2013年7月23日火曜日

国家主義の祭典(笑)かと思いきや

こんにちは。千葉です。

先般選挙がありましたね(周知の事実)。まあ、ああなるだろうと覚悟していたのである意味切り替えができつつあるのですが、最悪に近い事態だろうなと認識しております。このブログの切り口だと「文化行政の財源にカジノを」とか言っているところが継続して制度を作り行政を運用していくわけですな、ということになりましょうか。私らの好きなクラシック音楽はあれですわ、持て余したお札を燃やして土間で靴を探すような扱いを受けるわけです、これからも。そこに対しての戦いもしていかないといけない、ということですね、ふむ。

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こんなタイミングで昨晩、NHKのBSプレミアムシアターで「ベルリンとウィーン、二大オーケストラ夏祭り」が放送されました。先日紹介していたあれですが、まあこれが、なんというか凄いタイミングで。

紹介した時点ではあまり考えていなかったことなのですが、あの選挙の直後に聴かされるベートーヴェンのいわゆる第九は、なんとも言えない、というか相当に切実なものでありました。さらには、そのあとにヴェルディとワーグナー、19世紀のナショナリズムと強く結びついた作曲家によるコンサートが続くんですもん、率直に言って重すぎますよ、結果として読めてしまう「含意」が。たぶん編成上は偶然なんでしょうし、先ほど書いたとおりのシンプルな企画なのだろうと思う、でも非常に、間が悪い。

メンデルスゾーンはほとんど聴けなかったのでベートーヴェンから聴いた次第なのですが。聴き始めてしばらくは、こんなにささくれだった気分でこの演奏を最後まで聴く必要があるのか、まるでショスタコーヴィチを聴くモードじゃないかとかなりぐらつき、第一楽章の間は迷い苦しみました、あちょっとこう書くと大げさだけど。オーケストラはおそらくアカデミーの若手を多めに入れた倍管の、いわばお祭り編成とでも言えそうなもので若干ミスも少なからぬ状態だし(RHYTHM IS IT!のオーケストラに近いと言えばおわかりいただけますかしら)、まあいつものように後で録画を見ればいいかと思ったりもいたしました。

ですが演奏自体が、そして暮れていく晴天のヴァルトビューネが美しいことで最後まで演奏を楽しませていただきました。別にベートーヴェンだから闘争と勝利の物語を読み取らないといけないこともないでしょうけど、今は妙にそんなプロットが心に響きましたわ、なにか方向を指し示されたような気がして。しみじみ。

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でね。後半のウィーン・フィルの方なんだけど。まさかの雨天に低音と、野外イヴェントには最悪(明らかに会場が温まってない、いろんな意味で)の状況。そこにアイーダトランペットを空間的に配置したり合唱がない分を補うように思える編曲したりと繰り出されるマゼールの奇手はどうも滑り気味(録音のせいもありそうだったけれど、荒天のためもあって場内が沸かない)。全部見たら印象が変わるかもしれないけど(さすがに二、三曲聴いて寝ました)、あの演出込みで、シェーンブルン宮殿コンサートへの評価は、微妙。

加えて、これは個人的な懸念なのだけれど、このオーケストラはいま、どうなんですかね。いやこれは話が大きくなるか、しばらく転がしてみます…

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後半の意外な寒さ(笑)のおかげさまで、懸念していたような国家主義的高揚感から疎外されるどころか、実に普通にいつもどおりに演奏を聴いて判断することができましたわ。そう、こういう評価と含意の読みは別に切り分けて行わないとね…と、近年別ジャンルの「批評」がかってな見立て読みになっていて、それが主流であるようになっている現状をちらっと想起しつつ自戒しておりますです。読みは読みで示してもいいけど、まずはどう受け取ったかを示さないとね!

でもいい音楽を聴いたからと言っても、現実にかなりまずい状況が出来しつつあるという認識は変わらない。何ができるのか考えると相当に大変なのだけれど、少しずつきちんと考えていこうかと心構えを新たにしている今日でありました。ふわっふわな感触しかまだないんですけど(笑)。では本日の駄弁はこのへんで。ごきげんよう。

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