文化がどうこういうことに重きをおいた判断ではない、あくまで交易としての側面での判断かな、と見るのです。日本で本当に彼の身辺に危険が!と思っているわけではない、のではない、けれどこういった出し入れはどうとでもできてしまうことをお忘れなきよう、と。それに使われてしまい大事なコンサートになり得た機会を失った李雲迪氏の残念さ、そして彼の来演を期待していた少なからぬ音楽ファンへの配慮の上の層、もっと身も蓋もない直接的な力関係の提示。

まあ、わかります。今回の二国間関係の危機は(残念ながらもう「悪化」ではないと思う)、まずは石原慎太郎くんがなぜかアメリカのシンクタンクであるヘリテージ財団で「都が尖閣諸島を買い上げる」と発表したことに端を発した一連の流れであり、その中で日本は驚くほど自閉的な対応を続けてきた。やれやれ。
いつも思うんだけど、大使を召喚してしまったら、日本の意志は伝えられないってこと、わからないのかしら。なお、かの国の事情は忖度するには複雑すぎるので、ここでは踏み込みませんよ。共産党大会を前に現在の上層部と次世代の有力者たちの政治闘争がある、世代や階層に応じて振舞いには相当の格差がある、反日という看板の元に違う主張をしている層が少なくなく見受けられる(薄煕来氏をめぐるかの国の思惑は生かじりでどうのこうのという気にはならない複雑さだ)、職業的活動家の動きが尖閣諸島上陸時から見受けられる、などなど変数が多すぎるし、自国のことでない以上それなりの実感をもって語るには情報が少なすぎる。この程度の認識でも書ける、誰かの口真似なら千葉が書くこともないでしょう?(笑)

そこまでは想像がつくし一定の理解ができる。問題の大小によらず見解の相違があっても、そこまでは感情的な拒絶の前に認識しないと。ある程度の理解をお互いにして、それでも残る見解の相違をどう折り合いつけていくのか。それが外交で、その影響の一端として今回の件がある。うむ、ここまでは理解したよ。


でもなあ、って思うわけですよ。民間の交流ルートを閉じるのはどうなんだろう、と。正式な国交では難しい部分を補完してくれるかもしれない可能性としての民間交流を閉じてしまうことで、硬直した外交的やり取りが二国間のすべてのやり取りになること、少なくとも昨今の雰囲気を考えるとあまり得策とはいえないような。ことクラシック音楽の分野って、行動的な国士様との相性があまり良くないような気がするからこのルートを活かしておいても危険は少ないように思うんですけどね(笑)。ああ、でもこれが平和ボケである可能性もあるか、むむむむ。難しいですね、やっぱり。
いろいろと言ってきましたけど、考えてみればピンポン外交のお国でいらっしゃったわけじゃありませんか、中華人民共和国は。民間ルートの活用、考えていただけるといいなあ、全人代が終わればその可能性が出てくるのかしら。現在はネットなどの形で完全に交流を塞ぐことは難しいから、そんなに難しく考えなくてもいい、のかもしれないけど、最悪の最悪まで考えておくことはムダにはならないのではないかな、とか思う次第なのでした。

ううん、なぜかこっちでは公演中止のお知らせを書くことが多いな私(笑)。まあいいや、あまり考えないでいこうそうしよう。
微妙に世界へ情報拡散に貢献する当ブログ(笑)としては、最後に2013年1月来日予定のある同じ中華人民共和国の誇る若きピアニスト郎朗くんのチケット先行発売が今日から始まっていますね、と世間話をして〆ましょう(笑)。来年の一月には収まってるんですねこの険悪な状況、よかったなあ(望遠)。では。

追記:李雲迪さんことユンディ・リ本人からのメッセージがジャパン・アーツのサイトにて公開されました。まあ、基本的に同意であります、ここに書いたことを変える必要はまったく感じませんでした。またの機会を、と思うのみです。



あ、演奏の話をヒトコトもしてませんね(笑)。ユンディは残念ながら聴いたことがないのだけれど、ラン・ランは何度かコンサートで聴いています。あれだけ弾けるって、それだけで圧倒的なんですよね、きっと19世紀的ヴィルトゥオーゾ路線を極めることができる人なんじゃないかなって期待してます。DVDのリンクを貼ったのは何も顔芸以下略。

2012年9月16日日曜日

ネルソンス&CBSOの戦争レクイエムですと!

こんにちは。千葉です。

昨日の東京交響楽団の演奏会の感想をツイッターで散見しているうち、どうしても聴きたい気持ちが抑えがたくなって来ました。東響は前にキタエンコとの第七番でも良いショスタコーヴィチを聴かせてくれましたし、あの新国立劇場「ムツェンスク郡のマクベス夫人」も彼らでしたよね。あれはいいものだった、のに収録とかディスクでリリースとかないんですよねえ、残念。

スダーン監督のもとアンサンブルの向上した彼らが、ロシアのマエストロを呼んでいいショスタコーヴィチを演奏するというのはなかなか素敵なことだと思うし、演奏される曲が交響曲第四番ではなおのこと。どうしよう、無理に無理を重ねるべきだろうか…

と、迷いに迷う昨日からの千葉であります。明日開催の、東京交響楽団川崎定期演奏会という名の横浜みなとみらいホールでの公演、興味ある方はリンク先で詳細をご覧くださいませ。ソリストのデジュ・ラーンキを招いてのモーツァルトも好評のようで、もうどうしたものかと(以下苦悩混じりの繰り言がエンドレス)

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えっと、その前に今晩、大いに気になる番組がありまして。ショスタコーヴィチが呼びましたかね、交流のあった作曲家ベンジャミン・ブリテンの生誕100年を前にこんな番組が放送されます。さっき知りました(遅い)。

◆NHKBS プレミアムシアター
◇初演50年 コヴェントリー大聖堂の「戦争レクイエム」【5.1chサラウンド】
◇生誕100年記念 ドキュメンタリー  ジョン・ケージ/音の旅 【5.1chサラウンド】
◇ザ・ジョン・ケージ

先日ですね、Amazonさんでお安く買えたんですよ、ブリテンの「戦争レクイエム」のスコア。中古ということだったのですが特に使い古し感もなく、それでなんとお値段は驚きの1,000円程度。いいお買い物したなあ…

それで気をよくして、というのは半分冗談ですけれど、以前からもっとわかりたいと思っていたこの曲を、久しぶりにスコアを眺めつつ聴いたりしていたところだったのです。
でそのタイミングで「初演50年」記念演奏会の映像が見られるとは何たる僥倖!とまでは叫びませんが、先日ラインスドルフの話でも書きました通りこの曲は映像で見たほうがわかりやすい、受け取りやすいところがあると思うので、今晩はちょっと無理をして見てみるとしましょうか…

なお、残念ながら千葉はジョン・ケージについては何も申し上げられませぬ。というのも、ピエール・ブーレーズの書籍からいわゆる現代音楽を知り学んだがゆえのバイアスが自分の中に根強くあったため、ケージを聴く機会を作れないでここまで来てしまった感が否めないから、なのです。こういう番組でその先入観を払拭するのがいいのですけれど、放送時間がねえ…


早く録画できる身分になろう、と思ったところでひとまずはおしまい。ではまた。





2012年9月11日火曜日

今日はエーリヒ・ラインスドルフを、ぜひ。

こんにちは。千葉です。

また感覚が開いてしまいました、なんとか向こうは更新しているのですが…いちおうはまともなことを書こうと思うと手が進まないというのはあれですね、かなりマズイですね、えへへへへ(軽すぎる反省)。

後ろを向いていてもしかたがないのでサクサク本題へ行きましょう。

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今日はエーリヒ・ラインスドルフの命日だとのこと。1912年2月4日生まれで1993年9月11日生まれ、ということはホブズボームの言うところの第一次大戦で始まり冷戦の終了で終わる「短い20世紀」をほぼ丸々生きた格好ですね、ふむふむ。
だからというわけではないのでしょうが、残された録音を聴く限りでは実にモダンな演奏が今聴いてもあまり古さを感じさせないのがいいです。実に。この盤はちゃんと紹介しておきたいな、と以前から思っているのがこちら。


交響曲が全集でないのはほんとうに残念ですが(第一、四、七番が収められてない…)、彼がボストン交響楽団と残したプロコフィエフ録音全六枚、最近リマスタされてお安くなってリリースされてます。交響曲が四曲、ピアノ協奏曲はジョン・ブラウニングの独奏による全集、加えてフリードマンとパールマン独奏のヴァイオリン協奏曲、そしてバレエ音楽「ロメオとジュリエット」抜粋に「キージェ中尉」組曲が収められてます。

これはねえ、演奏の水準だけで見れば東のロジェストヴェンスキー盤とタメを張れる西側の番長なんじゃないかなあ…と思えるものなんです。実にモダンな、切れ味が素敵な演奏なのでもっと聴かれるといいなって思うわけですよ。
交響曲のうち比較的知られた第一、第七番がないのは惜しい、またある意味でプロコフィエフの活動の頂点をなしている第四番がないのも実に惜しい。原典版を取るのかそれとも改訂版を取るのか、など見所の多い曲だけになお惜しい。もったいない。しかしそれでも、このボックスに収められた一枚目、交響曲第二番と第六番を聴くためだけにでも、ぜひ聴いていただきたく思うほど、充実した演奏が収められてます。ほら、最近のボックスって昔のフルプライス盤よりお安いじゃあありませんか、騙されたと思っておひとつ、どうすか?(笑)

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他にも彼の録音は手元にあるので、もう少し聴き込んで紹介したいと思います。千葉はいわゆる「新即物主義」扱いされて結果軽んじられた感がなくもない20世紀の演奏家の皆さんに、大いに敬意を抱くものでありますゆえ。

最近ようやくスコアを手に入れて学習中のブリテンの大作「戦争レクイエム」は彼が合衆国初演をしているんですよね。そしてその映像が残されている、という僥倖。




こちらはその大作の終結部だけですが、YouTubeでご覧いただけます。個人的には、この曲ならではの仕掛けが生きる部分を見せてほしいなあ、なんて思うところだけどそれは買ってみなさい!ということですねわかりましたごめんなさい。



なんとなく買うタイミングを逸し続けているこの盤、そろそろ買いどきかなあ…舞台上の配置とか、映像で見たほうが理解しやすいことも多いんですよね、この作品。

1962年5月30日に初演された作品を、その約一年後の1963年7月27日に合衆国初演したタングルウッド音楽祭での演奏会を収録したものです。20世紀中盤の新作初演に対するこのあたりのスピード感に感心させられること、多いですね。その辺りの観点から再評価されるべきマエストロ、多いと思うんですよ、同じくアメリカ亡命組でオーマンディとかオーマンディとか。まあその話はまた別途。

彼の録音はまだそれほど聴き込めていないけれど、独特の険のようなものがなかなか、魅力的なのでまた機会を見つけて紹介しますね。それこそ、マーラーは前に取り上げたんだったかな…

とりあえず今日はこんなところで。ではまた。


Erich Leinsdorf/Mahler: Symphony No.1; R.Strauss Till Eulenspiegels lustige Streiche [ICAD5051]


あれ知らぬ間に、という感じですがこんな映像も出ていたのですね。むむむ。