2012年12月12日水曜日

この季節、この作品は如何か(提案)

こんにちは。千葉です。

ここ最近の内外の20世紀の、または昭和の偉大な才能の訃報の連続に、否応なく時代の変わり目を生きていることを再認識させられております。この20世紀≠昭和であること、前から考えていることがあるんだけどなかなかまとまらなくて、なんともはや。

訃報のうち、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ、そしてリーザ・デラ・カーザについては後ほど音盤でいま一度かつての歌を楽しませていただいたあとに、何か書くと思います。お二人にはそれぞれ違う方向でオペラについて目を開かせていただいたと思うので。

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千葉はこの季節になると、正直に申し上げてテレビをつけているのが苦痛です。いやもう少し正確に申しましょう、民放テレビをつけていることが、苦痛です。それも深夜枠などではなくいわゆるいい時間帯、夕方からニュースの時間帯まで。あのう、ベートーヴェンの交響曲第九番 ニ短調 作品125の断片を、CMで効果音的に使うの、禁止したらいいんじゃないですかね。あとヴェルディとモーツァルトのレクイエム、あと(以下延々と続く)。

何もこの作品が嫌いだから言ってるんじゃないんです。それなりに音楽が聴けるようになったころ、実演(というか、リハーサルだった、仙台フィルの裏方)でその終楽章の構成が「わかって」、それ以来作品には敬意を持って接するようにしております。年に何度も聴くような曲ではないし、部分だけでその作品がどうのこうのと言えるものじゃない、そう思っているのです。それがなんですかこのお国の広告は。一楽章も二楽章も、そしてフィナーレも切り刻んで都合よく効果音にしてしまう、それも自分では面白いと思っているのだろうけれどあまりに安易で思いつきの枠を全く出ていないやり口で。作中で好きな音楽が使われるだけでその強烈なアイロニィに苦悶させられるキューブリック並みの手が思いついてから使えってんだコンチクショー。

はっ。手が暴走いたしました、すみません。何よりこれ、本題じゃないんです(笑)。

12/11にTwitterで認識したのですが、なんでもその日はエクトル・ベルリオーズさんのお誕生日なのだとか。えっと、1803年生まれだと、189年目?(はんぱ過ぎ)

じゃあさ、季節柄もいいしお題としても適切なんだからさ、この季節には彼のオラトリオ「キリストの幼時」を聴くのはどうかな!(提案)


そもそもこの作品、友人をかつぐために作曲された小品を「架空の楽長ピエール・デュクレの作品」として演奏、好評を得た後ベルリオーズの作品だと明かしたという、いわゆるドッキリ的手法で発表されたものから生まれた、なんとも評しがたい素性の作品なんです。その冗談から全三部、「ヘロデの夢」「エジプトからの逃避」「サイスへの到着」というキリストが生まれる前後のエピソードを音楽化したもの。それも、ネタでありながらそれなりに時代を意識して古雅な趣のある作品にしあがってるんですよこれ。いいですよ、なかなか。


え?ご存じない?部分も聴いたことがない?それはもったいないこと、今探してきたこちらの動画でもまずはご覧くださいな。5分弱、合唱中心の雰囲気のある映像です。




ベルリオーズって言うとあの有名なカリカチュアのせいもあってか、やたら巨大な音楽を書いた人扱いされやすいですけど、それは時代がそうさせた面もあるわけですから彼一人をネタ使いするのは正直、どうかなって前から思っていたんです。同じフランス革命期の作曲家なら、ゴセックとかけっこう、アレですよ?(笑)

それに、その幻想交響曲にしたって第一から第三楽章まではそんなに大編成でもありませんし(四楽章までテューバは出番がない!)、音楽の作りにしてもいささかプロットだよりの力づくの展開だとしても、そんなに時代からかけ離れたものではありますまいし。むしろこの曲で気になるのは、舞曲などではない無形式の作品を意味していた「Fantasie」(モーツァルト晩年のクラヴィーア曲とか美しいですよね)がいわゆるホフマン風の幻想になっていったのか、っていうか日本だとその辺あまり切り分けて考えてないんじゃないかなそれでいいの?ということですね(一文が長いって)。

ともあれ、この作品でベルリオーズは、劇的交響曲「ロメオとジュリエット」がそうであるように断章によりひと続きのドラマを描き出しているように思います。救世主が求められただけの事情があったその時代を落ち着いた響きで聴かせてくれる、隠れた名作なのではないかと。というか、クライストマスだと思ってんならこういうの聴きやがれコンチクショー(あ、また指が)。

もし全曲で聴くなら、このへんがオススメかなあ。




左はいわゆる古楽器演奏、千葉としては同時代アプローチと言いたいスタイルによるもの、中はモダン楽器によりヴィブラートを控えた(演奏技法の一つとして濫用を戒めた)「ピュアトーン」スタイルによるアプローチ、そして右はバリバリの20世紀モダンスタイル。三者三様お好みでどうぞ、千葉はいつも聴いているのは左のヘレヴェッヘ盤で、右のはいま探したら引っかかったものです。こんな映像あるんですね、知らなかった(笑)。

はじめ、古えの楽長の作とされた作品を、作曲された当時のアプローチの研究に基づいて1997年に録音した。うむ、左側のヘレヴェッヘの盤の紹介はなかなか面妖なものになりますね(笑)。とても落ち着いた雰囲気の、美しい演奏です。

美しさで言うなら、ノリントン自慢のピュアトーンが神秘性につながっているシュトゥットガルト放送響との盤も負けてません。ちなみに彼らのベルリオーズの超大曲(演奏時間は二時間足らずだけど編成、その発想のスケールが)「レクイエム」もいいです。あれなら宗教曲として通用する。作中で裁きのラッパは空間を駆け巡って鳴り響くけど。

最後のミュンシュとボストン響のライヴ、どうしたものかな…と思っていたらYouTubeにありました、先ほど貼ったのと同じ部分の動画。リリース元の動画だから安心ですよ!(何がだ)



早めのテンポで美しく歌われてますね、こういうのを聴くとミュンシュに対する日本での一面的な評価もどうにかならないかな…とか思ってしまうけれどそれはまた別途。

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ということで。くるみ割り人形もいい、ヘンゼルとグレーテルもいいでしょう。日本ではこの時期の餅代稼ぎとしてもはや伝統になっているからベートーヴェンも許しましょう、でもそれ以外の曲も探そうぜ!というご提案でした。
でもなあ、かつてオネゲルの「カンタータ・ドゥ・ノエル」を普及したいと思ったけれどなかなかそれも難しかったから、まあ期待しないでほそぼそと書き残しておこう。うん、いつもどおりだね!(笑)

では本日はこれにて、ごきげんよう。


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