2013年12月31日火曜日

初詣ではただ快癒をお祈りします

こんにちは。千葉です。

今年はあまり回想とかするほどのものがないので、年末っぽい企画はありません。あしからず。

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それより何より、いま千葉が心配で仕方がないのがミハエル・シューマッハの事故とその後の容態です。心配すぎてほとんど言及ができなかったくらいには、心配です。

彼はですね、千葉高校生がル・マン中継でメルセデスの若手として名前を知って、千葉大学生が全日本F3000にスポット参戦して大活躍したのを仙台市民として知っていて、そしてのちに鈴鹿ではフェラーリでの最初の戴冠を目撃した、まさに同時代のチャンピオン様ですもの、これまでそれほど多くを書いてこなかったとしても思い入れ、かなりあります。ツッコミ甲斐があるミカとか同時期にいたからね、どうしてもより堅実に勝利を求める彼については書きにくかった、というのはあるかもしれない。そうね、勝てばよかろうなのだ!と見えてしまうところが嫌われたかもはしれないけど(実はそのくらい、リザルトほどの余裕は持てなかったのではないかと今は思う)、彼は間違いなく偉大なチャンピオンです。昨年までの参戦で晩節をどうこう言う方もいらっしゃるのでしょうね、でも一モータスポーツファンとしての尊敬はそんなことでは揺るぎもしませんよ。いやほんと。

今回の事故、第一報では「頭部外傷」とあったので、内出血が後で悪い方に効いてくる最悪のケースにはならないな、と思って安心していたのです。手術などについての報道も比較的安全側の見方で書かれていましたから、ああこれなら…と、後から笑い話にできる程度のものかと。いわゆる外傷、ケガの扱いで終わる話なのかな、と。
しかしその後要手術、昏睡状態などと事態は悪化していくように見えまして…というのが千葉の見たところのこの数日のニュースでした。今日の執刀したドクター会見によれば「二度目の手術も成功、改善方向だが予断は許さない」ということのようです。

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脳のダメージは後から来るんですね、そういえば。この数日、どうしても加藤大治郎を喪ったあの事故とその後のことが頭を過ってしまい、どうにも不安になるのを抑えられませぬ。二度目の手術が成功、とのことですが、それはすなわち経過を注視していく他ない状態だ、とも言えそうですし。
欧州では相当の扱いで報じられているらしいのですが、それに見合うレヴェルの、行き届いた医療処置が行われますよう、そして何よりその結果としてこの危地を彼が脱しますよう、新年には神頼みをしてこようと思います。

うーん、これ以上何も書けないので2013年こっちのブログは以上でおしまいです。新年がよりマシな年になりますように、そしてミハエルさんが回復しますように。では良いお年を。

2013年12月28日土曜日

なんかの賞おめでとうございます(てきとう ~石黒正数「それでも町は廻っている」 第12巻

こんにちは。千葉です。

ちょっとバタバタしていて更新が滞ってみて気がついたのですが。このタイトルだと少し休むと不穏な気配が漂いますね、ちょっと考えなおそうかな…(笑)

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空白を嫌う意味でもこういうときはひとつさらっと更新できるものをば。ってことで新刊情報です~。




石黒正数の人気作品、「それでも町は廻っている」最新巻です。時系列がシャッフルされている本作(ご存知かと思いますが、本作を順に読み進めると歩鳥の髪の長さが話数ごとに違っていたり呼び方が違ったり、顕著なところだと学年が違ったりします)、ついにその始まりのエピソード、「メイド喫茶 シ~サイド」はどのように始まったかが読めますよ!…いやまあ、そんなに期待されてないかな(笑)。

※楽しく読み終わって追記をひとつ。先生もあとがきで書かれているので及ばずながらご協力、です。本巻に収められたあるエピソードがそれっぽすぎたか、連載終了説が流れたのだとか。そんなことないですよ、絶賛連載中ですよ~、ということでした。千葉はその噂を知らなかったけど終わらないってことでよかったですよ、もっと読みたいですもの、このお話。

ちなみに「もやしもん」は終了、とのことですけど…

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ようやく買って、帯で知ったのですが本作、第17回メディア芸術祭 マンガ部門優秀賞を受賞していたとのこと。どんな賞かは存じませんが(笑)、面白い作品が評価されるのはよろこばしいこと。慶祝。

ふうん、と思いつつ他の受賞作を見ていたらなんと「有頂天家族」も受賞してるんですね、これまた慶祝。あれはもっと見られてほしい作品ですので、そのためならよくわからない賞でも何でも利用していただきたいところであります(ぼっちゃけすぎ)。




熱心なファンの多い森見登美彦氏であれば、今さら千葉がどうこう言うのはすこしばかり気後れするところなのだけれど、このアニメはきちんと「登美彦氏」テイストを出していたと思います故、興味のある方は今からでも是非に。…っていうか、リアルタイムで一回放送されるだけだとどうにもモッタイナイものが多いんだよなあ…(とか雑感はまた別途)。

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この調子でだらだら書いているとキャラクター原案つながりで久米田康治先生の新作の話(2月に単行本が出るようですよ!)もしたくなるのでひとまずこの辺で。ではまた。


2013年12月17日火曜日

彼らは憧れだったなあ…~島本和彦「アオイホノオ」11

こんにちは。千葉です。

最近はさして本も読めずマンガも買えず(泣)、新刊の情報チェックすらまともにしておりませんでしたが今月は幸いにもいくつか目に止まりましたもので、簡単な感想だけでも。

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若き日の島本和彦先生、じゃなくて焔燃くんの一大青春記はいよいよ漫画家デビューも近いよ!転校生来ちゃいますよ!というところに差しかかって来たのだけれど。

すみません。11巻では失敗の経験から学んで成長した部分を示すエピソード以外では、ほとんど主役じゃありません(笑)。ただのリアクション役になってしまっている感もありますがそれもそのはず、あだち充先生の「タッチ」がついに始まり、そして自分が残念な手描きアニメを作っている同時期にDAICON3が作られちゃうとあってはまあ、影も薄くなりますよ、同じフィールドにいる以上詮方無きことにございまする…「炎の転校生」の話がなかなか出てこなくてジレ気味なのは千葉もいっしょだよ!(笑)

同時代受容の一例をこの上なく面白く見せてくれる本作だから楽しく読み終われるものの、なんでしょうねこの重くのしかかる敗北感は(笑)。後の赤井孝美、庵野秀明なんだから、と知っているから読者は流せる部分もあるけれど、島本先生じゃなくて焔燃くんは大変だっただろうなあ、ということが否応なく感じられてしまうから、重たいです。
千葉はもう彼らがキレッキレのガレージキット屋さんになってからその存在を知った口ですので(ホビージャパンの広告、昔は海洋堂とゼネラルプロダクツへのあこがれを育てるために存在していたのです←過言)、DAICONや愛国戦隊あたりは話に聞いた程度のもの(ヴィデオは見られなかったし)。だから直撃は避けられているのですが(笑)、それでも焔燃くんのダメージはわかる。それを超えてそれでも前にいくかどうか、が何かの分かれ目なんでしょうなあ…

なお。この巻の主役と言ってもいいDAICON3オープニングフィルムですが、興味のある方はようつべででもググれ、ということで。権利とか不明瞭なものを貼ると捕まっちゃうからね、この国は(誇張)。作中で島本先生が流れも見どころも教えてくれるのだけれど、現物を見ておいたほうが「島本目線」をより理解できるのではないかと。

では簡単ですがひとまずこれにて。

2013年12月14日土曜日

「最終戦はさらに倍!」はムリ

こんにちは。千葉です。

映画の話、ちょっと待ってくださいね。書いてたらいろいろと気になっちゃって。今日は簡単な、別の話。

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◆F1:2014年から最終戦でポイント2倍

このニュースを見た時、さすがに目を疑いました。大橋巨泉かよ!(いや正しくは当時のクイズダービーの台本を書いた人、かもしれないのだけれど)

セバスティアン・フェテルとレッドブルは人々のあいまいな願望ではなく彼らの目標を次々と叶え、見事な連覇の真っ最中。ポールからスタートされてしまえば優勝争いの戦いはほぼなく、見どころはいつも二番手三番手争いになってしまう…

そうだね、エンタテインメントとしてはこの状況は残念だね、厳しいレギュレーションの中でも圧倒的な存在が出てきてしまい、結果としてパワーバランスが偏って安定してしまっている。必ず横綱が勝つわけではない、くらいの波乱なら力関係が番付として視覚化されている相撲でもあるのだし(笑)。

でもねえ。あたしが旧いのかもしれやせんが、粋を尽くした最高の戦いとしてのF1でそれを言っちゃあおしめえよ、ってなもんよおめえさん(さっきチラッと見た寅さんに影響された)。ましてや、その願望のためにレギュレーション、フォーミュラをいじるのではなくてゲームに勝利することの「価値」を変えてしまおうってのは如何にも拙い。最終戦までチャンピオン闘いが続いたよ!とは言えても、それに本当に価値があるのかと、見る側が問わないとでも思っているのかしらん。

このニュースを見て、さすがに「最終戦だけ~」というのは拙いと思ったので、千葉なりにいろいろとぼんやり考えてみたんですよ。たとえばコースごとに格付けをしてポイントの配分を変えるとか(最終戦だけいじることがおかしいので、ゴルフやテニスを見習って別格のレースをいくつか作ってみる、ような)、ポイントをレースのリザルト以外のところ、たとえばポールポジションやファステストラップでも付与するようなシステムにするとか。
でもねえ。ムリっすよね、コースの格付けはきっとプロモータが受け入れないし、ポールポジションやファステストでポイントを追加したらフェテルがさらに早く戴冠してしまうだろうし(笑)。

もう決定ということなので来シーズンには実施されてしまうのだろうけれど、これに対して反対するにはなにかいい手はないかしら。最終戦の話だけネットでは一切しないとかテレビは見ないとか、そういう消極的でネガティヴな手しか思いつかないのだけれど(笑)。

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それに対して。先日もポジティヴに評価したフォーミュラE。こっちのニュースはたいがいが明るいし、なかなか期待できそうに思えるんですよねえ…

◆アンドレッティ、フォーミュラEのマイアミ戦を主催

佐藤琢磨もスーパーアグリもそうなのだけれど、未知数のカテゴリにこうして現在のモータスポーツで活躍する人々が集まってくるこの雰囲気、ちょっとそれだけで期待してしまいます。

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なんでしょうね、自伝の前半はたいがい楽しくて後半は読むのが辛い、みたいな感じに似ているような気がしてきました。晩年の重さが見えてしまっているようなF1、「若さ」故に希望しか今は見えないフォーミュラE、ッて感じで。

もちろん、楽しく始まった若者たちのドラマは哀しい若造だからこその悲劇に終わるかもしれませんから、あくまでもこれは序章なのだと若干の保留をつけるのは忘れないようにしませんと、ね。でも、今は若さのほうが魅力的に見えてしまうなあ、と思う千葉でありましたよ、というお話でした。

では最後に一曲どうぞ、ナチュラルな声で千葉はけっこう好きなテノール、ジャンニ・ライモンディの歌う「Che gelida manina」、フォーミュラEは悲劇的な別れで終わらないといいのだけれど(笑)。




2013年12月8日日曜日

恒例の、そして記念年の終わりに

こんにちは。千葉です。
ちょっとこの二日ほど絶句していまして(言いわけじゃないのがむしろ哀しい)、またしても放送日の更新になっちゃいました、公共放送最後の良心の一つ、「プレミアムシアター」12月の予定です。なお、この遅れへのお詫びとしたしまして、本文最後にちょっとした情報を載せます故ご容赦のほど…

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●12月9日(月)【12月8日(日)深夜】午前0時~午前4時5分

・プロムス2013 ラスト・ナイト・コンサート 【5.1chサラウンド】
・パリ・オペラ座バレエ ベジャール&キリアン プログラム
   『火の鳥』 『ヌアージュ』 『ボレロ』

前半は今年のプロムス、ラストナイトです。オーケストラは例によって国営放送のあそこ(笑)、指揮は「バーンスタイン最後の弟子」のひとりでもあるはずなのに女性であることばかりが言及されやすいマリン・オールソップです(プログラムにさらっと入れ込んでますね、師匠の曲)。恒例行事なのでまあ、気楽に楽しませていただきましょう。

そのあとにベジャール&キリアンってどうなのよ、と思わないでもないけれど(笑)、時間調整用の再放送、なのかな?2008年の映像とのことです。


・12月16日(月)【12月15日(日)深夜】午前0時~午前4時

・ニュー・アドベンチャーズ公演 マシュー・ボーンの『眠りの森の美女』【5.1chサラウンド】
・マリインスキー・バレエ公演 バレエ『くるみ割り人形』 【5.1chサラウンド】

その次の週はチャイコフスキーのバレエを二本。前半のマシュー・ボーンによる「眠れる森の美女」は新作でしょうか、毎度おなじみの読み替えありの上演、なのかな?(今調べたら2012年の作品みたいです)


後半は読み替えなどあるわけもない、ロシアの誇る劇場の正統派、でしょうねえ(笑)。ワイノーネン版、ゲルギエフ指揮の「くるみ割り人形」はこれまた季節もの、でしょうか(笑)。



・12月23日(月)【12月22日(日)深夜】午前0時~午前4時

・ミラノ・スカラ座シーズン開幕公演 歌劇『椿姫』

ヴェルディ・イヤーももう終わろうかというタイミングではございますが、真打ち登場と申し上げてよろしいのではないかしら。ダニエレ・ガッティ指揮、ディアナ・ダムラウのヴィオレッタによる「ラトラヴィアータ」は今年の12月7日の舞台、ですからついこの前の上演ですね、評判はどうだったのでしょう…(検索の準備開始)


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さて、最初に書きましたお詫びの情報です。Twitterでもあまり話題にもなっていないし、放送局は月間予定のpdfファイル以外にはサイト上に情報を載せていないものだから少しばかり心配になりますけれど、と前置きして。
おそらくはプレミアムシアターと連動というかたちで、この週に「華麗なるオペラの世界 ミラノ・スカラ座 ~ヴェルディ&ワーグナー 生誕200年記念~」なる番組が放送されます。もちろん局はBSプレミアム。

月間予定表は記載スペースが小さいせいかキャスト表記が混乱しているので(だって、サルミネンは歌わないよトリスタン!)、日程と指揮、演出のみ記します。きっと近日公式に発表されるでしょうし。なお、もちろんオケと合唱はミラノ・スカラ座です。

・12/23 歌劇「ナブッコ」

指揮:ニコラ・ルイゾッティ
演出:ダニエレ・アッバード

・12/26 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

指揮:ダニエル・バレンボイム
演出:パトリス・シェロー

・12/27 「ニーベルングの指環」より 第三夜 楽劇「神々の黄昏」

指揮:ダニエル・バレンボイム ※
演出:ガイ・カッシエール

※ファビオ・ルイージって表記されてたんですよ、月間予定表には!ガッデム(どうした自分

そうかー、2013年は最後に神々が黄昏ちゃうんかー、今年にふさわしいかもせんなー、などの戯言はまた別途、ということで(笑)。ダニエル・バレンボイム時代の成果なんでしょうね、ヴェルディとワーグナーの記念年をこうしてきっちり祝える演目が並ぶのは。個人的には今年亡くなられたシェローによる「トリスタン」が一番気になるところであります!

ということで以上、「皆さま、ハードディスクを開ける準備をしないと年末年始は迎えられませんぜ!」というかってにご案内、でした。ではまた。

ようやく情報告知が来たのですが。俺様が拾った情報より中身がないってどういうこと?!(笑)

2013年12月7日土曜日

絶句しつつも

こんにちは。千葉です。

なんというか巡りあわせは恐いというか、愚かしい代議士には困ったものだと言うべきか。まさか、ネルソン・マンデラ氏が長い闘病を終えたその日にこういう抑圧的な法律が作られようとは誰が思います?片や生命の、片や社会の出来事だからそこに何かの意味合いを読み込もうとは思わないけれど、どうしようもない皮肉を感じないではいられない。

…とはいえこの話はあっちに書くべき内容になるので、続きはまた後ほど、向こうで。

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今は生涯に渡る戦いを終えられたネルソン・マンデラ氏への敬意を表してこの曲をば聴こうかと。




望まれた「遠い夜明け」が来たその後にも戦って以前よりマシな国を作った彼への敬意、示し方というのがありましょうから、考えていかなければなりますまい。合掌。

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なお。近日、こっちで映画の感想も書くようにします、見たよって記録がてら。せっかくですから、この映画で始めることにします、見たのはけっこう前のことになるのだけれど。



この映画を見た後しばらくはモーガン・フリーマンの顔でしかネルソン・マンデラのことを思い出せなかったなあ…などと軽口は今のうちに書いてしまいますね。

では本日は簡単ですが以上にて。ごきげんよう。

2013年12月5日木曜日

偶然にしても凄いタイミングで

こんにちは。千葉です。

昨日、夕食時に新聞を眺めておりましたらこんな番組が目に止まりまして。

◆ザ・プロファイラー 「人生にYESと言いなさい~レニ・絶賛と非難の101年~」

うへえこのタイミングでレニ・リーフェンシュタールの番組ってのは狙ったらなかなかできないよ?と思いまして、録画してきちっと見ました(きっと再放送があるので、興味のある方は番組サイトなどチェックしてくださいね)。この番組、前にブルース・リーを取り上げた回以来かしら、見るのは。

レニ・リーフェンシュタールは1902年に生まれ2003年に没した映画監督、写真家です。大戦からワイマール期に育ち、ナチス時代にああなってその後はなかなか大変だった、とかまとめちゃったら何も言ってないですね、101年の生涯を前にしては。

若き日にダンスの道を志したこと、怪我が理由で映画に転身(主演女優&監督!)したこと、の若き日から「オリンピア」「意志の勝利」への流れはなんと言えばいいのでしょうね…クラシック者はついナチス時代を語る際にエピソードのあるフルトヴェングラーやベーム、カラヤンを想起してしまうけれど、彼女ほどの影響力があったとも思いにくいなといまさら痛感してみたり。若く美しき才能、30代の大成功を収めた大仕事が死ぬまで負の意味でつきまとうこと、なんとも想像の向こう側の話でありました。それでも人生を肯定する、そのスタンスもまた。考えましょう、いろいろと。

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そのぼんやりとした感想で終わると何も知らないままなので、まずは映画を見てみようかなと考えるわけですよ、最近の千葉は。パブリック・ドメインさまさまですよ。




まずは問題の「意志の勝利」。ううむ。直截的ですね、ナチ党大会でマイスタージンガーが~、とか可愛く思えちゃう。映画はただでも複数のレイヤーから刺激を与えてきますからねえ…

でもういっちょ、「オリンピア」第一部、っていうか「民族の祭典」。



まだチラッと見ただけなのだけれど、既に言葉が出ません。恐いなあオリンピック(ちょっと飛びすぎ)。

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昨日の今日で結論めいたことを申し上げるほどになんでも知っているわけではない千葉といたしましては、本日はこちらのリンクを貼るのみにてひとまず終いとさせていただきたく。ではごきげんよう。

 

彼女の後半生の話はアフリカ中心で紹介されておりました。まあ、その選択は理解できるような気がします(その辛さはわからないけれど)

2013年12月2日月曜日

予告がてら

こんにちは。千葉です。

向こうのブログの再起動もしないといけないのだけれど(いま沈黙していることである一定の層の人達を安心させてあげるつもりは、ありません)。今日はさらっとこっちの新ネタの予告がてら映画を貼っておきます。「このタイミングにこれかよ!」と思われるような意図はございません!(どこかのヨザクラカルテットCM的な意味で)

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セルゲイ・エイゼンシュテイン監督の映画「戦艦ポチョムキン」(1925)です。さすがはパブリック・ドメイン、こうして気楽にフルサイズで見られるのはありがたいことであります。

と言ってももちろん気楽な内容ではありませんで。日露戦争の倦怠を背景に起きる反乱とその勝利(の予感)の物語、かつては映画史上最高の作品とも評された傑作も冷戦の後にはその政治性がおそらくは評価を分けてしまうのでしょうし(なによりこの作品が示した映画的手法はあまりに多くの影響を与えてしまったからいま初めて見てもそこに驚きはない、かも知れない。千葉はそうではなかったのだけれど)、千葉のようなショスタコーヴィチ者にはつけられた音楽が気になってしかたがないかもしれない(笑)。

トーキー以前の映画ですから、それこそ若きショスタコーヴィチがそうであったように映画館で楽士がそれっぽい音楽をつけて上映されていたもので、そこに音楽を後からつけることにどれほどの意味があるかはおくとして(このように他人の作品を後世がいじり回す場合は特に)、この映画は千葉にとっては大事なものだし、この作品にショスタコーヴィチの交響曲が切り貼りされていることの意味にも少しばかり興味がある。

とはいえその「読み」を示す前にまず、どの曲がどこで使われているかを確認したいなって思うんですよ、私。そんなわけで近日、ここにリンクを貼った1976年版(後述)のサウンドトラックについて少しばかりまとめます。

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なお、パブリック・ドメインではあるけれど手元にディスクで持っていたい方には以下のもろもろがよろしいかと。




ショスタコーヴィチのポプリが楽しめる1976年版はいろいろなものが出てますが、せっかくなので淀川長治先生の解説付きのやつを(それなしでいいならそれこそYouTube、Movie Archiveでいいですよね)。

エイゼンシュテイン生前につけられたエトムント・マイゼルの音楽を復元したものは一見の価値があります。詳しくはあとで書きますけど、映画の印象がかなり変わりますよ。ちなみにこの音楽を使ってYouTubeで配信している人がいるんだけど、それって演奏のほうで問題あるんじゃないかなあ…(2005年のはずだし)
ちょっとだけ、著作権的に問題のない形で見てみたい方はちょっと見にくい、音がオフ気味だというのを踏まえてリンク先で見ていただくのは如何でしょう。シカゴでの上映会の記録、完全ライヴですねこれ。

最後に一つ、自分でもまだどう映画に合わせればいいのかよくわかっていないのがペット・ショップ・ボーイズが2005年にリリースした彼らによるオリジナル・サウンドトラック。時間的にはそのまま合わせられそうだから、あまり考えないで同期させればいいのかなあ…
いちおうここにオデッサの例の場面で同期させてるものを貼っておきますね。これまたかなり、印象が変わります…(ショスタコーヴィチのはあれだし、マイゼルのはああだし…)


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にしてもあれですね、この映画を見ると如何にデモ行進が悪であるかがよくわかりますね!権力に手向かう輩にかける厚情などない、断じて!

…こうですかね、よくわかんないや!(笑)

ともあれ以上短くならなかった予告編でした。ではまた。

【追記】

 

こんなのもあるんですね、まさかの「アンダルシアの犬」とのカップリング(笑)。

2013年12月1日日曜日

現代の「走る実験室」になる、かも!

こんにちは。千葉です。

さて通常モードっぽく書きますよ、さらっとね!(笑)

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◆テレビ朝日がフォーミュラEを全戦生中継 (AUTOSPORT Web)

「フォーミュラE」、ってのは耳慣れない単語ですがそれもそのはず、2014年9月からFIAの世界選手権がはじまる新しいレースです。公式サイト(英語)にリンクしておきますね。

モータスポーツ好きなら否応なく感じているだろうF1の行き詰まり感というかなんというか、見ている人ならば思うところもあるのではないでしょうか、多かれ少なかれ。もちろん、一定のレギュレーションの中で最適化に努めていく中でより「正解」に近いところが強いのはあたりまえのこと、そのためにより多くのリソースを使えるところが強いのも、そういうところにいる力あるドライヴァが勝つのも当然の帰結としか言いようがない。変数は「エンジンにシャシーのメカニズム、空気力学、タイヤについての」などなど、ある程度まではわかっている※、わけで。その帰結がチーム間格差の固定(この数年の下位チームの存在感の薄さ、危険な領域に来ていると思います)、

※概論と現実への落とし込みとの間にある隔絶については大づかみな話だからここではスルーします。たとえばエイドリアン・ニューイとほかのデザイナの違い、要素の解析だけで説明できるものでもありますまいし。

でもその当然のなりゆきが否応なくもたらす行き詰まり。FIAの側もその問題は認識している、だから定期的にレギュレーションを変えて戦力状況を変えようと試みる、わけで。まあ、まさかその行き詰まりを打破するのに微妙なライフのタイヤを求めるとは予想外でしたが…

それに対して。電気自動車によるレーシングには未知数の部分がある。いや、もしかすると先ほど挙げた要素のうち「エンジン」にあたる、いわゆるパワープラントの部分だけ、かもはしれないけれど(笑)。日常的なモビリティの水準では原発の事故以降扱いが微妙になってきた感も否めない電気自動車だけれど、その電力生成技術次第ではまだいける、かもしれないし。

…あの事故の直後にたしか、「ネックになるのは蓄電技術」云々書いたような気がするのだけれど、我が国は「そのネックで開発を進めてアドヴァンテージを掴んでしまえば」どうのこうの、とは考えないところのようですね。国の誇る先進的な技術ってなんなのかしら。

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余談はまあいいや、ともあれ、これからはじまるフォーミュラE、転戦するサーキットにマシンのイメージ(公式サイトで車両の写真はありますが、さすがに実車が出ているわけではないでしょう、だってレースなのだもの)、参加を決めたいくつかのチームしか、今はまだわかりません。
走ってみたら重そうで遅くてつまらないかもしれない、もしかするとモータ駆動特有の挙動が意外な見え方を演出してくれるかもしれない。その限定された未知数故に、過剰にも過少にも期待はできるのだけれど、千葉はあえて過剰に期待したいところです。F1から一般的な自動車、さらにその他のもの多くに用いられる内燃機関は優れたもので長年の積み重ねもある、でもそれ以外のオプションを探ることには意味がある、と思いますし。

だってだって。なんでもマーク・プレストンからの声がかりでSUPER AGURIが復活するそうですし!F1参戦していた当時、彼らをほんとうに応援していた者のひとりとしてこの流れだけでも相当にこみ上げるものがあるのだけれど、さらにフォーミュラEの開発ドライヴァのひとりに佐藤琢磨が選ばれたと来てはもう!なんですかこの夢の転生は。

その新しい夢を見せてくれそうなカテゴリがきちんとテレビ中継されることになる、という今回の発表は、それはとってもうれしいなって(再放送でまた何かの熱が戻っている)。テレビ朝日のモータスポーツと言ったらその昔F1に出会う前の千葉にル・マン24時間耐久レースを生放送で見せてくれた大恩あるものですから、今度のこれもまた別の誰かの、何かへの出会いにつながっていくものになったらそれはまたそれで嬉しいことですし。

2014年9月まで、ぼんやりと期待しよう!とあまり大きくは煽らずに(笑)ひとまずはこれにて。ではまた。

2013年11月27日水曜日

いろいろお知らせ

こんにちは。千葉です。

このたび諸般の事情により、こちらのブログをご覧のとおりに改題し、当初予定したクラシック専門のブロクではなく、かつてアメブロのほうがそうであったような雑多な内容のブログに変更いたします。誠にかってな変更ではございますがご容赦くださいませ。

残念ながら、現在の千葉にはクラシック音楽をメインにしたブログは維持できません。コンサートにも行けないし、気になる新譜だってすぐには買えない。ええ、恥ずかしながら主に経済的状況からの撤退です。そうですね、プレイングマネージャー的にいえば「俺戦力外」です。残念。

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そもそもの「はい、クラシックを聴いてます」は某社の業務ブログとして始まり、その際にはその立ち位置故にいろいろとできることもありました。意図のうちいくらかでもお役に立てたならよかったと今は思うのみ。
またその後個人ブログへと立ち位置が変わっても、自分の修行がてらマーラーの交響曲を毎日のように聴いていく荒行(笑)やら未知の作品への挑戦などいろいろなことができました。
でも正直な話、いまはそれらを同じクオリティや頻度で行うことはできません、ほんとうに残念ですが。ええ、更新頻度が落ち始めた頃からずっとそうだったんです、ただそれを、自分が認められなかっただけで。

先日のラトル&ベルリン・フィルの来日公演にまったく手も足も出ず(現実のこととしてチケット入手を考えることさえできませんでした)、いざ彼らが来日してからTwitterでの皆さんの感想を見るだけの数日間で、今の自分がかつての任にないことを骨身にしみて痛感したことで、ようやく決心できました。これ以上、質量どちらの面から見ても、もう「クラシック音楽のブログ」と自分が見なせるものを続けることはできません。

もちろん、「放送が許容できないから」と言及しなくなったF1のように、また采配もチームの運用も評価できないから選手に怪我のないことを祈りつつ試合さえ見なくなった名古屋の野球チームのように、意志的にクラシック音楽にまったく言及しないわけではないのですが(動画とか放送の話は増えるでしょうし、ラトル&ベルリン・フィルの新譜紹介はファンの義務としてしていきたい)、変わってしまったブログにもうタイトルに「クラシック」とは入れられない。残念です、数少ない「とりえ」を自分から手放すしかないことが。

そんな理由ですから、もちろん向こうも改題します。また過去記事は、いちおうはクラシックにも言及するこちらに少しずつにはなりますが、順次再掲します(向こうはブログそのものが追い出されなければ過去記事はオリジナルのアーカイヴとして残しますし、新しい方針に基づいて更新もします)。

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ここしばらくこの決断ができなかったが故の迷い、そしてそこから来ていた絶句状態はこれで断ち切れるものと思いたいところです、せめて。絶句していられない、というかそれが一番危険な時が来てしまっているように思いますし(でもそういう話は向こうでやります、あえて)。

そんなわけで、ここは本日以降千葉の趣味方面のブログとして運用してまいります。憲法が怪しいいま、最低限の文化的な生活がどこまで維持できるかはわかりませんけど(笑)、これがせいいっぱい、ということになりそうです。

なお。更新頻度はまったく保証できないのでこのような題にさせていただきました(笑)。こんなブログになりますが、以後もおつきあいいただけるようなら幸いですしこれからの方におかれましてはお手すきの際にでもご笑覧いただけましたら幸いです。

千葉さとし

2013年11月10日日曜日

11月は二回だけ

こんにちは。千葉です。

毎月恒例のアレ、未確認情報を気にしていたら放送日になっちゃってました。すみません、あわてて簡単にまとめますね!

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そんなわけでもはや公共放送の唯一の存在意義かもしれない(先日の委員人事を見るに、この意義すらもはや風前かもしれない。文化行政の財源にカジノを、とか平気でいう内閣なので。)プレミアムシアターの予定です。今晩と24日、今月は2回しかありません。…っていうか、なにか良さげな情報がTwitterでは散見されたのだけれど、いつまで待っても公式がアップしないから時宜を逸したのよ、いやだわもう(その言い訳はちょっとムリ)。

●11月11日(月)【11月10日(日)深夜】午前0時20分~午前4時20分

・ティーレマン&ドレスデン国立管弦楽団 ブラームス・ツィクルス第4弾 【5.1chサラウンド】
・ティーレマン&ドレスデン国立管弦楽団 ブラームス・ツィクルス第2弾 【5.1chサラウンド】

7月に第1弾、第3弾が放送されていた(再放送含む)ティーレマン&ドレスデン国立管弦楽団によるブラームス・ツィクルス、今回で完結です。ああ、今来日してるんですよねティーレマン。元気にしてるかなあ(完全に他人事←とてもチケットを贖えない現実からの逃避なのでスルーしてくださいね!)

ヴァイオリン協奏曲と交響曲第四番は本拠地での、交響曲第三、第一番は2012年NHK音楽祭での収録によるものです(後者は既にご覧の方も多いでしょうね、なんなら会場に行かれた方も)。ヴァイオリン協奏曲のソリストは リサ・バティアシュヴィリです。録音もしてる顔合わせなので安心ですね!(まだ何かから逃げてる)




●11月25日(月)【11月24日(日)深夜】午前0時50分~午前4時

・東京二期会公演 歌劇『ホフマン物語』  【5.1chサラウンド】

こちらは今年8月3日に新国立劇場オペラパレスで上演されたオッフェンバックの代表作「ホフマン物語」。Twitterで見た感想はミシェル・プラッソンの指揮を中心になかなかポジティヴだったように記憶しておりますがはたして。

(ホフマン物語の話、できてないのは気にしているのですが、如何せん手が回らない。平身低頭。)

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これだけだったらすぐにもまとめられたんですよ、ええ。あのですね、某音楽祭のオペラが放送されるとかそういう情報を見かけたのですがソースがなくてけっきょくここには入れ込めませんでした。情報が遅くてすみません…(もちろん、ソースを見つけ次第更新しますよ)

以上ハードディスクを開けながらの更新でした。そうそう、今晩のEテレ、クラシック音楽館はチョン・ミョンフン指揮フランス国立放送フィルですよ~(それも相当遅い情報だ)。ごきげんよう~

2013年10月23日水曜日

今からでもショルティを見直したい(ぼんやりな見解だ

こんにちは。千葉です。

…無沙汰のお詫びももうネタがありません。こういうペースだとあきらめてください(一番あきらめてるのは千葉なのですが…)。ひとつだけ申しますなら、いわゆる「芸術の秋」なんて大っ嫌いだ、ということでしょうか…(あと千葉をして失語に陥らせる昨今の状況。これはあっちに書かなくちゃ…気が重いです、率直に申しまして)

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さて気分を変えていきましょ。一昨日の夜に知ったので記事にするのが遅くなりました。10月21日はサー・ゲオルグ・ショルティのお誕生日であるとか。1912年生まれだから101年目、ですね!(なにか時宜を逃している感が酷いので勢いだけ出してみた)旧館の方でさんざんマーラーを聴きまくった時期に(2010年のことだから、もう自分の中では昔話感があります)、その昔の偏見を改めて今では率直に尊敬するマエストロのお一人となっております。

なお、その「偏見」についてはまた別途、吹奏楽出身者にはいろいろとあるんですよ。いま考えればそういう偏見を垂れ流す方の見識にこそ問題があるのだけれど。そういう偏見を疑えない弱い自分の知性に問題があったのだけれど。
幼かった時期は仕方がないかもしれない、でも問題に気づいたのならそれは拭うべき、だろうきっと。いくつかの要素だけ先行して挙げておくならば、オペラ指揮者としてのショルティ認識、そしてその造形性というターム、でしょうか。なにが縦線だけ揃えたパワー重視の演奏だよったく。

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そんな記念日に、最近入手した彼の録音の中でも一番のお気に入りの盤を、長すぎて全曲は無理だけど第三幕だけ、聴いてみました。




右のボックスにはウィーンフィルとの旧盤ほか、誉れある名盤の数々が収められております。でもここで言及するのは左のほう、シカゴ交響楽団との「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(以下マイスタージンガー)新盤です。すこし前に図書館で借りて聴いて、「あれこれとてもいい演奏だと思うのだけれど」と気にしていたものなのです。かなりのお値打ち価格のタイミングで入手できて、ほんっとよかったですよ。にやにや。

このマイスタージンガー新盤のブックレットにはショルティ自身のコメントが載せられているのですが、これだけでこの盤の紹介になるような文章だと思うのですよ、輸入盤を買ったから国内盤のことはわからないし、もちろん英語なので、拙訳で大意というかいいなあと思ったところを書き出しますと。

・二度録音したワーグナーの全曲はマイスタージンガーだけ、ということになる
・ふとラジオから流れてきたマイスタージンガー、その序盤のポーグナーの歌に心動かされた、美しい音楽であるなと再認識。
・モーツァルトやヴェルディの経験を踏まえて、ワーグナー作品へのアプローチは変わった。いまいちど立ち返ったこの作品は「対話による作品」なのだな、と感じる。もっと軽く、室内楽的でもある。
・コンサート上演の利点はその明晰なサウンドにある。もちろん、シカゴの強力なメンバーの能力も素晴らしい
・つまるところ、自分はかつての演奏、録音から数十年の時を経てまたこのオペラに恋をしたのだ

などなど。分量としてはブックレットの1ページでしかないけれど、熱いマエストロの思いが伝わる文章ではないかと。

個人的にですね、ノリントン&LCPの前奏曲を聴いて以来こういう演奏を待っていた、と思える演奏なのです、これ。もちろん強力なオーケストラのサウンドは同時代アプローチのロンドン・クラシカル・プレイヤーズにはない、だからノリントンの盤から千葉がイメージしたものと同じではない(モダンオーケストラのサウンドというのはあれですね、ずっしりどっしりした肉料理になぞらえるべきものなのかもしれませぬ。ちなみにいわゆる古楽器演奏はうまく空気を含ませたパイ料理とか、近いような。ここで詳しく説明はしません、わかる方だけわかってください←誰にも伝わらないフラグ)。かつて新国立劇場でシュテファン・アントン・レックの指揮で聴くことができた軽やかなマイスタージンガーはイメージに近かったような気もする、でも検証のしようもないしリプレイもできない、それに上演が2005年のことではもう記憶もあまり信用できない…(新国立劇場はアーカイヴを作る義務があるのではないかしら、国立の施設なのだから。ダイジェストじゃなくてさ)。

そんなヴァルターの推敲前のマイスターリート以上にぼんやりとした(何様だ)千葉の渇望を、ある程度まで音にしてくれているのがこの盤だなと、聴き直してしみじみと思うのです。おなじみのいささかも緩まない引き締まったテンポ、対話を重視した歌、作品の民衆的な性格に十分配慮したカジュアルなにぎやかさ。「トリスタンとイゾルデ」の悲劇と対になる喜劇として構想された作品を、そのめんどくさい歴史やら過剰な浪漫性を削いで本来性に立ち戻らせた一枚では、と評価する次第、なのです。ショルティ最晩年の大仕事のひとつ、という以上の価値を見出しうると思うんだけど、あまり評判を聞きませんなあ…いちおうレコード・アカデミー賞を取ってはいるけど受賞が没年のことだから功労賞感が否めないとかあの賞自体が以下自重。

ああ、別に「もっと評価しろよ!世間!」とか喧嘩を売りたいんじゃないんです、ただ素朴に、「これを聴かないなんてもったいない!」と申しておるのです。これはあまりに素朴な気持ちですので、彼のお誕生日にでも関連付けないとちょっと人前に出せなかった、という、それだけの話で(笑)。

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最晩年にはメジャーレーベル最後の砦のような扱いになって、それまでほどは低められなくなったように思うけれど、正直に申し上げてサー・ゲオルグ・ショルティがその仕事に見合った評価をされているとはどうも、思えないのです。いや、彼にかぎらず合衆国で活躍した、そして来日公演などでその演奏に触れられたはずのマエストロたちへの敬意が、妙に薄いと申しましょうか。オーマンディもそう、レヴァインもそう、もしかすると、小澤征爾についても同じことが言える、かも。
その大きいお題については最初の「偏見」ともどもおいおい考えますので、いまは指摘のみにとどめます。あ、もし考えたい方がいらしたらぜひ、さっさとまとめてくださってもけっこうですのよ!(投げるな)

大きすぎるお題に手をこまねいて筆が止まらぬよう、日々精進したく存じます。近いうちに再見できますようお祈り申しあげつつ今日はこれにて。では。



本文中でさらっと挙げたノリントン&LCPのワーグナー(&ブルックナー)、彼らの数多くの録音の中でももっと注目されるべき一枚であるように思えるのですが如何かしら。それこそ例えばショルティ&CSOなどと比較すればモダンオーケストラと「作曲された当時の」オーケストラの音響の違いがこの上なくはっきりとわかるのですが。

2013年9月27日金曜日

10月はきまぐれ(そうなのか?

こんにちは。千葉です。

更新の最初でご無沙汰をお詫びするのがお決まりになるのは情けないところですけれど、向こうのブログに書きましたとおり、最近はいささか失語気味です故ご容赦のほど…そろそろ、いろいろな意味で吹っ切ろうと考えています、衣替えとかそういう時宜を利用してでも。


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さて毎度おなじみ公共放送の看板番組(より広く見られうるにせよ、断じてそれはクラシック音楽館ではない、何故ならラインナップの格が軽く一個二個違うので)、プレミアムシアターの10月予定のご紹介です。

●10月14日(月)【10月13日(日)深夜】午前0時~午前4時

・佐渡裕指揮 パリ管弦楽団演奏会(2013年6月5日)

イベール:ディヴェルティメント
ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲 作品43
  ピアノ独奏:ボリス・ベレゾフスキー
ヴェルディ:
  歌劇「ルイザ・ミラー」序曲
  歌劇「ナブッコ」から 行け、わが思いよ、金色の翼に乗って ほか

秋の佐渡裕ナイト(いま適当に命名)、前半は彼が定期的に客演しているパリ管弦楽団との今年の公演ですね。これは11月の来日に合わせたのかな?(指揮者違うけど。できればそっちがゲフンゲフン以下自重)
にしても、えっと、これは後半はわかるけど(わからないとさすがにまずい)、前半の選曲意図は何かなあ…ま、あれこれ考えず虚心に聴けばわかるのだと信じましょう(笑)。




・佐渡裕指揮 ベルリン・フィル定期デビューコンサート(2011年5月20、21日)

佐渡裕ナイト後半のこれは再放送、もうソフト化もされてますからご存じの方も多い演奏では。
無礼を承知で、記憶を呼び起こして大ざっぱな印象を書きますなら、よくも悪くもオケが開放されすぎちゃってるような…
(客演ゆえの不利というのは考慮しても、いささか手綱を放してしまいすぎ、とでも言いましょうか。特にショスタコーヴィチのあのフィナーレは、どうなんだろう)



●10月21日(月)【10月20日(日)深夜】午前0時~午前4時

・新国立劇場公演 『コシ・ファン・トゥッテ』

「国立」の名を冠している以上、新国立劇場の義務なんじゃないのかなあ、全上演の映像記録を残すこと(すべての公演ではなく、演目ごとの記録ね。演出の記録でもあるし)。可能であれば配信/発信もしていかないといけない立ち位置なんじゃないのかなあ…



こういうのを出すのもいいんですけど、ねえ。まあ、伝統文化のジャンルでも行われていないのだろう、このお国のアーカイヴ意識の薄さに対する文句はさておき、こういう放送そのものはありがたいので期待して待ちます、上演当時けっこう評判も悪くなかったように記憶してますし。パオロ・ファナーレのフェルランドが名を挙げてほめられていた、んだったかな…

「コジ・ファン・トゥッテ」はいわゆるダ・ポンテオペラの中でもわかりやすい話ですし※(不道徳とか、いま現在の水準では言えないんじゃないかなあ。最高に悪趣味(笑)なのは否定しないけど)、オペラに不慣れな方も楽しめると思いますよ、ツッコミを入れながらでもいいからぜひ、と申し上げておきます。

※「フィガロの結婚」は入れ替わりネタが多くて上手く見せるのが難しい、「ドン・ジョヴァンニ」は、個人的にも思い入れがあるのでそれなりの上演だと…と思ってしまうので、入門には登場人物の少ないこれを、知名度を無視してあえてオススメしたいところです

ミキエレット演出は「キャンピング・コジ」等と言われた現代を舞台にしたもの、さてどうなっておりますやら。好演でありますことを期待します。>参考:新国立劇場の上演当時のサイト


なお、新国立劇場の新シーズンは10月3日、新制作の「リゴレット」で開幕です


●10月28日(月)【10月27日(日)深夜】午前0時~午前4時

・ミラノ・スカラ座日本公演 歌劇『リゴレット』

ああもうありがたいことです、つい最近の来日公演が一ヶ月ちょっとで放送です。ミラノ・スカラ座来日公演の中からヴェルディの歌劇「リゴレット」、来日公演の初日、9月9日の公演ですね。「レオ・ヌッチ祭り」だったような評判を聞きましたが、さてどんなもんでしょう。この前のザルツブルク音楽祭※での演奏ともども、若きマエストロの現在を知る機会ともなりましょう。

※ほんとうは演劇との二本立てだから「音楽祭」はちょっと内容と合わないのだけれど、という認識がありつつ一般的な表記に従ってます。これ豆知識ね!

なお、来日公演の公式サイトで舞台写真を見る限りでは、読み替えなしの真っ正面からのイタリア・オペラである模様、これも入門にはいいんじゃないかなあ、これまた登場人物が不道徳だけど(主にマントヴァ公が)。重唱ってものが如何に劇的でありうるか、千葉に教えてくれたのはこの作品、超有名「La donna é mobile」で始まるあれのあと、嵐の中の四重唱がねえ(しみじみ)。



これはムーティ時代の盤、あれ変だな新譜だった頃の記憶があるのになぜか録音年代がもう20年くらい前になっちゃってるよ変だなあ(何かからの逃避)。

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ううん、10月はちょっと焦点がないというか、よく言えばバラエティ豊かな演目が並んでいる、というか。まずは見ればよかろうなのだ、と思っておくことにします。その前に録画だけしてある数多くの番組を消化したいところだけれど(言えない、まだ「パーフェクトアメリカン」を見ていないなんて)。

では本日は簡単なご紹介のみ、ごきげんよう。

2013年9月2日月曜日

音楽はこれから、というのが申し訳なく…

こんにちは。千葉です。

先日発表された某アイーダの件、中止を受けてなにか書くべきかどうか迷っています。とりあえず、あのう、隣国の企業が「ビジネスとして読めていなかった」可能性は高いけど、それ以上の意味はないと思いますよ。きっと、富裕層の高額消費がーとかいうニュースにでも騙されたんでしょ。いやほんと、外から実感なく報道なんかを見ていたらそう誤解することもある、かもですよ。

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それよりも今日はある訃報に思うところをば書きます。

◆諸井誠氏死去=作曲家、音楽評論家(時事通信)

まずは合掌。またおひとり、としか。ご本人のサイトで年譜、作品一覧が見られるのはありがたいことです。

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吹奏楽畑で音楽的に育った千葉には、諸井誠作品とのご縁がありませんで、聴く方でも最近まで昭和の日本人作品にはあまり手が回らず(例外的に武満作品と黛作品のそれぞれ一部があるのみ)、その音楽にはこれから近づいていこうと思う次第なのです。

ですが、諸井誠先生の著作ならいくつか読みました。「現代音楽は怖くない―マーラーからメシアンまで」、「交響曲の聴きどころ」、あと篠田一士との対談はなんというタイトルだったかな…※たしか、「歴史上の人物」と感じられていたピエール・モントゥーを20世紀半ば過ぎまで活躍していた名指揮者と認識させてくださったのも諸井先生だったと思います(当時はまだ読んでいたレコ芸の連載記事で、ベートーヴェンの交響曲第三番を賞賛されていた、はず)。

※「世紀末芸術と音楽―往復書簡」でした。美術と音楽、文学を時代的並行で捉えるスタンスを共有した往復書簡はなかなか示唆的でしたが、往復書簡形式につきものの隔靴掻痒感もなかなか…だったように思います。



個人的な接点はない、のですが、一度だけ演奏会場でお見受けしたことがありました。埼玉会館でのベルティーニ&都響によるマーラーの交響曲第九番、ってことはもう10年くらいも前の話になりますか。ふむ。

千葉はその演奏会の前に、かなりがっかりな同曲の演奏会を聴いていたものだから、いささか傷はあるし(なにせ会場の埼玉会館は演奏者をまったく助けてくれない、なにしろ残響がほとんどないので)、中間楽章にはまだ手が入っていない部分も散見されたのだけれど、入魂のと言えるだろう演奏に満足して、終演後もしばし席でぼんやりしてから帰るかと立ち上がりましたところで、一団の年配の方々に行き会いまして。その中でもっとも熱心に、いささか上記した面持ちで「これが本物ですよ!」などと話されていたのが諸井誠先生でした。先生が何と比較されているのかはわからないながら「ですよね~」と内心激しく同意し(前述の理由もあって必要以上に)、ある意味では「師匠」と思う人と演奏の受取りが近かったことに喜び、と不思議な感慨を覚えたものです。しみじみ。

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個人的にはですね、ジャンルを問わずこのお国は「昭和」をきっちりと終わらせないといけないと思っているのだけれど(こういうニュースのたびに言われる、いわゆる「昭和が消えていく」系のフレーズとは逆で、相応の認識をもって先へ進む姿勢をちゃんと作ることの必要、ですよ)、そういう考えとは別にこうして先人が亡くなられていくのはなんとも、不勉強やら申し訳なさやらが頭をよぎります。及ばないなあ、と感じて立ち止まるのが一番悪いのですけれど。

ともあれ、今日はまず合掌、これから主に遺された音楽を知るように努めます。お疲れ様でした。

では本日はこれにて。ごきげんよう。


2013年8月18日日曜日

今晩から音楽祭祭りです!(かぶってる被ってる)

こんにちは。千葉です。

何かあれですね、暑苦しい季節にはクラシック専業のブログ、難しいです。ええ、ええ、平たく申しますならば、バテてはいないけど暑さに負け気味であります、というお話です(笑)。やれやれですよ。

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さて、千葉がもっともオススメする公共放送さまの番組、プレミアムシアターの情報を載せるのを忘れておりました。最速で今晩のものなので、チェックされたらすぐ予約、ですよ!

●8月19日(月)【8月18日(日)深夜】午前0時~午前4時

・グラインドボーン音楽祭2013   歌劇『イポリットとアリシー』

ラモーのオペラ、日本だとそれほど認識されていない感がございますが、欧州ではオペラ全編、抜粋など多様な形で紹介されて今ではそれなりの認知が得られているのかなあ、と思います。そうそう、続きがあるのかないのかわからないシャトレ座プロジェクトで「レ・パラダン(遍歴騎士)」を上演したこともありましたねえ、懐かしいようなそうでもないような。映像演出だったりオペラバレのヒップホップダンスへの置き換えだったり、なかなかに独特な上演でした(いまはDVDが販売されてます)。



そのときにも指揮をしたウィリアム・クリスティの指揮、啓蒙時代管弦楽団(OAE)他の演奏による、ことし7月25日グラインドボーン音楽祭歌劇場での「イポリットとアリシー」は如何なる舞台なるや!

…と煽るまでもなく、YouTubeに予告がございました。迷われている方はまずこちらをご覧あれ。千葉は期待しております、音楽的な充実はクリスティの指揮で約束されたようなものですし!





●8月26日(月)【8月25日(日)深夜】午前0時30分~午前4時30分

・バイロイト音楽祭2013 歌劇『さまよえるオランダ人』
・フランツ・ウェルザー・メスト 指揮  クリーブランド管弦楽団 聖フローリアン・ライブ2012

ことしのバイロイト音楽祭からさっそくの放送はティーレマン指揮の「さまよえるオランダ人」。彼の指揮にはいささか考えさせられることも多いのだけれど(あまりポジティヴではない、残念ながら)、まあその指揮を見ないで済むオペラなら大丈夫だろう、きっと(おい)。
冗談はさておき、彼の強引にも思えるデフォルメもこの作品なら合う、かなあ。

後半に放送されるメスト&クリーヴランド管のブルックナーは以前も放送がありました。いわゆる「ロマンティック」は個人的にはブルックナーの交響曲の中でも独特にすぎてそれほど好みではないのだけれど(だから昔の、ブルックナーを一曲あげるならまずこれ、みたいな紹介はけっこう困りものだった。ああいうのを聴きたいとは思わないなあ、と感じて他の曲に手を出さなかったのだもの)、ここで演奏される版は最新の校訂版です故、資料的価値も高いかと。これもDVDにはなっておりますね、5.1チャンネルサラウンドにはかないませんでしょうけれど(笑)。



あ、ブルーレイなら負けてないのかな(よくわかってない、ホームシアターなどありませぬ故)。

●9月9日(月)【9月8日(日)深夜】午前0時~午前4時

ザルツブルク音楽祭2013 歌劇『ドン・カルロ』

これまた今年の上演、8月13日のザルツブルグ音楽祭ライヴです。パッパーノ指揮ウィーン・フィル他による、メモリアルイヤーのヴェルディ中期の傑作、千葉も大好き「ドン・カルロ」です。それも五幕版、のようですよ。あの序幕の有無、没入度にかなり違いがありますからねえ…

充実した男声陣が求められるこのオペラ、カウフマンにサルミネン、ハンプソンと揃っているようなのである程度の期待はしていてもいいのでは。女声はエリザベッタにハルテロス、エボリ公女にセメンチェクだとか、なるほど。

それだけだと予想がつかないのでさくっと調べました、これまたYouTubeにORFのトレイラーがございました故興味のある方はご覧くださいませ(公式ではなさそうなので、消える可能性もありかと)。




●9月16日(月)【9月15日(日)深夜】午前0時~午前4時15分

・ルツェルン音楽祭2013開幕コンサート   クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン音楽祭管弦楽団演奏会
・英国ロイヤル・オペラ公演 歌劇『湖上の美人』

どうしたんでしょう最近のプレミアムシアター、近い公演を次々と放送してくれて、あきらかにスタンスが変わってきた、ような。この日も今年の公演をふたつ、です。

かたやこの秋に来日することでも話題のクラウディオ・アバド指揮、ルツェルン音楽祭管弦楽団の音楽祭開幕コンサート。演奏会は、…昨日今日か!(笑)
曲目はその来日公演でも演奏されるベートーヴェンの交響曲第三番ほか。



後半の英国ロイヤル・オペラ公演、ロッシーニの歌劇『湖上の美人』はことし5月の公演。まあ、ファン・ディエゴ・フローレスでしょうねえ注目は。コヴェントガーデンだから演出はコンサバ、でしょうかしら。



●9月23日(月)【9月22日(日)深夜】午前0時~午前4時

・『N響・イン・ザルツブルク』

で最後の情報はこちら、NHK交響楽団はザルツブルク音楽祭に出るんですねえ、指揮はシャルル・デュトワ。武満、細川、ベルリオーズというのはまあ妥当な感じかなあ。好演を期待しましょう。短くてすみません(何かを隠すようにそそくさと)。

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新しい公演がこう並ぶと今度は「たまにはアーカイヴ的な古いのも見せてほしいなあ」とか思ったりする、視聴者はわがままですねえ(一般化するな、わがままなのはお前だ)。その辺りのバランスに期待しつつ、ひとまずはこれにて。ではまた、ごきげんよう。


【追記】9/23未明放送分の番組情報が追加されました。うん、演奏会一個じゃ短いよねって思ってたんだ、よしよし。

…え?引っ張るな?そうですね、では。
今年の7月24日にザルツブルク音楽祭で行われた演奏会、グスターボ・ドゥダメル指揮シモン・ボリバル・ユース・オーケストラほかによる、マーラーの交響曲第八番、だそうです。某Tubeとかですでに見られた方もいらっしゃるかと思いますが、音画ともいい状態で視聴できるのはありがたいこと、ですね。そうそう、指揮者は違うけれど来日するんですよね、彼ら。詳しくはリンク先にてご確認くださいませ~

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さらに追記です。9/29深夜(30日未明)に、以下の番組が放送されます。枠はプレミアムシアターではないけれど、音楽祭つながりでもあり、なかなか見逃せない番組ではないかと。

◆小澤征爾 復帰の夏 ~サイトウ・キネン・フェスティバル松本2013~

個人的にはマエストロの健康を優先してほしいと思うのだけれど、本人が音楽をしたいのだから、いけるところまではがんばっていただく他ない、ということなのでしょう。彼にしかできないこと、してもらわなければならないこと、周りの人が考えていてくださるといいのですが(まあ、千葉が言うまでもないこと、だと思いますが)。

2013年7月30日火曜日

「レーベル、変わったんだなあ」という実感

こんにちは。千葉です。

先々のテレビの予定も書きたいのだけれど、今日は見つけてしまったこちらの動画から少しばかり所感を。





いや「見つけてしまった」って、特段悪い意味で書いたわけじゃないんですよ?(笑)何気なく開いた(人それを暇つぶしまたは気散じと呼ぶであろう)YouTubeで、「Simon Rattle」なるチャンネルができていることを示されて「それはなりすまし?なんなのフィルハーモニカーでもレーベルでもないわけ?」と少しばかりカッとなってやった、じゃなくてリンクを開いたらこれが驚き、おそらくはこれからの公式になるのだろうチャンネルでありました。

というわけで貼った動画は、新譜のこちらのトレイラーであります。




例によって特典DVD付き&SACDハイブリッドの国内盤、お値打価格の輸入盤の二本立てでお届けいたします!(笑)

※商品登録もなにかバタバタしていた模様、記録の意味で死にリンクも残しておきますね(笑)。

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そうかそうか、頑張れよ国内盤も、と思ってブックマークから国内盤のサイトに行ったら。あれ。まだ「春の祭典」が最新扱いだよどういうこと。

…そうでした、EMIは既になくなったんですよね、そういえば。この新譜はジャケットにもいつもの赤いアンチクショウじゃなくてWのデザインがさらっと載ってるし。ええ、ええ、EMIクラシックスほかパーロフォングループはいろいろあって最終的にワーナーグループの傘下に収まったのでした、はいはい。ブランドの力を活かして行くためにレーベル事態は存続、とか手法としてはありなんでしょうけど、せっかく手に入れたラトル&ベルリン・フィルを自分のレーベルで扱わないのもどうか、ですよねえ…これまではうちのCD棚の一角を真っ赤に染めてきたあそこも変わっていくのだなあ…


じゃあじゃあ、ワーナーは力入れてるんだよね、見せてもらおうかそのサイトとやら!

と思ってググってみたら、けっこうしょんぼり感のあるサイトだったのでリンクはしません。いまは過渡期だから、作ってる最中だから!そう思っておくことにします…

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なお、新譜ではありますが「交響的舞曲」の方は既発のブルーレイと同じ音源である模様。嗚呼そっちも買えていないよこんちくしょう、という貧乏話はしたくないのでひとまずこのへんで。ではまた。


2013年7月23日火曜日

国家主義の祭典(笑)かと思いきや

こんにちは。千葉です。

先般選挙がありましたね(周知の事実)。まあ、ああなるだろうと覚悟していたのである意味切り替えができつつあるのですが、最悪に近い事態だろうなと認識しております。このブログの切り口だと「文化行政の財源にカジノを」とか言っているところが継続して制度を作り行政を運用していくわけですな、ということになりましょうか。私らの好きなクラシック音楽はあれですわ、持て余したお札を燃やして土間で靴を探すような扱いを受けるわけです、これからも。そこに対しての戦いもしていかないといけない、ということですね、ふむ。

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こんなタイミングで昨晩、NHKのBSプレミアムシアターで「ベルリンとウィーン、二大オーケストラ夏祭り」が放送されました。先日紹介していたあれですが、まあこれが、なんというか凄いタイミングで。

紹介した時点ではあまり考えていなかったことなのですが、あの選挙の直後に聴かされるベートーヴェンのいわゆる第九は、なんとも言えない、というか相当に切実なものでありました。さらには、そのあとにヴェルディとワーグナー、19世紀のナショナリズムと強く結びついた作曲家によるコンサートが続くんですもん、率直に言って重すぎますよ、結果として読めてしまう「含意」が。たぶん編成上は偶然なんでしょうし、先ほど書いたとおりのシンプルな企画なのだろうと思う、でも非常に、間が悪い。

メンデルスゾーンはほとんど聴けなかったのでベートーヴェンから聴いた次第なのですが。聴き始めてしばらくは、こんなにささくれだった気分でこの演奏を最後まで聴く必要があるのか、まるでショスタコーヴィチを聴くモードじゃないかとかなりぐらつき、第一楽章の間は迷い苦しみました、あちょっとこう書くと大げさだけど。オーケストラはおそらくアカデミーの若手を多めに入れた倍管の、いわばお祭り編成とでも言えそうなもので若干ミスも少なからぬ状態だし(RHYTHM IS IT!のオーケストラに近いと言えばおわかりいただけますかしら)、まあいつものように後で録画を見ればいいかと思ったりもいたしました。

ですが演奏自体が、そして暮れていく晴天のヴァルトビューネが美しいことで最後まで演奏を楽しませていただきました。別にベートーヴェンだから闘争と勝利の物語を読み取らないといけないこともないでしょうけど、今は妙にそんなプロットが心に響きましたわ、なにか方向を指し示されたような気がして。しみじみ。

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でね。後半のウィーン・フィルの方なんだけど。まさかの雨天に低音と、野外イヴェントには最悪(明らかに会場が温まってない、いろんな意味で)の状況。そこにアイーダトランペットを空間的に配置したり合唱がない分を補うように思える編曲したりと繰り出されるマゼールの奇手はどうも滑り気味(録音のせいもありそうだったけれど、荒天のためもあって場内が沸かない)。全部見たら印象が変わるかもしれないけど(さすがに二、三曲聴いて寝ました)、あの演出込みで、シェーンブルン宮殿コンサートへの評価は、微妙。

加えて、これは個人的な懸念なのだけれど、このオーケストラはいま、どうなんですかね。いやこれは話が大きくなるか、しばらく転がしてみます…

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後半の意外な寒さ(笑)のおかげさまで、懸念していたような国家主義的高揚感から疎外されるどころか、実に普通にいつもどおりに演奏を聴いて判断することができましたわ。そう、こういう評価と含意の読みは別に切り分けて行わないとね…と、近年別ジャンルの「批評」がかってな見立て読みになっていて、それが主流であるようになっている現状をちらっと想起しつつ自戒しておりますです。読みは読みで示してもいいけど、まずはどう受け取ったかを示さないとね!

でもいい音楽を聴いたからと言っても、現実にかなりまずい状況が出来しつつあるという認識は変わらない。何ができるのか考えると相当に大変なのだけれど、少しずつきちんと考えていこうかと心構えを新たにしている今日でありました。ふわっふわな感触しかまだないんですけど(笑)。では本日の駄弁はこのへんで。ごきげんよう。

2013年6月30日日曜日

一言でいうなら、「ドイツ推し」ですかしら…

こんにちは。千葉です。

左手の火傷、たしかにまだその痕が残っているのだけれど、自分としてはやけどした時に思っていたよりはずっと治ってきました。少し安心して音楽が聴けましょう、ってそれだけでこっちが停滞しているわけではないのだけれど…

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さて、先週はラトル&BPhのコンサート、そしてメータ&ミドリのコンサートが放送されたNHKの看板番組(いつまでも言い続けることになりそうな気がする)プレミアムシアター、今晩はバレエだからいいかなって思ってたら音楽はラモーやリゲティ、ケージだったり、振付がカニングハムやトリシャ・ブラウン、ウィリアム・フォーサイスだったりすることにいまさら気づいたので今晩も録画です。F1の裏ですからね、さすがに生放送では見られない…(笑)

ちなみに。テレビ放送の感想が書きにくくて困っているのは実に簡単で困った理由です。それは「テレビのスピーカで聴いた音で評価なんてできないっす」というもの。イヤホンで聴くのはどうも耳に負担が大きいように思えてきたもので、最近困っているのです、この薄い音像に。先立つモノがないから時期はまったくの未定だけど、スピーカ買わないといけないのかなあ…



これ評判いいけど、どうなんでしょうねえ。テレビの出力がイヤホン端子しかないからどうにも、イマイチ選考に熱が入りませんわ…レコーダから出力すればいいのかな、むむむむむ。

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それはさておき、7月の看板番組のスケジュールが出ていましたので、さくっとご紹介を。来る7月、クラシックファンにはありがたいものになりそうでござる。

●7月15日(月)【7月14日(日)深夜】午前0時~午前4時10分

・ワーグナー生誕200年記念 ガラ・コンサート・イン・バイロイト
・ドキュメンタリー 「神々のたそがれ ~バイロイト音楽祭の諸相~」

今年の記念年を祝うガラ・コンサート(番組サイトには指揮者名が書かれてないけどティーレマンですよね、これ)、そして2008年のドキュメンタリでワーグナーとバイロイトをより知るための四時間強、でしょうか。まあ、きっと綺麗な話が中心なんだろうなあ、跡目争いとか思想的どうこうじゃなくて(わりと悪趣味)。

●7月22日(月)【7月21日(日)深夜】午前0時~午前4時

・ベルリン・フィル ワルトビューネ・コンサート2013
・ウィーン・フィル シェーンブルン夏の夜のコンサート2013

夏の風物詩、と説明抜きで言ってもいいのだろう、名門オケによる夏のお楽しみ野外コンサート二つ、です。最近このあたりの「季節もの」に対応してくる番組の編成、好感しております!(笑←偉そう)

ラトル&BPhは今回、普通のコンサートのプログラムに見えるメンコン&第九を持ってきたのだけれど。あの人の記念年にメンデルスゾーンだし、さらに相互に大きく影響を与えた※ベートーヴェンでしょう?不在のワーグナー・プログラムに見えるのは邪推かなあ。まあ、何も考えず「テツラフさんキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」とか「第九はいつ聴いてもいいねえ…(cv石田彰)」、くらいでもいいと思いますよ。いや本当にね。

一方ウィーン・フィルを指揮するのはロリン・マゼール。彼はそんな邪推など無用とばかりに、ヴェルディとワーグナーを並べてます。ええ、ええ。これでは千葉でも深読みのしようがございませんわ(笑)。

●7月29日(月)【7月28日(日)深夜】午前0時20分~午前4時20分

・ポリーニ&ティーレマンによるブラームスのピアノ協奏曲 第2番&交響曲 第2番
・ポリーニ&ティーレマン指揮 ドレスデン国立管弦楽団演奏会

これはなんだろう、タイトルがそっくりでコピペの失敗かと思いましてよ(笑)。ちゃんと見ればなんのことはない、ふたつの「ブラームスを軸にした器楽派ドイツ音楽」プログラムのコンサートでポリーニ&ティーレマン&SKDによるブラームスのピアノ協奏曲が揃いますよ!というものでした。
個人的に少し意外なのは、セルが交響曲と称したとされる第二番はメインプログラムじゃなくて(交響曲第二番がメイン)、むしろ若書きともされる第一番がメインに置かれている、ところですね。レーガーのロマンティックな組曲、大きい作品なのかしら…(調べたら30分くらいの管弦楽曲みたい)

ともあれ、現在のポリーニによるある種集大成にも感じられるコンサートになっているのではないかしら。ティーレマンはそれほど好みでもないのだけれど(良くも悪くもオペラ上がりの指揮者だと思う、だからワーグナーはむしろ好きな方です)堂々たる演奏であるだろうことは予想がつくので、この控えめな評価を覆すような演奏であることを期待しましょう。




ああ、録音があるのですなあ…でも最近ときどき思うんです、音源のみの販売、いつまで中心的な役割になるのかなあ、と…(その話はまたいずれ)

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ということで簡単なご紹介でした。あれ、ヴェルディの序曲を除くとドイツものばっかり?むむむむ…ともあれ本日はこれにて、ごきげんよう。

2013年6月21日金曜日

いいものもある、だが悪いものもある。ではこれは?

こんにちは。と言うかほんとうにご無沙汰いたしました、千葉です。

いちおう空白の理由は向こうのブログにも書きましたとおり、左手の火傷からくる心身の不調ゆえ、でした。体調が悪くて音楽など上手く受け取れませぬ、ただせめてそのお詫びをしておくべきでありました。本日はちょっとどうとも取れるニュースを知ったので、復帰戦とて少し書きますです。

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サッカーの話題が落ちついた後の千葉のTwitterのタイムラインでは、しばしこれが話題になっておりました。見てないけど新聞広告を出されたんですね。

◆2013年9月 Opera AIDA in TOKYO DOME

なるほど。闘強導夢、じゃなくて東京ドームでまたオペラをやると、アレーナ・ディ・ヴェローナのアレの引越し公演で「アイーダ」です、と。

千葉がフォロウさせていただいてる皆様には以前の、バブル期の来日の記憶も千葉同様にあるようでございまして(そりゃそうか)、千葉同様にあれやこれやの反応がございました。
千葉がツイッターで書きました反応は、どちらかと言えばいわゆる業界っぽい見方になっちゃいました、情報を知ってまず今から9月の公演の売出しってのがどうかな、と思ってしまって。それをここにざっくり書き残すならば、「おそらく顧客層を明確にターゲティングして(悪く言えば皮算用)、この記念年に打ち上げる花火としては失敗しない程度の予定はあるのだろう、ただしその座組はポピュラー畑のものに思われるので充分に機能するかどうかは不明、客層も不明」というもの。きっと、千葉がブログやTwitterでおつきあいいただいているような皆さんがチケットを買っていく公演ではない、んですよ。じゃあ誰が行くんでしょうね?(笑)

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まあ皮肉っぽい言い方にはなりましたが、ヴェローナの上演が悪いものだと言っているわけではございませぬ。彼らの「アイーダ」、最近の映像が公式に配信されてましたから以下に貼っておきましょう。



巨大な舞台に大量の出演者。豪華であります。まあフェスティヴァルとしてはありだと思いますし、この作品はそもそも特別な意味合いを持たされたものだから、そしてヴェルディ作品の中でも見世物的要素をも取り込んだグランド・オペラ路線の極北ですから、「特別な上演」としての演出なのでしょう。今風の読み替えがどうこういうような演出ではなく、スペクタクルを提供する場としての劇場、まあこれはこれで。

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しかしその一方で、この作品は伊達にヴェルディ最晩年の傑作ではないわけで。筋立てはシンプルなメロドラマでありながら、学者オーギュスト・マリエットの原案があって相応にオーセンティック(もちろん、現在の研究の水準から見たらただの面白ストーリーなのかもしれませんが)、そして中盤の凱旋が終わればあとはドラマ的には袋小路へ一直線の心理劇。そういった面は近年の、たとえば千葉は好きで聴いているのだけれどアーノンクールの盤ではこれでもかと強調されてます。なんかチューリヒでの上演は読み替えで現代のパレスティナだったとか…(まあ、ありだと思いますけど)


そう、安心して楽しむことを許してくれる見世物でもあり、同時に最高のドラマを、オペラを楽しめる作品でもある。そういう作品ですから、どんな経緯でどなたが行かれるのかイマイチ想像できないのですが(笑)、行かれる方が楽しまれますよう。

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いいなあ、まだ実演は見たことないんですよね「アイーダ」。この先あまり機会もなさそうだし…いろいろ言いましたが、千葉の一番素朴な感想はこれであります(笑)。関係各位も含めて、公演が成功に終わりますようお祈り申し上げて本日はおしまい。ではまた。




アーノンクールのプロモーション映像もございました。よろしければどうぞ~。

2013年5月30日木曜日

ハイ注意して~、今日でスキャンダラスな初演から100年目なのは…

こんにちは。千葉です。

ちょっとこっちでも書かなければならない時事ネタがありそうです。

◆下村氏、財源確保にカジノ活用 文化懇話会で

こういうニュース、虚心に読むたびになんというか、教育というのがおこぼれとして定義されているのだな、との認識を確認してしまい、いささか抑えがたい怒りを感じてしまいます。教育を国の未来をつくるための長期的投資として引き受ける覚悟がないのみならず、よりにもよって、合法的賭博の上がりの分だけハイカルチャーの存在を許す国になろうとは。

そんなに財源と事業が紐付いているべきだというのなら、その対照表をすべての事業について示してから始めてはいかがですか?

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でもその話はまた別途。書くならこっちのブログです、政治の話ではあるけど。

今日はそれよりこっちでしょう、100年前のこの日にシャンゼリゼ劇場で初演されたバレエ「春の祭典」の話。そう、バレエ、ってのが重要なところで。演奏会での初演は悪名高いスキャンダルとはまったく無縁に、バレエの上演から後に平穏無事に行われているのです。

この事実から想定されるのは、「実はハルサイは音楽としてはそんなに突飛な存在ではなかった」という可能性です。実際、バレエ・リュッスの作品群を、そしてその周辺の作品についても併せ考えてみればそこまで極端な存在とは言い難い。口で言っているだけだとなかなか問題がはっきりしないのでひとつ演奏でも。そうねえ、これとかどうなんだろう。毎度おなじみAVROさまの全曲配信です。





あとで聴いたら感想は書きます。ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン、ちょっとアンソニー・ホプキンスに見えますね(おい)。
もちろん、今の私たちはこの曲について程度の多寡はあってもよく知っているから驚かないだけ、かもしれない。千葉は正直、初演から100年が経っても「現代音楽」と称されてしまうことには正直辟易しているのだけれど(笑)、独唱や合唱なしでもステージを埋め尽くすオーケストラが紡ぐこの音楽はまあ、充分に衝撃的なものではありえます。ジャンルを超えた影響を後世に与えたこともむべなるかな、と。これがなかったらヴァレーズの作品とかもなかったんでしょうしねえ…

なお、動画を貼っておいてあれなんですが、この曲、まずは実演で聴かれることを推奨します。如何に名演の動画でも、刺激的な名録音でもこの曲の多面性を「体験」するには足りないので。

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さて。ではそのスキャンダルを招いた要素をバレエに求めるとしましょう、それはいったいどのようなものだったのか。

せっかくの記念日だから(最近も使ったフレーズ)、禁を破ってちょっと微妙な動画を貼っておきましょう、復元されたニジンスキー版のバレエ「春の祭典」です。



同じバレエ・リュッスの作品でも、たとえば当時は最高にエキゾチックな踊りとして受容されたミハイル・フォーキンの振付は今見るともはや完全にクラシックに近い。同じストラヴィンスキーの音楽によるバレエでも、「火の鳥」(筋書きはロマンティックなものですしね)や「ペトルーシュカ」(よりパントマイム的身振りが印象的、コンパクトだけど劇的ですね)が大好評だったのは「エキゾチックな音楽&美術」と「比較的見慣れた振付」の組合せの妙だったのかなあ…とか、思ってしまわなくもない。あ、その二作の動画は貼りませんよ?(YouTubeにはあるようですけどね、フルサイズで…)

こうして100年前のスキャンダルを巻き起こしたバレエを見てみると、しみじみと思うのが「これはバレエって言うより、ダンサーという”動くオブジェ”による空間造形だなあ」ということです。バレエ・リュッス以前にはそれこそ美しくいかがわしき花舞台(笑)でもあったバレエ、たったの数年でここまで連れだされてしまっちゃあそりゃあブーイングのひとつもでるかな、と。山岸凉子先生が拾った「歯でも痛いのか!」、よくわかります(笑)。

おそらく、よりモダンな舞踊に触れている方にはもう普通の舞台なのでしょう、千葉にとってストラヴィンスキーの音楽がそこまで特権的なものではないように。っていうかあれなのかな、同じニジンスキーのバレエでも「牧神の午後」(1912)のほうがより「新しい」ものだった、のかなあ。ほんとうは舞踊の系譜からもこの作品を捉え直す方向でまとめられたらいいのだけれど明らかにそれは千葉の任じゃない、門外漢の妄想はこの辺で。

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ということで。その登場から100年も経っているんだから、いつまでも「斬新!新鮮!」とは言ってられないんじゃないのかなあ、とか千葉は思うわけです。
ならせっかくの記念日なんだから黙ってスルーしろよ!と思われるかもしれませぬ。えへへ、千葉はですね、性格悪くもこの記念日を、20世紀のある時期までの作品を「ゲンダイオンガク」扱いすることから開放するために使えないかなって厭らしく考えているのです(笑)。
というのも、音楽のハルサイはそんなに音響的には特別じゃない、舞台の方はより特別ではないかもしれない。この作品をしてマイルストーンとしているのは、後の時代からは第一次世界大戦前夜とも言えるのだろう1913年に、最高にスキャンダラスなバレエの初演のエピソードによって登場したこと、その出自に起因するのだよ。とか、言っちゃってもいいんじゃないのかなあ、とか思ったりもしなくないこともなくなくてよ。

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とまあ、天邪鬼になりたくもなりますわよ、こんなにこの作品ばかりが取り沙汰されているのを見ると(笑)。ただでも同年の目玉の新作だったはずの、「春の祭典」のわずか二週間前に初演されたドビュッシー作曲ニジンスキー振付の「遊戯」なんて当時も今も空気なのに!(笑)※

おそらくバレエの文脈からも、音楽の文脈からも今なお多くが汲み出せるだろうバレエ「春の祭典」(こだわります、ってかここ重要)の初演100年をあまり率直ではない形でお祝いさせていただきました。とりあえずはここまで、ではまた。ああそうそう、「日付変わっとるやないか!なにが「今日」じゃこら」などのご意見もあるかと存じますが、欧州との時差を鑑みてアディショナルタイム内の更新と判定させていただきましたことをここにご報告します。ではっ(脱兎)。

※寝て起きて、ひとつ思いつきました。もしかして「遊戯」が不発だったから、「春の祭典」で不満が爆発したのでは?という、いわば合わせ技スキャンダル。まあ、ただの憶測なんですけどねえ(笑)



さ、参考にしてくれてもよくなくなくてよ。

2013年5月22日水曜日

せっかくの記念日なので。

こんにちは。千葉です。

なんというか、ここ最近あまりにもきな臭い。そういう話はちゃんと書かないと、と思うがゆえに書きにくいのだけれど、インターネット閲覧履歴保存の義務化(テロ対策?意味不明ですわね)とか、児童ポルノ規制の動きとか(本当に人権を侵害されている子たちの保護につながる施策から進めないである種の「焚書」からはじめる発想が理解できない)、政権の正気を疑わせることが多すぎる。そしてそれに対して普通の批判すらされていないように見える。さあこの国の明日はどっちだ!(自棄気味)

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何もそこから話をつなげるつもりはございません、いくら話題の人が政治的に難しいからといって(笑)。ええ、本日はリヒャルト・ワーグナーの生誕200年、まさにその日なのですね。おめでとうございます、とまずは言祝ぎ申し上げますわ。

だからなんですね、今週の月曜、火曜の深夜に「BS世界のドキュメンタリー」で「ワーグナーとわたし」※が放送されたのは。リポータのスティーヴン・フライがユダヤ人のワグネリアンである、ということがよく伝わる番組でしたわ。っていうか、それ以上のことはなかったような…まあ、一般向けの紹介、情報番組だと思えばあれでいいのでしょう、結論を押し付けないどころか彼個人の見解すら示さなかったのにはさすがに拍子抜けしましたが。

※原題「Wagner and I」をそのまま訳せばこうなりますわね。ユダヤ人の、と邦題に追加したのは結果ミスリードだと思う。実際の番組はそこまでは踏み込まないで、ワーグナーとその受容をめぐって「問題が存在すること」までを紹介するものなのに、この一言で過剰な意味付けをしてしまうことになっていたのではないかな。とか、少しそっち方向を期待した千葉は思うのさ。

かくいう千葉は、残念ながらワグネリアンを称することはできませぬ。
なによりあの、台本がちょっと。同年生まれのオペラの巨匠として今年はどこでも並べて言及されるだろうヴェルディを引き合いに出すまでもなく説明的にすぎる導入(逆にイタリア・オペラは端折り過ぎだと思われるかもしれませんが、それを流れの中で見せるのも技だと思うんだ)、そして時代の癖なのだろうけれど超越願望がストレートにかなってしまう展開、どうにも好きになれませんで。
そこにいわゆる「思想」が絡むともうどうにもこうにも。もちろん、同時代の思潮から積極的に多くを得て、彼独自に統合されたものに、なにか独特なものがあるのを認めないわけじゃない。でもあれはアマチュアでしょうよ、思想という観点からは。切り口として見るぶんにはいいでしょうし、そこから読みをふくらませるのは当然アリです、でもその「思想」なるものがあるから、ともちあげるのはちょっと違うかなと。なにせ革命家としてもかなりご都合的パッチワーク的思想の信奉者だったようですから、そこで彼を評価してしまうのは正直どうかと。反ユダヤがどうこう、以前の問題なんです。もちろんそれは良いものだと思わないし(ベックメッサーがはじめ「ハンスリッカー」なる名前で想定されていた、という話にはドン引きしました)、ナチス的なものとの親和性の高さも否定できない(利用されたからどうこう、ということ以上に志向の方向において影響してしまっているかなと)。でもそれ以前、思想そのものとして、それほどのものじゃあない。

でもねえ、音楽は素晴らしいと思うんだ。何も自分の楽器が存分に活躍するから、ってだけの理由ではなく。オペラ時代の、後年のものに比べればまだ軽やかな作品も悪くないし(「オランダ人」では飛び抜けたものはあまりないように思うけれど、充分に劇的な音楽だと思います)、オペラの総決算二作、そして楽劇、神聖舞台祝祭劇へと展開していく音楽の、とくにその響きには感服いたしますわ。とくに「トリスタンとイゾルデ」、そして「パルジファル」に惹かれるのはドビュッシーからの逆影響、なのでしょうね(笑)。それにその昔は「なんかずっと同じメロディやってるよね」と思っていた「ニュルンベルクのマイスタージンガー」も(子供の頃は本気でそう思っていた。あはははは)。

ほんとうは、台本も音楽も一人の作者によるテクストなのだから、こういう区分は本質的にムリなのかもしれない、とも思うのだけれど、千葉はどうしても「台本作家」と「作曲家」、両方を同じようには好きになれる気がしませぬ。っていうか前者、嫌い(笑)。信頼できる台本作家と組んで仕事ができる人だったらよかったのに(ええ、ムリだとわかっていますが)。

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まあ、それでも好悪抜きで、聴いていいものだとは思うんすよワーグナーさん(偉そう)。千葉にとってはいわゆるヒストリカルの、まさにこの作曲家に余計な意味が付与されまくったいわくつきの時代に活躍したマエストロたちを知る縁にもなってくれましたし(今でもヒストリカルのベートーヴェン、モーツァルトは苦手です)。特にもフルトヴェングラーのこの盤、今日聴くのに一枚選ぶならこれですねえ…



でもまあなんですか、もしこれから聴こうかな、と思われている方にいきなり「じゃあCD4枚分、聴いてみて」ってのはどうかなって思うので、適当な動画でもないかなってYouTubeで探してみたら、いやはや今は全曲をアップロードしている人たちが多いんですねえ…真面目な話、「wagner (作品名)」で検索して見てくださいな、あまりにも大量にあるので紹介するのをあきらめちゃいました(笑)。探せばこの盤もあるんじゃないかなあ(あえてぼんやり)。

個人的には正直、全曲から入るのは苦行に過ぎると思っております。自分の導入がメータ&NYPによるリングの抜粋だったせいもあるんでしょうけど。序曲集とか抜粋の中でも、例えばマゼールによる「言葉のないリング」とか雰囲気を知るのにはいいと思います、さっきの検索にも大量に出てきましたし(あえてリンクはしませんよ)。
でも個人的な好みでは、ノリントン&ロンドン・クラシカル・プレイヤーズによる序曲がなかなか、この作曲家観を変えてくれるいいものだと思います。いわゆる「古楽器」、千葉が言うところの同時代アプローチによって示される当時の(ものに近い可能性がある)サウンドは、なかなか軽やかで歌ともぶつからないものに思えます。まあ、当時の音でも歌には相当に負担のかかるものだったのでしょうけれど(笑)。

さてこれから夜にかけて楽劇をひとつ流すと日付が変わりかねないところではありますが(晩御飯等のロスタイムを考慮した)、たまにはってことで「トリスタンとイゾルデ」でも聴いてみましょう。最後までたどりつけるといいなあ…では本日はこれにて。


2013年5月19日日曜日

公共放送さん、F1やりませんか?(記事とタイトルは関係ありません

こんにちは。千葉です。

またこんなに間が開いたよ!どうなってんだよ自分!
…すみません、最近イヤホンだとちょっと聴き疲れるようになってきてしまって、以前のやり方でガンガン聴いてガンガン書くのは正直なところ難しいのです。テレビ用にも使えるような、それほどのお値段じゃないヘッドホンでも買わないといけないな、と思ってはいるのですが、いかんせん先立つモノが…

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そんな状況でも日々は過ぎ、録画された番組や見た動画などは増える一方です。「クラシック倶楽部」なんかうっかり録画すると大変ですね、ちなみに明朝は庄司紗矢香ヴァイオリン・リサイタルですよ。「見たら消せばいいか~」とか思っていたはずなのに、見たら見たで「あれこれは資料的価値あるかな」「意外にいい演奏!完全版で見せやがれ」(無礼ですみません)とか思ってしまって。おかげさまで最近は週末のたびにダビングや見て消す番組の選択、些細な量にしかならないけどCMのカットなどにいそしむ羽目に陥っております。録画生活、怖い(笑)。



庄司紗矢香のベートーヴェンも完結間近なんですね、そういえば。日本人ヴァイオリニスト仲間の(緩いくくり、っていうかもっとちゃんとした協力関係にあるよね彼ら)樫本大進とほぼ同時期にソナタの全集ができあがるのかな、なかなか数奇なものです。

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さてさて先日ご紹介した5月末までのNHK BSプレミアムの看板番組(しつこい)にして千葉のHDDを圧迫する(笑)番組、プレミアムシアターの6月(正確には7月1日まで)の予定が出ていましたのでさくっとご紹介。

…と思ったんですけど、残念ながら千葉の嗜好に鑑みますとご紹介さし上げるのはこの期間、一回だけになってしまいます。クラシカル・クロスオーバーの良さがイマイチわからない(6/9深夜放送分)ので僭越すぎてご紹介する気にはなれない、バレエは好きだけどつっこんだ話はほぼできない(6/30深夜放送分、クラシック音楽に近いジャンルの舞台芸術として、少なくない傑作を共有するジャンルとして機会があれば見ては来ましたが、その程度でどうこういうのもはばかられる)。というわけで、こちらの公演だけ、さくっと。


●6月24日(月)【23日(日)深夜】午前0時~午前4時

・ベルリン・フィル ヨーロッパ・コンサート2013・イン・プラハ
・五嶋みどり&ズービン・メータ指揮 ミュンヘン・フィル演奏会

前半のラトル指揮ベルリン・フィルによる恒例ヨーロッパ・コンサート、今年はプラハ城での演奏会。奥方でいらっしゃるコジェナーとの共演、そして「今の」彼らのベートーヴェンはなかなか興味深いところです。そうか、ウィーンとの録音は21世紀最初の全集って言ってたんだから、もう新盤を出してもいいのかもなあ、集大成として。しみじみ。

後半のコンサートはあれですね、オケの公演なのになぜ「ソリスト&指揮者 オーケストラ」の順で書かれているんだろう、というのが最初に気になりますがツッコみませんよ(と書くことでツッコんでしまう、不思議!)。
たしかに。ブラームス、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲はちょっと中プロにするには重すぎる、でもメインにするならリハとか主導権とか(笑)幾多の制約の中で失敗が許されない、困難な状況が現れちゃう。まあ、その困難をクリアできそうなソリスト&指揮者の交流、そしてオーケストラとの協調がこの演奏会ならありうる!と思ったのでしょう、きっと。五嶋みどり&ズービン・メータは録音も少なくない組合せだし、ブラームスを軸にしたコンサートでミュンヘン・フィルがいい仕事をしないわけがない。そう思いたいな(笑)。
なお。個人的にはまさにその中プロ、今年没後50年を迎えたパウル・ヒンデミットの交響曲「画家マチス」の演奏映像が一番の楽しみだったりします!オペラとしては、かなり地味めな政治劇なのでちょっとまだ掴めないでいる「画家マチス」だけれど、交響曲の方はもうけっこう長いつきあいなのでこの映像は喜ばしいかぎり。作曲家とミュンヘンのつながりはあまりないような気がしなくもありませんが、ここは虚心に好演を期待します。ってもう演奏は終わっているし、評判もその気さえあれば調べはつくのだけれど。

なお、今晩はカラヤンのドキュメンタリー&ビゼー「真珠採り」の二本立てですよ。ビゼーは合唱がアクサントゥスなんですね、よく見たら。これも期待しましょう…


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さて追加でもういっちょ。最近、向こうのブログでは「オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史」で何度か言及した、週日24:00から放送されているBS1の看板番組(しつこいなあもう)、「BS世界のドキュメンタリー」ですが、明日明後日とクラシック音楽のお題です。「ワーグナーとユダヤ人のわたし」というタイトルには、バーンスタインが制作したドキュメンタリーのことを思わせる部分もありますので、ちゃんと見る予定ですよ。

ということで公共放送文化部門の回し者のようなご案内はこれにて終了。ではまた、今度は近いうちに!(笑)


2013年5月3日金曜日

ラトル&BPhの教育プログラムも10年ですね

こんにちは。千葉です。

向こうに書く記事がまとまらないのでこれだけは今日のうちに書いておきたい。

あのう、2006年に国会で福島第一原発の潜在的危険を指摘されながら特段なんの対策も取らなかった当時の総理が、あの事故のあとに再び同じ任にある事自体が理解できないのに、いま彼が他国に対して「世界一安全な原発技術を輸出」云々言っているのは、何かの不条理ジョークですか?

あの人とその周辺の多幸症、ユーフォリアを止められなければ大変なことになる、その程度の想定は誰でもできましょうに、どうしてそもそも問題を指摘する者もなく、諌める者もなく好き放題の放言を繰り返すのか。それを許しているのは何なのか。これを考えないでいることは難しい。というか、放置したら取り返しのつかないことになる。オリンピックが開催できなくなった場合に敗北の責任者に指名されるだろう彼の言動なんて、それに比べたらかわいらしいものですよ。

え?あれはいい振舞いだと思っていらっしゃるのですか?積極的支持?それなら是非、積極的支持を言葉にして残してくださいな、他所との比較じゃなくて、ね。

ああもう、言葉にするとこうなるのはわかっているのだけれど、黙っているわけにもいかないと思うもので。有効性のロジックで考えるなら、何かの行動が求められるところ、なのだけれど。

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さて辛気くさい話は一休み。っていうか次にこういうのを書くのは向こうのブログ、です。

今日ご紹介したかったのはこちら、ベルリン・フィルがまたしても動画を無料公開しております。

◆ベルリン・フィル教育プログラム スペシャル映像

映画でご存知の(ということにしておきます)あのダンスプロジェクトも今年で10周年。

あの映画、今の文化軽視が流行っているこのお国では見直されるべきものじゃないかと思うんだけど、どうですかね。ラトルが言うところの「芸術は嗜好品じゃない、空気と同じでなくてはならないものなんだ」、その思いなしに、我々は文化を切り捨てる風潮に対峙できないと思うのだけれど。

それはさておき、今年は再び「春の祭典」とブリテンの「ノアの洪水」を取り上げたのだとか。記念年ずくし、ですね(笑)。先ほどのリンクから、ブリテンの抜粋が3分ほど見られます。これはなあ、全曲見たいなあ…(貧民の嘆き節は以下割愛)

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これだけだとあまりお得じゃないので(笑)、期間はわからないのだけれど彼らの新譜がフルサイズで聴けるとあるサイトをご紹介。オランダの放送局「Radio 4」ってのは気持ちのいい太っ腹さを示してくれまして。期間限定、トラックごとに切れる設定ではあるのだけれど、新譜全曲を聴けます。そこにいま、ラトル&BPhの「春の祭典」ほかのアルバムが入ってます。期間限定・終了時期を知らないもので、なるはやでお聴きくださいませ、とのみ(笑)。リンクはこちらから。

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いま読んでいる本が、ポピュラー音楽方面からラジオやレコードの影響について検討しているものだから、なにかいろいろ考えてしまいそうになりますが、今日のところはこれにて。ごきげんよう。


2013年5月2日木曜日

不在の動画日記~五月最初の日

こんにちは。千葉です。

こっちでは重たい話題は書きませんよ~、っていうか、別に書きたいわけじゃないんだよなあ…
だけど、時代の相がどうのこうの、とか書きながら自分の時代を無視して生きているのは問題がありましょうよ、それに沈黙はそのまま白紙委任になっちゃうんだろうし。めんどくさいなあ…

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それはそれとして。今日は本来なら、一昨年くらいまでの恒例、ショスタコーヴィチの交響曲第三番を動画で紹介できるといいかなって思って探していたのです。最近の企画趣意にも合うし、何より音だけじゃなくて演奏している映像があれば、この独特な曲も受け取りやすいんじゃないかな、と以前から思っていましたので。
いわゆる交響曲らしい形式なしの、場面が次々と展開していく合唱付きの交響曲、しかも歌詞は全開のプロパガンダ(笑)。これはねえ、音だけで聴いてるとまずは「何だこりゃ」と思いますよ普通。しかししかし、実は歌詞がつくとさらに珍妙になるという衝撃の事実もあるわけで。それこそ「森の歌」を字幕付きで演奏されると否応なくスターリン時代の歴史認識に驚愕しますからねえ…

最近では公式の動画配信も増えてきた、とはいってもこの曲の場合まず演奏機会が少ない、であれば配信どころか過去のテレビ放送の記憶もいささか曖昧だ(昔テレビで見て、友人が「こういうの(政治的な歌詞)嫌いだなあ」って言ったことがあった、ような気がするんだけど…)。残念ながら今のところ、YouTubeで探してもニコニコ動画で探してもコンサート映像は見つけられない。残念。

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音だけならまあ、こんなにあるみたいなのに残念なことだわ…あのオケが演奏してくれたら、きっと配信してくれるのだけれど(ということで次回へ引き)。

もはやメーデーの形骸化が限界を超えてしまったように思える本日はこの辺で。ごきげんよう。




生誕100年を超えて、入手しやすいのがけっきょくこれ、ってのは後退じゃないのかね、と思わなくもない。まさかキタエンコの全集も入手しにくくなるとは。他に「メジャー」な全集もないとは。むむむむむ。

2013年4月26日金曜日

メモ:佐村河内守氏の番組ふたつ

はっ。こ、こんにちは。千葉です。

っていうかこんばんは。あのその、寝落ちしてました…

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簡単なご紹介その二はテレビのお話。
先日その作品について感想を書きましたところの佐村河内守、明日明後日とテレビで取り上げられるようです。

まずひとつめは意外にも民放、それもバラエティ。TBS系列で21時より放送されている「金スマ」こと「金曜日のスマたちへ」で、彼の生涯とその作品が紹介されます。なんと東京交響楽団が交響曲の一部をスタジオ演奏するとか、いったいなにがそこまで彼らをやる気にさせているんだ…※

ちなみに。ここでリンクを貼ろうと調べてみてわかったのですが、パソコンから見られるサイトが驚くほどやる気がなくて、ある意味感心しました。ターゲットが絞り込めてて、更に制作スケジュールや肖像権などの制約を考えれば当然なのかなあ…まあいいや、こういう機会にしか千葉も見ることはないだろうし。

その二。先日のドキュメンタリでは部分を編集して放送されていた、2013年2月25日、東京芸術劇場コンサートホールにて、大友直人指揮日本フィルハーモニー交響楽団の演奏により行われた交響曲第一番の東京全曲初演コンサート、その全曲が27日(土)の15時より、NHK Eテレで放送される模様です。気になっていた演奏会ではあります故、録画して見てみようかと思う次第であります、その感想を書くかどうかはおくとして。

なお、佐村河内守に関する情報は、このリンク先でご覧になるのがよろしいかと。レーベルのやる気をひしひしと感じます(笑)。

あっ。深夜の軽口で何か揶揄してるようにとられるかもしれませんが、千葉は東響やDENONレーベルにポジティヴな効果が一時的であろうともたらされるのはいいことだと思ってますし、あの音楽が聴きたい人に届くのもいいことだと思ってます。あああ、ちょっといま「言えば言うほど」って新谷良子さんの声が脳内に響いたのでこの辺でやめますけど。

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そんなわけで深夜の更新はおしまい。ではまた、おやすみなさい。


映画「桜、ふたたびの加奈子」でテレビ局が噛んでるのかなあ、と思って公式サイトを確認したらあら不思議、リンクがあるのは違う局ですね。ますますもって、何が彼らを以下省略。




そういえば吹奏楽、以前にも書かれてるとか聞いたような…(ここでリンクを貼った東京佼成ウインドオーケストラの公演では、委嘱新作が演奏されました)そして原作が新見つき…じゃなくて新津きよみさんってことは、きっといま流れてるCMはミスリードなのかな。映画館では見ないと思いますけど、ちょっとそのあたりが気になります。

2013年4月25日木曜日

よっ太っ腹!~ラトル&ベルリン・フィルの動画無料公開

こんにちは。千葉です。

今日は簡単にご紹介だけ(その一)。

Twitterを眺めていたら(最近あまり言うことがない、というかTwitterに向かないことしか思いつかない)、こんなツイートに出くわしまして。以下引用。


ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  @BerlinPhilJapan

【無料映像】ラトル指揮、ベルリンフィルによるベートーヴェンとマーラーの交響曲の演奏映像を無料でご視聴いただけます。こちらのリンクから、デジタル・コンサートホールに「ご来場」ください!

添付されていたアドレスへのリンクはこちらに

曲目はベートーヴェンの第四番とマーラーの第一番。ん?なんか見覚えがあるな…と思ったら2010年8月27日の、たしかドイツ銀行招待で無料試聴できたシーズンオープニングの公演ですね、これ。最近の彼ららしい、若干の恰幅の良さと余裕のある鳴り、そしてそれでも十分に聴き手を連れ回す演奏だったのではなかったかな、と記憶していますが如何かしら。ちょっとあとで見てみますね。

もしかしてアベノミクスでますますDCHが遠くなったんじゃないか自分、と懐の寒さを人のせいにしながらひとまずはおしまい。後ほどもう一つ、テレビの情報を書いておきます。では。




ああ、右側の映像ソフトが比較的収録時期が近いので(同年11月)、こっちをご存知なら演奏のイメージは湧くかもしれませぬ。

2013年4月24日水曜日

このオケとこの人が、へえ… ~動画日記第三回


こんにちは。千葉です。

あのう、こっちには社会的に重たい話は書かないつもりなのだけれど、昨今の国会のニュースはちらっと見かけただけでも気が滅入ります。どうしてあの人たち、あんなに上機嫌なんですかねえ。今まさに誤った「決断」をいくつもしでかそうとしている人ってのは傍から見るとそういうもの、なのかもしれませんけど。なお、向こうのブログで少し紹介した内田聖子さんのブログ、よろしければ皆様もぜひ。かなり、危険な状況だと思っています、TPPに関する彼我の現状。

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はい気を取り直して動画日記行きましょう。更新を増やすつもりだったのにようやく三回目(けっきょくこの前のはカウントしないことにした模様)。道は遠いわ…

今回も公式アカウントで紹介されている動画をひとつ。千葉の好きなオーケストラを意外なマエストロが指揮している、超有名曲です。



はい、ブダペスト祝祭管弦楽団を、ラインハルト・ゲーベルが指揮した、ヨハン・セバスティアン・バッハの管弦楽組曲第三番です。

音楽監督であるイヴァン・フィッシャーとの録音は、お国もの(となればどうしても20世紀音楽になりがち)を除けば基本的にロマン派を軸に展開されていますから、ブダペスト祝祭管弦楽団とバッハが、一瞬結びつかなかったのです。モダン楽器で普通に演奏してるのか、それともいわゆる同時代アプローチを踏まえた演奏なのか。
その上指揮者がゲーベルって。千葉は非常に多くのコンサートにうかがっていた頃にもそれほどはいわゆるピリオド楽器、同時代アプローチによる演奏会に行けなかったものだから、いわゆる古楽系の指揮者のイメージはアーノンクールやヘレヴェッヘ、ホグウッドあたりの無骨な指揮ぶりか、通奏低音を担当しつつアンサンブルの一員としてリードするタイプしか出てきません(ノリントンは、ある意味で別枠)。そんな具合ですからあ、予想も何もできずに拝見しましたよこちらの動画。

刈り込まれた編成でティンパニやトランペットはナチュラル楽器だし、弦楽器は基本ヴィブラートなしのバロック弓、ということで「楽器そのものの素性を除けばほとんどバロックオーケストラ」とでもいうべきアプローチ、でした。うむう、そういうのもやってるんですねブダペスト祝祭管弦楽団。あなどれんな。

でもね、それはまあありうる線かなって。モダン楽器でヴィブラートばりばり、20世紀風の演奏をするならゲーベルを招く必要、ないもんねえ。それにそもそもこのオケはモダンな曲を演奏してもそういうなんとなくヴィブラートがかかってるようなこと、ありませんし。いつもの引き締まったサウンドイメージからそう遠くない、と言えないこともない。うん、そう思います。

でもねえ、ゲーベルの指揮には驚いた。激しい!(笑)ロマン派あたりの曲でモダンオケを指揮するようなアクション、意外すぎてしばらく目が離せませんでした。でもその身振りから出てくるのは前述のとおりほぼバロックオケの音、入魂の一振りがもたらすのはデフォルメじゃなくて明確なアーティキュレーション、なんですよ。普段のゲーベルを知らないのでなんとも言いようがないのだけれど、これは新鮮でした(もちろん、千葉にとって)。この曲以外にも動画があるようなので、それらもちょっと見てぼんやり考えてみようかな…

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なお。超有名曲、と言われても…と思われた方は、もったいないから是非全曲を聴いてみてくださいませ、たったの20数分ですし。いいですよ、管弦楽組曲第三番。

ただその有名曲、この演奏のテンポ設定で気づいてもらえないかも、と思わなくもありませぬ。まあひとつ、聴いてみてくださいよ(ニヤニヤ)。では笑いだけを残して千葉はクールに去るぜ(おい)。ごきげんよう。

2013年4月22日月曜日

ベルリオーズの話 その交響曲について~または動画日記のようなもの

こんにちは。千葉です。

間を空けずに書き続けるのは難しいのです。特に、お題が少し大きくなるとそこから書くものがかってに拡がってしまうのでますます難しくなる。そうか、コンパクトにまとめることが自分の場合過大なのだな、ふむふむ(いま気づいたのか!)。

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そして復帰する今日の記事はまあ、動画日記でもいいのだけれど、ちゃんと中身までは見られてないものが多いので。

先日、「ベルリオーズのスペシャリスト」なる評価について疑念を呈しました。もちろん、その演奏が悪い!とか言いたいわけではなく(先日書いたとおり、千葉はサー・コリン・デイヴィスについては何度かの実演での経験が大きすぎて、録音をうまく評価できませんが、聴いたいくつかはきちんとしたお仕事だったかと)。ベルリオーズという人が、非常に独特な作曲家であって、その「スペシャリスト」ってのは何を指すのかねと問いたいのです。

生きた時代はアーノンクールが言うところの音楽受容の転換期、フランス革命前後。特段神童だったりしたわけではなく(得意な楽器はギターだった、とかなんとか…)、ベートーヴェンを尊敬しワーグナーやリストとも交友があった、作品の評価のみならず社会の変化にも影響されてその地位も大きく動いている。その生涯については、千葉はこの本で学びました。大部なので、なかなか大変でしたけど…




読んだもんねー、だから俺のほうが知ってるもんねーとか言いたいわけじゃないんですよ(笑)。時代の相を踏まえて捉えるようにしないと、こんな変な作曲家(褒め言葉)をちゃんと認識できるとは思えないのです。それ故に、「幻想交響曲の人、でもたしかいろんなジャンルの作品を書いたんだよね」くらいの認識で喧伝されることになっちゃってるんじゃないかなあって。そんな具合だから、簡単に「スペシャリスト」とか言えちゃうんじゃないかなあ、って。

こと交響曲ひとつ取っても、彼ははっきり言って変です。
ベートーヴェンの没後3年で発表された「幻想交響曲」が独特であるのは言うまでもないですが(とはいえ、かなり彼自身の書いたプログラム通りに作られた交響曲ではある)、それに「レリオ」をつけちゃうのはどうよ。
パガニーニに委嘱されたヴィオラ協奏曲(のようなもの)を交響曲にしちゃう、独奏というかオブリガードパートをフィナーレの音響的クライマックスに休ませるのはどうよ(笑)。
戯曲をベースにしたカンタータ的作品を交響曲とするのはどうよ。いや、ある意味「幻想」直系の作品だから、まあ筋が通ってはいる、のかなあ…
そして時代の相がそのような作品を求めたことは知っている、でもでもでも。

この辺の独特なところ、映像で見ていただくのが一番わかりやすいのですが、どうも適当なものを見つけられない。っていうか、あるけどちょっとグレイかなあ…たとえば幻想交響曲ならこれとか「イタリアのハロルド」ならこれとか。ソフトが入手困難とか事情があればまだ、ねえ。むむむ。

そんなわけでこの項、動画日記にはし難いなあと思っておりましたが。せっかくなので、劇的交響曲「ロメオとジュリエット」と、「葬送と勝利の交響曲」は問題なさそうな動画を見つけましたのでご紹介します。まだちゃんと見られていないのでコメントはありません。ご容赦のほど。

まずは「ロメオとジュリエット」。



ジェイムズ・ガフィガン指揮オランダ放送フィルハーモニーほかによる演奏、またしてもAvroClassicsです。ありがたい。密かに合唱指揮がサイモン・ハルシーだったりするのはポイント高いですね。ふむふむ。

そして「葬送と勝利の交響曲」はこちら。



ワレリー・ハイリーロフ指揮ロシア国防軍中央軍楽隊(あってるかなあ、これで)ほかによる演奏です。ステージみつしりの出演者にテンションが上りますが、でももしかすると、これはそもそも会場の選択が間違っているのではないだろうか(そういう問題なのか)。

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大編成萌えしてしまうのはもしかするとさっき見た映像のせいかもしれないのだけれど(オーチャードホールで聴くよりはいい音だったのではないだろうか、くらいしか感想がないのできっと先々も言及しますん)、ことベルリオーズはとっても面白いので機会を作って紹介します。また微妙な動画日記かもしれませんが。

それにしてもあれですね。ニコ・ロズベルグとマーク・ウェバー、そろそろ(以下自重)。ではまた、ごきげんよう。


2013年4月16日火曜日

見かけの印象と違う、熱いマエストロでした

こんにちは。千葉です。

なんというか、続くんですよねこういう時は。洋の東西で、こういう時に出てくるフレーズが違うことには意味がある、という話をずっと考えているけどまだまとまらないのでその話はもう少し先に。

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◆Sir Colin Davis 1927-2013
(ロンドン交響楽団の追悼サイト)

サー・コリン・デイヴィス、85歳にて亡くなられました。合掌。

千葉が偏愛するマーラーやショスタコーヴィチ、20世紀フランス音楽が中心的なレパートリィではないためにこれまで多く言及することはありませんでしたが、このマエストロに多くを負っている、という自覚が千葉には抜きがたくあります。

それはもう20年以上前のこと(年をとるわけだ←以後使用しません、飽きました)、1992年のシュターツカペレ・ドレスデン来日公演は仙台にも来たんですよ。プログラムはベートーヴェンの交響曲第六番とブラームスの交響曲第一番。
その当時の自分にはそれほど興味深いプログラムではない、今ならその重さも少しは想像できるけれど。そして指揮者は当時バーンスタインとラトル、あと何人かしか聴いていなかった千葉にはそれほど馴染みのない、「ベルリオーズのスペシャリスト」なる正体不明のキャッチコピー※で評価されていた、サー・コリン・デイヴィス。白髪でにこやかなジャケット写真とあいまって、正直な話演奏を聴くまではイメージ、なかったんですよ。当時はもう、アンドリュー・デイヴィスとの区別もついていないくらいで。

※ベルリオーズの作品を多く、知名度の低い作品まで網羅的に録音したことでそう呼ばれたのはわからなくもない、でもこの作曲家はそういうくくりを許すような人、でしたかねえ。状況を把握した今、あえてそういう呼称をつけさせていただくなら「ベルリオーズ・ルネサンスの立役者」、が適切ではないかと。「スペシャリスト」と称される演奏家を見出すほどにはこの作曲家は発見されていないように思うのです。っていうか、スペシャリストとは何を指すのかねと当時のコメントをつけた人を虐めてあげたいわ。

そう、見た感じ通りの穏健な英国紳士なのかなあ、なんて思っていました、演奏会のその日まで。その程度の認識でも、そう安くもない演奏会に行ったのは、間違いなく名手ペーター・ダムの存在故、でした。二曲共に乗り番ならありがたい、もし片方でも十分にホルンの見せ場はあるだろう。本当にその程度、仙台で外来オケを聴く機会は本当に少なかったから、その程度でも十分なモティヴェーションになったのです。

で。聴いて驚きましたねえ、このマエストロの演奏。実直?穏健?ナニソレって感じでしたあ、小細工なしのド直球、あえて単純に申しますなら熱血、でしたねえ。小細工がないがゆえの清々しさは相当のもので、オーケストラの音色とあいまって熱量は高いのにしつこくならない素敵な演奏でした。

当時の千葉は著名な音楽家の実演を聴くたびに認識が改まっちゃう状態でしたから(笑)、この時も当然目からウロコ、先入観という名の梁をまたひとつ外せましたのよ。その末に今、なので、それでよかったのかどうかは不明ですが、千葉に大きく影響した音楽家の一人であることは間違いありません。

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そして後年、ロンドン交響楽団との来日公演、サントリーホールで聴いたシベリウスの交響曲第五番、そしてそのアンコールに演奏されたエルガーの「ニムロッド」、これはすでに変わったあとの(すれちゃった、くらいに取ってくださいね)千葉をして、目から水が出る素晴らしい演奏でした。あれは2004年か、ふむ(何かを飲み込んだ)。

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正直な話、セッション録音ではこのマエストロの持つ熱はあまり伝わらないように思うし、ではライヴだったら大丈夫かというとそうも言えない。それにもう書いたとおり、千葉はこのマエストロの録音に傾倒したような時期はない。だから録音を聴いて思い出を偲ぼうとは考えていないのだけれど、千葉には大きく影響したマエストロの大往生の報に触れて、こんなことを思いましたわ。いま一度、合掌。

ではまた。


2013年4月15日月曜日

お疲れ様でした、アドルフ・ハーセス様

こんにちは。千葉です。

また少し間が空きましたよ。毎日書こうと思うと構えてしまっていけませぬ、もう少し緩くていいから継続的に書くようにしなくては…

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さて本日、訃報が続いております。そのうちのひとつは、金管楽器を経験した人ならばこの題のように申し上げるしかないのではないか、と。

◆シカゴ交響楽団の顔、アドルフ・”バド”・ハーセス、91歳で没する
(検索して上位だったシカゴビジネスのサイトにリンクしてます)

クーベリックとの最初のもの以降六回も「展覧会の絵」を録音している、なんてエピソードもその活躍時期が53年間に及ぶことを思えば不思議でもありませんか。シカゴ響の強靭な金管セクションをリードした巨人、大往生かと存じます。お疲れ様でした、としか千葉には申し上げる言葉がないのです。

そのキャリアのほとんどの時期にレコーディングに参加している彼の、どの時期を聴くのが良いかは少し考えてしまい、そしてYouTubeで「herseth」で検索した時に出てくる大量の動画の前で立ちすくみ、けっきょく自分の好きな盤を見て聴いて彼の往時を偲ぼうかと思います。本当にお疲れ様でした。




千葉にとってハーセス氏はショルティ時代のシカゴ響と切り離せないほど強く結びついていますので、その演奏会の映像と、彼らの代表的な録音であり、何より欧州にその名を轟かせたマーラー交響曲全集がまず思い出されます。あとは文中でも触れましたが何度も録音した「展覧会の絵」(ここではライナーのもの)、そしてテンシュテットとのマーラー(1990、ってことはこの時ハーセス、70近いんだ、この音で…)など等ナド。本当に頭が下がります。

2013年4月12日金曜日

動画日記第二回 アンチェル&トロント響のリハーサル&コンサート

こんにちは。千葉です。

こっちのブログはいいなあ、ダークサイドを晒さなくて済みそうだわ(笑)。いや何も、ワタクシが音楽を聴くとき清い心でいるわけではないのだが、暗黒面は無用だからねえ…
暗黒面というより、時折見かける毒舌とか「正論」なる物言いの危うさ、自分なりに気がついている、つもりなので。この話は向こうでするかなあ、それともここの方がいいのかなあ…

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それはさておき、昨日始めた動画日記、本日は第二回です。

今朝Twitterを眺めていたらなんでも今日はカレル・アンチェルのお誕生日であるとか。であれば何か、この人の動画を!と思いまして見つけたものは……埋め込めない。残念。でもリンクはできます故、よろしければそちらでご覧くださいませ。

Karel Ancerl conducts Smetana (vaimusic.com)

って、あれ俺このソフト持ってんじゃないの?と思いましてDVDを探したらありましたありました。カナダのCBC制作によるトロント響のリハーサル&コンサート番組、アンチェルの「モルダウ」と、シェルヘンの「フーガの技法」。


その程度には記憶していたけど、ざっと見ただけで流してしまっていましたわねえ…

リンク先で見られるのは、スタジオコンサートとでも言うのでしょうか、指揮者がぽつんと指揮台にいて、その周りを遠巻きにオーケストラが囲むかたちで「モルダウ」を演奏する場面のみ。ですが、このDVDではもちろんリハーサルが長くあって、その後に通しの演奏があるのです。小一時間の番組で、「モルダウ」は10分弱ですから、リハーサルのほうがずっと長いわけで。そしてもちろん、そのリハーサルが面白いわけですよ。それこそ指揮者とオケのコミュニケーションがよくわかる、指揮者のアプローチがわかる、という点で。

指揮者のお国もの、俺らもいっちょかましてやりますぜ的な表情のオケのメンバーは、リハーサルが始まってすぐ、このマエストロが超がつくきっちりさんであることを思い知らされます(笑)。楽譜に基づいて丁寧に、それこそ日本のオケの営業公演だったら「じゃあ通しで流れだけ確認しまーす」ってなりかねないこの曲を、きっちり仕上げていくさまは感動的ですらあります。流れに身を任せてしまうようなルーズなやり方はせず(ホルンの狩りのファンファーレのバランス取りは好例でしょう)、どこでもきっちりと拍子を振るマエストロ。うん、こういう人だからああいう音がするのよね、ふむふむ。
チェコ・フィルでの仕事はおそらく、彼らの流儀にこのきっちり感を持ち込むこと、そして伝統とのバランスを取ることだったのであろうマエストロ。新大陸ではその前提だったろう「伝統」抜きのオーケストラと、しかしそれでもこの丁寧で厳しいアプローチを続けられたのだなあ。しみじみ。


オケがマエストロのアプローチを理解していく過程は、そのままこのリハーサルを見る我々がこの作品の美しさを発見する過程にもなります。直される前の音だって汚かったりいい加減だったりするわけじゃない、でも「書かれた楽譜はこうだ」とマエストロの指示の下、認識を揃えて出される音楽はより美しく響き、そこには新鮮な驚きがある。いいですねえ、リハーサル番組。どこかの放送交響楽団もいい話を集めたドキュメンタリーよりもこういう現実を残してくれればいいのに。もちろん、ひとつのリハーサルと演奏会は、あくまでも彼らの関係の中のエピソードにすぎないのだけれど、それでも他人が介入しようのない、解釈無用の在り方をそこに見ることができる、はずなのだから。どうすかね、デュトワ、アシュケナージといろいろ言葉だけが残ってしまっている彼らとの関係を赤裸々に示してみては?(嫌味だな、これは)

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あれ、カナダのCBCでトロントで、ってことは…と思われる方もいらっしゃるんでしょうね、はいその通りです。アンチェルさんはこの地でグレン・グールドと共演していて、その映像もあるのです。ちなみに探せば簡単に見つかりますが、さすがにアレなのでリンクはしませんよ、各自お探しくださいませ(笑)。アンチェルさんの前任者のこういう番組があったら、きっと小澤征爾の生涯を辿れる貴重な資料になると思うんだけどなあ…惜しい。むむ。

さても、本日はこの辺りでおしまいです。ではまた、ごきげんよう。



今はこれが精いっぱい、ではありませんが録音も出てますよ、グールド&アンチェル。

2013年4月11日木曜日

動画日記始めます~第一回ネルソンス&RCOの「ペトルーシュカ」

こんにちは。千葉です。

先日のあれ、特に反応がないのでスルーすることにしました(逃げるように決定)。個人的にはあまり、こだわるところがないもので…

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さて、あまり更新の間隔を開けるのも厭だなと思っておりましたが、それをどう解消したものか考えあぐねておりました。ですが最近、比較的まともに動画配信を利用できるようになったことでひとつ妙手が思いつきました。

ということで、今日からYouTube日記を始めます。その日見た動画のうち、権利的に問題のない(笑)ものだけをひとつ、さらっと紹介します。※第一回は、こちら。




アンドリス・ネルソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」です。全曲をアップしてくれる、avroklassiekさまには頭が上がりません。今後もきっと、多くの動画を紹介することでしょう。

※でもあれですよね、違法動画のアップロードならまだしもゴニョゴニョ。詐欺師に騙されるのが悪い、とか某児童ポルノ方面の論理に似た本末転倒を感じなくもない、というか。

アンドリス・ネルソンス、その活躍を考えればそのうち大きいポストに就いてよりビッグネームになるのだろうことは予想に難くありません。でもまだ実演では聴いてないんですよねえ(その予定も、はっきり言ってない)。であれば放送やら動画やら録音は大きな助けになります、これももちろんそのひとつになりましょう。この前放送されたブリテンの戦争レクイエムとか、ソフト化されないんですかねえ…

ざっと見ての感想いや印象ですが、ネルソンスとオケのコミュニケーションがよくわからないなあ、というもの。オンビートというよりもむしろ後振りすれすれの指揮なのに、音楽のテンポはたしかに指揮者のものに見える。むむむむ。こういう「ズレ」に感じられるところに指揮者のアプローチが見えたりするのでけっこう気になるんですよねえ…いつか実演で聴けますように、見られますように。

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昔販売されていたソフトなんかはさすがに紹介しにくいのですが、公式配信なら。そんなわけでこれからさくさくと更新しますね。ではまた。


2013年4月9日火曜日

これからのプレミアムシアターに注目です!(ガルパン風に)

こんにちは。千葉です。

あの番組、見たんですけど、なんか特に先日の記事に付け足すことはないような…もしご希望あれば感想くらいは書きますけど、なければスルーで(最近の逃げるときの言い訳)。

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今日は自分のためにもメモしておきたい、この先のNHK-BSプレミアムの看板番組(え)、プレミアムシアター放送予定です。以下スケジュールだけ。



●4月15日(月)【14日(日)深夜】午前0時20分~午前4時20分

・リッカルド・シャイー指揮 ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団演奏会
・パーヴォ・ヤルヴィ指揮 パリ管弦楽団演奏会

シャイーのマーラー、実はDVDだと第二、第八がリリースされてますね、第四が今月末に発売予定。だから今回放送される第五番もきっと、その流れでリリースされる、んじゃないかな(弱気)。
この秋に来日するパーヴォは「春の祭典」をメインに据えた、フランスものと言ってもよさそうなプログラムです。




●4月22日(月)【21日(日)深夜】午前0時~午前4時

・マドリード・レアル劇場公演 フィリップ・グラス:歌劇「パーフェクト・アメリカン」
・フェニーチェ歌劇場公演 シェーンベルク:歌劇「今日から明日まで」

グラスの新作が示す「完璧なアメリカ人」はウォルト・ディズニー。前に何処かの配信で見ようと思ったら「日本はダメなんだよごめんね~」(意訳)と出たものだったので、この放送はちょっと嬉しい。
フェニーチェ歌劇場のシェーンベルクはエリアフ・インバル指揮です。

●5月13日(月)【12日(日)深夜】午前0時~午前4時20分

・ロイヤル・コンセルトヘボウ 創立125周年記念ガラ
・ドキュメンタリー「カルロス・クライバー ~ロスト・トゥー・ザ・ワールド~」
・ドキュメンタリー「目的地なきシュプール ~指揮者カルロス・クライバー~」

コンセルトヘボウのガラなら、三人の存命の指揮者で分け合えばいいのに、なんて嫌味は言いませんよ(言ったから、いま)。
カルロス・クライバーのドキュメンタリはYouTubeでも見られますけど、字幕がほしかったから(あたりまえだ)再放送は助かります。

●5月20日(月)【19日(日)深夜】午前0時~午前4時

・ドキュメンタリー「カラヤン ~ザ・セカンド・ライフ~(仮題)」
・パリ・オペラコミック公演 笈田ヨシ演出の歌劇「真珠採り」

カラヤンのドキュメンタリ。ううん、切り口が気になりますよね、大きい人だけに。
ビゼーの歌劇、なかなか見られない演目なので助かります。また、オペラコミークでの上演というのもポイント、ですね。

●5月27日(月)【26日(日)深夜】午前0時20分~午前4時30分

・バーデン・バーデン復活祭音楽祭公演 歌劇「魔笛」
・ベルリン・フィル ジルヴェスター・コンサート2011

後者は録画環境になったからようやく録れます(笑)。前者の「魔笛」、こちらはTwitterでベルリン・フィルがブログの更新などお知らせしてくれるたびに「すみません!デジタル・コンサートホールに加入できない貧民ですみません!」と思っていた演目なので(号泣)助かります。本当に…

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そもそもさあ、何のために収録チームに入ってるのかって話よ。なぜか収録から一定時間をおいて、でないと放送されないライヴはなにか意味があるのかね。え?

とか、居丈高に難癖をつけたくなることもありますが、私は元気です!(それ違う)このひと月分の放送で何ヶ月か暮らせてしまいそうだわ、ほくほく(口で言うんか)。あ、そうそう。新装されたあの番組、まだ見ていないのでコメントなしです。ただ、思うんですけど、日曜の夜は競合が多いんじゃないかなあ、そこで放送交響楽団アワー(仮名)はやっていけるのかどうか…いや見もしないで言及はいけませんな、わっはっは。

ということで、自分メモ兼告知のようなもの、以上であります。さらばっ。

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追記。ありそうだな、と思って探したらありましたよシャイー&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団他によるマーラーのトレイラー。ここには第八番を貼っておきますね、なかなか良い感じ。


2013年3月31日日曜日

聴いてみました、佐村河内守:交響曲第一番



こんにちは。千葉です。

さあて、早くまとめようと思っているうちに今日このタイミングですよ。ということで、先ほどTwitterでも書きましたがNHKスペシャルは録画であとで見ます。でないと、この文章の意味がなくなりますわ、遅筆を反省。

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さて。佐村河内守の交響曲第一番”HIROSHIMA”を聴いてみた。先日は全曲の東京初演も行われ、なんでも全国での演奏会ツアーも行われるそうだし、何より以前この作品についての(いや他の話も多いんだけど)著作も読んでいるので、聴いてみたく思う気持ちはあったのだ、テレビどうこうは抜きにして。

っていうかすみません、前にNHKで放送されたそうな作曲者のドキュメンタリは見てないんだ。音を聴く前にその「作品」に関する「物語」から入るのはどうも、それなりに長く音楽を聴いてきた一愛好家としては抵抗がございまして(笑)。ちなみに、と別の例に触れようかと思ったけど自重します。
嗚呼もうほんっと厭ですわ、こんなに言い訳をしないと新作ひとつ聴けなくって?(笑)

まあ、あるんですよいろいろと。ドキュメンタリで有名になったピアニストにどう向き合うべきか、とか(現状はスルーで)、コンクールウィナーをどう聴くか(特定の誰かではなく、個性以前にキャリアだけが飛び交うから苦手)とか、社会の役に立つ活動の一環だったり、とかね。
そういうのはいいから、まず音を聴かせてくれないか?それが千葉の希望なんだけど、そういう「物語」つきのものはすぐにビジネスになりますからね、商いとしては上手くいくのでしょうけれど、千葉はなかなか手を出す気にならんわけでして。

でもこれは聴いた。聴いた以上は何か書いておくべきでしょう、いま書いたような言い訳は一時置いて。っていうか、いつもグダグダと言いたいことを言っているのに、メジャーなところで紹介されるからって怯んでいられます?せめてそこで畏れをなさない程度の矜恃も持ち合わせないでどうします?(笑)

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佐村河内守の交響曲第一番は、三楽章からなる一時間以上、この盤で81分半もの大作。それを一口でどうこう言うのは難しい。と、書いたその手ですぐさま逆のことを一言で書きましょう、これは我々、クラシック音楽を聴くものは、というか交響曲を聴くものは知っている類の音楽である、と。

まず前者から軽く説明しましょう。この作品について一口で言いにくいのは、この作品が本当に長いことがまずひとつ。どの楽章を取っても20分程度はある(この盤で最短の楽章は第一楽章、19'58)。演奏時間だけなら、なにもブライアンを持ち出すまでもなくブルックナーやマーラーだって相当なものです、20世紀初頭までに先行する多くの作品があります。そしてそれらの作品は一定の敬遠された時代を経て、しかしこれまでの演奏史の中で数多くの試みがあり、一定の理解を伴う受容がなされている。それに対してこの作品、完成から10年、全曲初演からわずか3年しか経っていないのです。であれば、聴きては自ずと手探りにならざるを得ない。※そしてもちろん、この作品の副題が示唆する重さ、作曲者自身の境遇も気軽な聴取を許してくれない、ような気がする。それ故のとっつきにくさ、踏み込みにくさがここにはある、間違いなく。

※コメントで示される、また彼の生涯の「物語」を通じて暗に明に示されるベートーヴェンの「闇から光へ」みたいな図式、わかりやすいしドキュメンタリはそういうプロットありきで描かれる場合が多いですが(繰り返しますが千葉未見)、ここではその「物語」はあまり考慮しません。もちろん、作曲家自身のコメントまでを無視しようとは思いませんけれど(あとで触れますし)、まずは音を聴くべき、ではないかと。

だがしかし、と言わざるを得ないのです。長大な作品をめぐるその手探りの中で、しかしいわゆるクラシック聴きであれば否応なく既視感を感じることでしょう、これは「あれ」ではないか?という引っかかりを、本当に何度も。
全体を見渡せば長大なシンフォニーだから、というだけではなくブルックナー(切実すぎる救済への希求)、マーラー(音楽による劇、ドラマとしての交響曲)を想起するし、部分を取れば数限りない先行者たちが脳裏を過ることでしょう、ベルリオーズ、リストに(畑違いにはなるけれどワーグナーも。特に「パルジファル」から派生した諸々の作品群)、シェーンベルクにベルク、そしてショスタコーヴィチなどなど。だから、聴き慣れていない、知られていないしまだ道筋も把握できていない曲なのだけれど、この音楽を我々は知っている、そんな矛盾した感覚に囚われるわけですよ。

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そういった、類似する先行作が思い当たることをもっていいの悪いのというつもりはないんです、別に。先行する作品の影響は20世紀の折衷的な作品の数々、いわゆるポストモダン的経験の参照、ネオロマン主義などなどを考慮すれば、類似の作品はいくらでも挙げられましょうし。
ただ、彼の場合はその手法がいわゆるアイディアや意匠、そういったある種の20世紀的開き直り(笑)で選ばれたものではなさそうなだけに(著作等からの憶測、でしかありませぬが)、正直なところ扱いに困ると申しましょうか…いわゆる現代の作品として、被らざるを得ない「屈折」を、特殊な事情で回避できてしまっていることが、どうにもその作品に言及するときの話者のスタンスを不安定にするんですよ。素朴に音についてだけでは話せない、というようなひっかかりが何を言っても残る、というか。
更にそこに、広島(いや、より普遍化されたHIROSHIMAか。そしてそれは作曲者の生い立ちと重ね合わせられるもの、でもある)が加わってしまうともう、言及すべき対象の過積載と申しましょうか…

作曲者により各楽章につけられたコメントとして、第一楽章「運命」、第二楽章「絶望」、そして第三楽章「希望」というのがあります。なるほど、と思わなくもないし、その性格付けはひとつのガイドともなるでしょう、楽章間で曲調はかなり異なりますし。主題をライトモティーフ的に使うことで楽章をつないではいるのだけれど、個々の楽章のキャラクタが明確に違うので、そのガイドだけで十分に一貫して聴こえるかどうかは、微妙。なにせ長い曲ですし、これまで書いたとおり、サウンド的にはパッチワーク感も否めないから。正直に言って耳慣れない音楽ゆえ、主題に基づく展開にそこまで気がいってないだけ、かもしれないのだけれど。だって、フィナーレでコラール主題を金管が鳴らしたあとにフーガに突入されたら誰だってブルックナーだと思いますって。そのあとにパウゼで区切られたコーダが始まったらマーラーを思い出すじゃん!…そういう本筋じゃない部分に気を取られること、ありますよね(絶望先生かよ)。

こんなふうに考えてしまうと結論は出ない、だからいまの結論はこうなってしまう。千葉は今、この時点でこの曲をどう受け取ればいいのかよくわからない。重厚長大な作品であり、メッセージ性も明確だ。だがしかし、これは「現代」の作品としてありなのか、いわゆるクラシックの範疇に入るものなのか。題材的に近いところにあるといってもいいのだろう、ジョン・アダムズのオペラ及び交響曲の「ドクター・アトミック」などとも併せて聴きこみ、かつ考えていかないと、何も言えない。無念。

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さて演奏の話。千葉は、大友直人氏の新しい作品に積極的に取り組む姿勢、それらを手際良く聴かせる指揮者としての手腕を高く評価するものです。かつてホルストの組曲「惑星」に付与する形でコリン・マシューズにより作曲された「冥王星」を加えて録音したことは、その先進性を示す好例でしょう。数多くの日本初演を務めているのは伊達ではない、と感じます。
その実力や手腕を評価するのと同時に、そのまとめ上手故の突き抜けの薄さを感じないでもない。上手なんです、とても。ただ時に、そこにあってほしい、ある種の行きすぎたところがないのは、物足りなさとして感じられるところがある、というか。リファレンスとしてなら理想的かもしれない、でもそこに演奏者の強い意志はあまり感じない、とでも言いましょうか。よく言えばかなり強いバランス感覚と客観性がある。その美点は認めた上での、好みの話です。

演奏する東京交響楽団は、今でこそ「スダーンのオーケストラ」として安定して高い評価を受けているけれど、かつては秋山、大友両氏の地味な実力者(不躾ですみません)イメージと完全に重なるオーケストラでした。オペラもできて(大所帯の東京フィルと分け合う形で新国立劇場のピットに入ってます)、もちろんシンフォニーコンサートも多彩なプログラムが魅力的、さらには子供向けコンサートなどのアウトリーチ活動も行っている。首都圏で活動するオーケストラの中でもこの上ない優等生なんですけど、今ひとつ突き抜けるものがない、というか。なんか私、酷いこと言ってますねさっきから(笑)。
だからバランスを取るのに持ち上げるわけじゃありませんが、今の東京交響楽団はただの優等生ではありません。スダーンのモーツァルトを初めて聴いたときに感じた、和声的響きに対する明確な意識とそれを実現するだけの技術は完全に身について自然なものとなり、さらにシェフとはキャラクタの異なる指揮者を招いたときの反応の良さもまた素晴らしい。キタエンコの巨大な「レニングラード」では輪郭強めの厳しい音に完全に変貌してみせましたし、スダーンの後にもジョナサン・ノットやクシシュトフ・ウルバンスキなど優秀なマエストロたちとともにいい演奏を続けてくれることでしょう。

そんな大友直人&東京交響楽団の録音ですから、千葉はちょっとだけの食い足りなさを感じながらも、素直に拍手したいと思います。新しい作品、知られていない作品をちゃんと音にすること、演奏者によってわかって(理解、共感を持たれて)演奏されることが新作にどれだけ大事かわかっている彼らの、きちょうめんな演奏がこの作品の演奏史冒頭にあることは幸いなことです。信用できる演奏で作品が知られること、大いに価値あることと思いますので。

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東京初演は録音と同じ大友氏の指揮で、オーケストラはラザレフとの長い九州ツアーを終えた日本フィルとのものでした。ネットで探った反応は千葉に近い割りきれなさそうに思えるものから(まだリニューアルオープンから日が浅い東京芸術劇場コンサートホールの音響への戸惑いもあったように思う)、手放しの大絶賛まであったのだけれど、正直なところどんな演奏だったのかあたりがつかない。むむむ。
そして次なるツアーでは、金聖響氏が演奏されるとか(大阪、横浜、熊本、広島)※。千葉は聴けそうな気がしないのだけれど(無念)、数多く演奏されることで演奏するサイドも聴く側もこなれてきて、そのうちに千葉もうまく受け取れる日が来る、かもしれない。そう期待したい…

※他の会場ではもうお一人が演奏することになるらしい、です。今後の発表はリンク先でご確認ください。

ということで。今日の番組には背を向けて(笑)なんとかまとめましたが結論は非常に煮え切らないものに。いやはや、同時代人がはっきりモノを言うのは難しいんだわ…(たぶん、その逃げ方間違ってる)

以上あまり参考にならない千葉はこう聴いたよ、というお話でした。ではまた。




交響曲に室内楽、そして吹奏楽も書かれてますね。気になります。