2013年4月16日火曜日

見かけの印象と違う、熱いマエストロでした

こんにちは。千葉です。

なんというか、続くんですよねこういう時は。洋の東西で、こういう時に出てくるフレーズが違うことには意味がある、という話をずっと考えているけどまだまとまらないのでその話はもう少し先に。

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◆Sir Colin Davis 1927-2013
(ロンドン交響楽団の追悼サイト)

サー・コリン・デイヴィス、85歳にて亡くなられました。合掌。

千葉が偏愛するマーラーやショスタコーヴィチ、20世紀フランス音楽が中心的なレパートリィではないためにこれまで多く言及することはありませんでしたが、このマエストロに多くを負っている、という自覚が千葉には抜きがたくあります。

それはもう20年以上前のこと(年をとるわけだ←以後使用しません、飽きました)、1992年のシュターツカペレ・ドレスデン来日公演は仙台にも来たんですよ。プログラムはベートーヴェンの交響曲第六番とブラームスの交響曲第一番。
その当時の自分にはそれほど興味深いプログラムではない、今ならその重さも少しは想像できるけれど。そして指揮者は当時バーンスタインとラトル、あと何人かしか聴いていなかった千葉にはそれほど馴染みのない、「ベルリオーズのスペシャリスト」なる正体不明のキャッチコピー※で評価されていた、サー・コリン・デイヴィス。白髪でにこやかなジャケット写真とあいまって、正直な話演奏を聴くまではイメージ、なかったんですよ。当時はもう、アンドリュー・デイヴィスとの区別もついていないくらいで。

※ベルリオーズの作品を多く、知名度の低い作品まで網羅的に録音したことでそう呼ばれたのはわからなくもない、でもこの作曲家はそういうくくりを許すような人、でしたかねえ。状況を把握した今、あえてそういう呼称をつけさせていただくなら「ベルリオーズ・ルネサンスの立役者」、が適切ではないかと。「スペシャリスト」と称される演奏家を見出すほどにはこの作曲家は発見されていないように思うのです。っていうか、スペシャリストとは何を指すのかねと当時のコメントをつけた人を虐めてあげたいわ。

そう、見た感じ通りの穏健な英国紳士なのかなあ、なんて思っていました、演奏会のその日まで。その程度の認識でも、そう安くもない演奏会に行ったのは、間違いなく名手ペーター・ダムの存在故、でした。二曲共に乗り番ならありがたい、もし片方でも十分にホルンの見せ場はあるだろう。本当にその程度、仙台で外来オケを聴く機会は本当に少なかったから、その程度でも十分なモティヴェーションになったのです。

で。聴いて驚きましたねえ、このマエストロの演奏。実直?穏健?ナニソレって感じでしたあ、小細工なしのド直球、あえて単純に申しますなら熱血、でしたねえ。小細工がないがゆえの清々しさは相当のもので、オーケストラの音色とあいまって熱量は高いのにしつこくならない素敵な演奏でした。

当時の千葉は著名な音楽家の実演を聴くたびに認識が改まっちゃう状態でしたから(笑)、この時も当然目からウロコ、先入観という名の梁をまたひとつ外せましたのよ。その末に今、なので、それでよかったのかどうかは不明ですが、千葉に大きく影響した音楽家の一人であることは間違いありません。

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そして後年、ロンドン交響楽団との来日公演、サントリーホールで聴いたシベリウスの交響曲第五番、そしてそのアンコールに演奏されたエルガーの「ニムロッド」、これはすでに変わったあとの(すれちゃった、くらいに取ってくださいね)千葉をして、目から水が出る素晴らしい演奏でした。あれは2004年か、ふむ(何かを飲み込んだ)。

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正直な話、セッション録音ではこのマエストロの持つ熱はあまり伝わらないように思うし、ではライヴだったら大丈夫かというとそうも言えない。それにもう書いたとおり、千葉はこのマエストロの録音に傾倒したような時期はない。だから録音を聴いて思い出を偲ぼうとは考えていないのだけれど、千葉には大きく影響したマエストロの大往生の報に触れて、こんなことを思いましたわ。いま一度、合掌。

ではまた。


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