2013年5月30日木曜日

ハイ注意して~、今日でスキャンダラスな初演から100年目なのは…

こんにちは。千葉です。

ちょっとこっちでも書かなければならない時事ネタがありそうです。

◆下村氏、財源確保にカジノ活用 文化懇話会で

こういうニュース、虚心に読むたびになんというか、教育というのがおこぼれとして定義されているのだな、との認識を確認してしまい、いささか抑えがたい怒りを感じてしまいます。教育を国の未来をつくるための長期的投資として引き受ける覚悟がないのみならず、よりにもよって、合法的賭博の上がりの分だけハイカルチャーの存在を許す国になろうとは。

そんなに財源と事業が紐付いているべきだというのなら、その対照表をすべての事業について示してから始めてはいかがですか?

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でもその話はまた別途。書くならこっちのブログです、政治の話ではあるけど。

今日はそれよりこっちでしょう、100年前のこの日にシャンゼリゼ劇場で初演されたバレエ「春の祭典」の話。そう、バレエ、ってのが重要なところで。演奏会での初演は悪名高いスキャンダルとはまったく無縁に、バレエの上演から後に平穏無事に行われているのです。

この事実から想定されるのは、「実はハルサイは音楽としてはそんなに突飛な存在ではなかった」という可能性です。実際、バレエ・リュッスの作品群を、そしてその周辺の作品についても併せ考えてみればそこまで極端な存在とは言い難い。口で言っているだけだとなかなか問題がはっきりしないのでひとつ演奏でも。そうねえ、これとかどうなんだろう。毎度おなじみAVROさまの全曲配信です。





あとで聴いたら感想は書きます。ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン、ちょっとアンソニー・ホプキンスに見えますね(おい)。
もちろん、今の私たちはこの曲について程度の多寡はあってもよく知っているから驚かないだけ、かもしれない。千葉は正直、初演から100年が経っても「現代音楽」と称されてしまうことには正直辟易しているのだけれど(笑)、独唱や合唱なしでもステージを埋め尽くすオーケストラが紡ぐこの音楽はまあ、充分に衝撃的なものではありえます。ジャンルを超えた影響を後世に与えたこともむべなるかな、と。これがなかったらヴァレーズの作品とかもなかったんでしょうしねえ…

なお、動画を貼っておいてあれなんですが、この曲、まずは実演で聴かれることを推奨します。如何に名演の動画でも、刺激的な名録音でもこの曲の多面性を「体験」するには足りないので。

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さて。ではそのスキャンダルを招いた要素をバレエに求めるとしましょう、それはいったいどのようなものだったのか。

せっかくの記念日だから(最近も使ったフレーズ)、禁を破ってちょっと微妙な動画を貼っておきましょう、復元されたニジンスキー版のバレエ「春の祭典」です。



同じバレエ・リュッスの作品でも、たとえば当時は最高にエキゾチックな踊りとして受容されたミハイル・フォーキンの振付は今見るともはや完全にクラシックに近い。同じストラヴィンスキーの音楽によるバレエでも、「火の鳥」(筋書きはロマンティックなものですしね)や「ペトルーシュカ」(よりパントマイム的身振りが印象的、コンパクトだけど劇的ですね)が大好評だったのは「エキゾチックな音楽&美術」と「比較的見慣れた振付」の組合せの妙だったのかなあ…とか、思ってしまわなくもない。あ、その二作の動画は貼りませんよ?(YouTubeにはあるようですけどね、フルサイズで…)

こうして100年前のスキャンダルを巻き起こしたバレエを見てみると、しみじみと思うのが「これはバレエって言うより、ダンサーという”動くオブジェ”による空間造形だなあ」ということです。バレエ・リュッス以前にはそれこそ美しくいかがわしき花舞台(笑)でもあったバレエ、たったの数年でここまで連れだされてしまっちゃあそりゃあブーイングのひとつもでるかな、と。山岸凉子先生が拾った「歯でも痛いのか!」、よくわかります(笑)。

おそらく、よりモダンな舞踊に触れている方にはもう普通の舞台なのでしょう、千葉にとってストラヴィンスキーの音楽がそこまで特権的なものではないように。っていうかあれなのかな、同じニジンスキーのバレエでも「牧神の午後」(1912)のほうがより「新しい」ものだった、のかなあ。ほんとうは舞踊の系譜からもこの作品を捉え直す方向でまとめられたらいいのだけれど明らかにそれは千葉の任じゃない、門外漢の妄想はこの辺で。

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ということで。その登場から100年も経っているんだから、いつまでも「斬新!新鮮!」とは言ってられないんじゃないのかなあ、とか千葉は思うわけです。
ならせっかくの記念日なんだから黙ってスルーしろよ!と思われるかもしれませぬ。えへへ、千葉はですね、性格悪くもこの記念日を、20世紀のある時期までの作品を「ゲンダイオンガク」扱いすることから開放するために使えないかなって厭らしく考えているのです(笑)。
というのも、音楽のハルサイはそんなに音響的には特別じゃない、舞台の方はより特別ではないかもしれない。この作品をしてマイルストーンとしているのは、後の時代からは第一次世界大戦前夜とも言えるのだろう1913年に、最高にスキャンダラスなバレエの初演のエピソードによって登場したこと、その出自に起因するのだよ。とか、言っちゃってもいいんじゃないのかなあ、とか思ったりもしなくないこともなくなくてよ。

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とまあ、天邪鬼になりたくもなりますわよ、こんなにこの作品ばかりが取り沙汰されているのを見ると(笑)。ただでも同年の目玉の新作だったはずの、「春の祭典」のわずか二週間前に初演されたドビュッシー作曲ニジンスキー振付の「遊戯」なんて当時も今も空気なのに!(笑)※

おそらくバレエの文脈からも、音楽の文脈からも今なお多くが汲み出せるだろうバレエ「春の祭典」(こだわります、ってかここ重要)の初演100年をあまり率直ではない形でお祝いさせていただきました。とりあえずはここまで、ではまた。ああそうそう、「日付変わっとるやないか!なにが「今日」じゃこら」などのご意見もあるかと存じますが、欧州との時差を鑑みてアディショナルタイム内の更新と判定させていただきましたことをここにご報告します。ではっ(脱兎)。

※寝て起きて、ひとつ思いつきました。もしかして「遊戯」が不発だったから、「春の祭典」で不満が爆発したのでは?という、いわば合わせ技スキャンダル。まあ、ただの憶測なんですけどねえ(笑)



さ、参考にしてくれてもよくなくなくてよ。

2013年5月22日水曜日

せっかくの記念日なので。

こんにちは。千葉です。

なんというか、ここ最近あまりにもきな臭い。そういう話はちゃんと書かないと、と思うがゆえに書きにくいのだけれど、インターネット閲覧履歴保存の義務化(テロ対策?意味不明ですわね)とか、児童ポルノ規制の動きとか(本当に人権を侵害されている子たちの保護につながる施策から進めないである種の「焚書」からはじめる発想が理解できない)、政権の正気を疑わせることが多すぎる。そしてそれに対して普通の批判すらされていないように見える。さあこの国の明日はどっちだ!(自棄気味)

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何もそこから話をつなげるつもりはございません、いくら話題の人が政治的に難しいからといって(笑)。ええ、本日はリヒャルト・ワーグナーの生誕200年、まさにその日なのですね。おめでとうございます、とまずは言祝ぎ申し上げますわ。

だからなんですね、今週の月曜、火曜の深夜に「BS世界のドキュメンタリー」で「ワーグナーとわたし」※が放送されたのは。リポータのスティーヴン・フライがユダヤ人のワグネリアンである、ということがよく伝わる番組でしたわ。っていうか、それ以上のことはなかったような…まあ、一般向けの紹介、情報番組だと思えばあれでいいのでしょう、結論を押し付けないどころか彼個人の見解すら示さなかったのにはさすがに拍子抜けしましたが。

※原題「Wagner and I」をそのまま訳せばこうなりますわね。ユダヤ人の、と邦題に追加したのは結果ミスリードだと思う。実際の番組はそこまでは踏み込まないで、ワーグナーとその受容をめぐって「問題が存在すること」までを紹介するものなのに、この一言で過剰な意味付けをしてしまうことになっていたのではないかな。とか、少しそっち方向を期待した千葉は思うのさ。

かくいう千葉は、残念ながらワグネリアンを称することはできませぬ。
なによりあの、台本がちょっと。同年生まれのオペラの巨匠として今年はどこでも並べて言及されるだろうヴェルディを引き合いに出すまでもなく説明的にすぎる導入(逆にイタリア・オペラは端折り過ぎだと思われるかもしれませんが、それを流れの中で見せるのも技だと思うんだ)、そして時代の癖なのだろうけれど超越願望がストレートにかなってしまう展開、どうにも好きになれませんで。
そこにいわゆる「思想」が絡むともうどうにもこうにも。もちろん、同時代の思潮から積極的に多くを得て、彼独自に統合されたものに、なにか独特なものがあるのを認めないわけじゃない。でもあれはアマチュアでしょうよ、思想という観点からは。切り口として見るぶんにはいいでしょうし、そこから読みをふくらませるのは当然アリです、でもその「思想」なるものがあるから、ともちあげるのはちょっと違うかなと。なにせ革命家としてもかなりご都合的パッチワーク的思想の信奉者だったようですから、そこで彼を評価してしまうのは正直どうかと。反ユダヤがどうこう、以前の問題なんです。もちろんそれは良いものだと思わないし(ベックメッサーがはじめ「ハンスリッカー」なる名前で想定されていた、という話にはドン引きしました)、ナチス的なものとの親和性の高さも否定できない(利用されたからどうこう、ということ以上に志向の方向において影響してしまっているかなと)。でもそれ以前、思想そのものとして、それほどのものじゃあない。

でもねえ、音楽は素晴らしいと思うんだ。何も自分の楽器が存分に活躍するから、ってだけの理由ではなく。オペラ時代の、後年のものに比べればまだ軽やかな作品も悪くないし(「オランダ人」では飛び抜けたものはあまりないように思うけれど、充分に劇的な音楽だと思います)、オペラの総決算二作、そして楽劇、神聖舞台祝祭劇へと展開していく音楽の、とくにその響きには感服いたしますわ。とくに「トリスタンとイゾルデ」、そして「パルジファル」に惹かれるのはドビュッシーからの逆影響、なのでしょうね(笑)。それにその昔は「なんかずっと同じメロディやってるよね」と思っていた「ニュルンベルクのマイスタージンガー」も(子供の頃は本気でそう思っていた。あはははは)。

ほんとうは、台本も音楽も一人の作者によるテクストなのだから、こういう区分は本質的にムリなのかもしれない、とも思うのだけれど、千葉はどうしても「台本作家」と「作曲家」、両方を同じようには好きになれる気がしませぬ。っていうか前者、嫌い(笑)。信頼できる台本作家と組んで仕事ができる人だったらよかったのに(ええ、ムリだとわかっていますが)。

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まあ、それでも好悪抜きで、聴いていいものだとは思うんすよワーグナーさん(偉そう)。千葉にとってはいわゆるヒストリカルの、まさにこの作曲家に余計な意味が付与されまくったいわくつきの時代に活躍したマエストロたちを知る縁にもなってくれましたし(今でもヒストリカルのベートーヴェン、モーツァルトは苦手です)。特にもフルトヴェングラーのこの盤、今日聴くのに一枚選ぶならこれですねえ…



でもまあなんですか、もしこれから聴こうかな、と思われている方にいきなり「じゃあCD4枚分、聴いてみて」ってのはどうかなって思うので、適当な動画でもないかなってYouTubeで探してみたら、いやはや今は全曲をアップロードしている人たちが多いんですねえ…真面目な話、「wagner (作品名)」で検索して見てくださいな、あまりにも大量にあるので紹介するのをあきらめちゃいました(笑)。探せばこの盤もあるんじゃないかなあ(あえてぼんやり)。

個人的には正直、全曲から入るのは苦行に過ぎると思っております。自分の導入がメータ&NYPによるリングの抜粋だったせいもあるんでしょうけど。序曲集とか抜粋の中でも、例えばマゼールによる「言葉のないリング」とか雰囲気を知るのにはいいと思います、さっきの検索にも大量に出てきましたし(あえてリンクはしませんよ)。
でも個人的な好みでは、ノリントン&ロンドン・クラシカル・プレイヤーズによる序曲がなかなか、この作曲家観を変えてくれるいいものだと思います。いわゆる「古楽器」、千葉が言うところの同時代アプローチによって示される当時の(ものに近い可能性がある)サウンドは、なかなか軽やかで歌ともぶつからないものに思えます。まあ、当時の音でも歌には相当に負担のかかるものだったのでしょうけれど(笑)。

さてこれから夜にかけて楽劇をひとつ流すと日付が変わりかねないところではありますが(晩御飯等のロスタイムを考慮した)、たまにはってことで「トリスタンとイゾルデ」でも聴いてみましょう。最後までたどりつけるといいなあ…では本日はこれにて。


2013年5月19日日曜日

公共放送さん、F1やりませんか?(記事とタイトルは関係ありません

こんにちは。千葉です。

またこんなに間が開いたよ!どうなってんだよ自分!
…すみません、最近イヤホンだとちょっと聴き疲れるようになってきてしまって、以前のやり方でガンガン聴いてガンガン書くのは正直なところ難しいのです。テレビ用にも使えるような、それほどのお値段じゃないヘッドホンでも買わないといけないな、と思ってはいるのですが、いかんせん先立つモノが…

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そんな状況でも日々は過ぎ、録画された番組や見た動画などは増える一方です。「クラシック倶楽部」なんかうっかり録画すると大変ですね、ちなみに明朝は庄司紗矢香ヴァイオリン・リサイタルですよ。「見たら消せばいいか~」とか思っていたはずなのに、見たら見たで「あれこれは資料的価値あるかな」「意外にいい演奏!完全版で見せやがれ」(無礼ですみません)とか思ってしまって。おかげさまで最近は週末のたびにダビングや見て消す番組の選択、些細な量にしかならないけどCMのカットなどにいそしむ羽目に陥っております。録画生活、怖い(笑)。



庄司紗矢香のベートーヴェンも完結間近なんですね、そういえば。日本人ヴァイオリニスト仲間の(緩いくくり、っていうかもっとちゃんとした協力関係にあるよね彼ら)樫本大進とほぼ同時期にソナタの全集ができあがるのかな、なかなか数奇なものです。

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さてさて先日ご紹介した5月末までのNHK BSプレミアムの看板番組(しつこい)にして千葉のHDDを圧迫する(笑)番組、プレミアムシアターの6月(正確には7月1日まで)の予定が出ていましたのでさくっとご紹介。

…と思ったんですけど、残念ながら千葉の嗜好に鑑みますとご紹介さし上げるのはこの期間、一回だけになってしまいます。クラシカル・クロスオーバーの良さがイマイチわからない(6/9深夜放送分)ので僭越すぎてご紹介する気にはなれない、バレエは好きだけどつっこんだ話はほぼできない(6/30深夜放送分、クラシック音楽に近いジャンルの舞台芸術として、少なくない傑作を共有するジャンルとして機会があれば見ては来ましたが、その程度でどうこういうのもはばかられる)。というわけで、こちらの公演だけ、さくっと。


●6月24日(月)【23日(日)深夜】午前0時~午前4時

・ベルリン・フィル ヨーロッパ・コンサート2013・イン・プラハ
・五嶋みどり&ズービン・メータ指揮 ミュンヘン・フィル演奏会

前半のラトル指揮ベルリン・フィルによる恒例ヨーロッパ・コンサート、今年はプラハ城での演奏会。奥方でいらっしゃるコジェナーとの共演、そして「今の」彼らのベートーヴェンはなかなか興味深いところです。そうか、ウィーンとの録音は21世紀最初の全集って言ってたんだから、もう新盤を出してもいいのかもなあ、集大成として。しみじみ。

後半のコンサートはあれですね、オケの公演なのになぜ「ソリスト&指揮者 オーケストラ」の順で書かれているんだろう、というのが最初に気になりますがツッコみませんよ(と書くことでツッコんでしまう、不思議!)。
たしかに。ブラームス、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲はちょっと中プロにするには重すぎる、でもメインにするならリハとか主導権とか(笑)幾多の制約の中で失敗が許されない、困難な状況が現れちゃう。まあ、その困難をクリアできそうなソリスト&指揮者の交流、そしてオーケストラとの協調がこの演奏会ならありうる!と思ったのでしょう、きっと。五嶋みどり&ズービン・メータは録音も少なくない組合せだし、ブラームスを軸にしたコンサートでミュンヘン・フィルがいい仕事をしないわけがない。そう思いたいな(笑)。
なお。個人的にはまさにその中プロ、今年没後50年を迎えたパウル・ヒンデミットの交響曲「画家マチス」の演奏映像が一番の楽しみだったりします!オペラとしては、かなり地味めな政治劇なのでちょっとまだ掴めないでいる「画家マチス」だけれど、交響曲の方はもうけっこう長いつきあいなのでこの映像は喜ばしいかぎり。作曲家とミュンヘンのつながりはあまりないような気がしなくもありませんが、ここは虚心に好演を期待します。ってもう演奏は終わっているし、評判もその気さえあれば調べはつくのだけれど。

なお、今晩はカラヤンのドキュメンタリー&ビゼー「真珠採り」の二本立てですよ。ビゼーは合唱がアクサントゥスなんですね、よく見たら。これも期待しましょう…


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さて追加でもういっちょ。最近、向こうのブログでは「オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史」で何度か言及した、週日24:00から放送されているBS1の看板番組(しつこいなあもう)、「BS世界のドキュメンタリー」ですが、明日明後日とクラシック音楽のお題です。「ワーグナーとユダヤ人のわたし」というタイトルには、バーンスタインが制作したドキュメンタリーのことを思わせる部分もありますので、ちゃんと見る予定ですよ。

ということで公共放送文化部門の回し者のようなご案内はこれにて終了。ではまた、今度は近いうちに!(笑)


2013年5月3日金曜日

ラトル&BPhの教育プログラムも10年ですね

こんにちは。千葉です。

向こうに書く記事がまとまらないのでこれだけは今日のうちに書いておきたい。

あのう、2006年に国会で福島第一原発の潜在的危険を指摘されながら特段なんの対策も取らなかった当時の総理が、あの事故のあとに再び同じ任にある事自体が理解できないのに、いま彼が他国に対して「世界一安全な原発技術を輸出」云々言っているのは、何かの不条理ジョークですか?

あの人とその周辺の多幸症、ユーフォリアを止められなければ大変なことになる、その程度の想定は誰でもできましょうに、どうしてそもそも問題を指摘する者もなく、諌める者もなく好き放題の放言を繰り返すのか。それを許しているのは何なのか。これを考えないでいることは難しい。というか、放置したら取り返しのつかないことになる。オリンピックが開催できなくなった場合に敗北の責任者に指名されるだろう彼の言動なんて、それに比べたらかわいらしいものですよ。

え?あれはいい振舞いだと思っていらっしゃるのですか?積極的支持?それなら是非、積極的支持を言葉にして残してくださいな、他所との比較じゃなくて、ね。

ああもう、言葉にするとこうなるのはわかっているのだけれど、黙っているわけにもいかないと思うもので。有効性のロジックで考えるなら、何かの行動が求められるところ、なのだけれど。

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さて辛気くさい話は一休み。っていうか次にこういうのを書くのは向こうのブログ、です。

今日ご紹介したかったのはこちら、ベルリン・フィルがまたしても動画を無料公開しております。

◆ベルリン・フィル教育プログラム スペシャル映像

映画でご存知の(ということにしておきます)あのダンスプロジェクトも今年で10周年。

あの映画、今の文化軽視が流行っているこのお国では見直されるべきものじゃないかと思うんだけど、どうですかね。ラトルが言うところの「芸術は嗜好品じゃない、空気と同じでなくてはならないものなんだ」、その思いなしに、我々は文化を切り捨てる風潮に対峙できないと思うのだけれど。

それはさておき、今年は再び「春の祭典」とブリテンの「ノアの洪水」を取り上げたのだとか。記念年ずくし、ですね(笑)。先ほどのリンクから、ブリテンの抜粋が3分ほど見られます。これはなあ、全曲見たいなあ…(貧民の嘆き節は以下割愛)

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これだけだとあまりお得じゃないので(笑)、期間はわからないのだけれど彼らの新譜がフルサイズで聴けるとあるサイトをご紹介。オランダの放送局「Radio 4」ってのは気持ちのいい太っ腹さを示してくれまして。期間限定、トラックごとに切れる設定ではあるのだけれど、新譜全曲を聴けます。そこにいま、ラトル&BPhの「春の祭典」ほかのアルバムが入ってます。期間限定・終了時期を知らないもので、なるはやでお聴きくださいませ、とのみ(笑)。リンクはこちらから。

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いま読んでいる本が、ポピュラー音楽方面からラジオやレコードの影響について検討しているものだから、なにかいろいろ考えてしまいそうになりますが、今日のところはこれにて。ごきげんよう。


2013年5月2日木曜日

不在の動画日記~五月最初の日

こんにちは。千葉です。

こっちでは重たい話題は書きませんよ~、っていうか、別に書きたいわけじゃないんだよなあ…
だけど、時代の相がどうのこうの、とか書きながら自分の時代を無視して生きているのは問題がありましょうよ、それに沈黙はそのまま白紙委任になっちゃうんだろうし。めんどくさいなあ…

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それはそれとして。今日は本来なら、一昨年くらいまでの恒例、ショスタコーヴィチの交響曲第三番を動画で紹介できるといいかなって思って探していたのです。最近の企画趣意にも合うし、何より音だけじゃなくて演奏している映像があれば、この独特な曲も受け取りやすいんじゃないかな、と以前から思っていましたので。
いわゆる交響曲らしい形式なしの、場面が次々と展開していく合唱付きの交響曲、しかも歌詞は全開のプロパガンダ(笑)。これはねえ、音だけで聴いてるとまずは「何だこりゃ」と思いますよ普通。しかししかし、実は歌詞がつくとさらに珍妙になるという衝撃の事実もあるわけで。それこそ「森の歌」を字幕付きで演奏されると否応なくスターリン時代の歴史認識に驚愕しますからねえ…

最近では公式の動画配信も増えてきた、とはいってもこの曲の場合まず演奏機会が少ない、であれば配信どころか過去のテレビ放送の記憶もいささか曖昧だ(昔テレビで見て、友人が「こういうの(政治的な歌詞)嫌いだなあ」って言ったことがあった、ような気がするんだけど…)。残念ながら今のところ、YouTubeで探してもニコニコ動画で探してもコンサート映像は見つけられない。残念。

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音だけならまあ、こんなにあるみたいなのに残念なことだわ…あのオケが演奏してくれたら、きっと配信してくれるのだけれど(ということで次回へ引き)。

もはやメーデーの形骸化が限界を超えてしまったように思える本日はこの辺で。ごきげんよう。




生誕100年を超えて、入手しやすいのがけっきょくこれ、ってのは後退じゃないのかね、と思わなくもない。まさかキタエンコの全集も入手しにくくなるとは。他に「メジャー」な全集もないとは。むむむむむ。