2014年3月4日火曜日

サム氏の冒険(と言っても20世紀オリエンタリズム的な、それ)について(前編)

こんにちは。千葉です。

ここ最近の沈黙の間に、まああれやこれやといろいろなことが起こるものです。それら話題の中でもこっちに向いていて、しかも大きいお題だと思えるもの二つのうち、ひとつは今日公開しますし、もうひとつは近日公開です。これだけ不定期更新になった状況で「乞うご期待」と言える鉄面皮の持ち合わせはないので(どこかの首相とは違って、人間のクズとは呼ばれたくない系小心者です、私)、興味ある方も期待しないでお待ちください(笑)。

*************

さて今日のサザエさんは、じゃなくて(千葉は永井一郎さんを悼んで「めぐりあい宇宙」を見ました。昔原作は読んだけれど、あの番組見てないもので)。

ご存知のとおり21世紀最大の(ヒット)クラシック作品と扱われてきた佐村河内守の交響曲第一番、そして彼の諸作品が、虚構的なほどの「美談に彩られた奇跡的な作品である」のではなく、美談から苦悩の障害と戦う天才作曲家物語そのものが虚構だったわけだけれど、さて。ということについてです。まあ、出来事自体はひとことで言って「ニッチジャンルでの栄華を夢見た、変わり者の詐欺師」、ですね。それ以上になるのかどうなのか。
なお、後編で書きますようにそれなりに以前からいちおうの注目をしていたことに免じて、コメントするのが遅れたことについてはご容赦くださいませな。この文章、おそらくこの件が話題になってから見かけた誰かさんの受け売りによる後出しジャンケンはしていない、と思いますので。それにどこかで見かけたライターさんのように「胡散臭いからシカトしてた、私は地雷を踏まなかった」とか誇ったりもしませんから(前から怪訝な見方をしていたライターさんだったけど、今回ので以後一切信用しないことに決めた)。

ではそろそろ本題へ、伴いまして以後彼氏は名前が長いので、ここではサム氏と表記します、彼らのユニットおよびそれで商いをされていた皆さんの総称として※。この件全体は千葉にとってはあくまでも「サム氏」の事件、サム氏騒動でしかないという読みもありますし。実際に作曲された人のことはN氏、ということで(星新一リスペクトだったのか、ならS氏じゃないんか)。

※サム氏からにせよN氏からにせよ、この告白前に「知っていた」という人があとどれくらい出てくるかわからないのだけれど(お一人、N氏サイドから直接聞いていたと告白された方がいらっしゃるのは認識しています、その人に絡んでる人がいたけど、それはなんのつもりだったのかな…)。
この商いの座組まで含めちゃうのは言いすぎだと思われるかもしれません、けれど。正直な話「まったく騙されていた!」という関係者はちょっと純にすぎるのではないかな、と…ここまで「美談」を何重にもコートして売られていた商品が、微塵の疑問もなしに存在し得ると思うのは、どうなの。奇跡を信じられるお年ごろだったのかしら(嫌味)。
なおこの統一感のないネーミング。すみません、この前、劇場版「スタードライバー」を見たばっかりなものでつい(イカ刺しか!…たしかに、ある意味冒険者だけどさ、この人も。オリエンタリズム全開の、山師が未開の地を往くような意味で、ですけど)。

まあなんですか、この顛末について個人的な感慨は小林信彦「怪物がめざめる夜」(1993)までは行かなかったか、ということに尽きるんです。微妙に古い感じの小説なのでご存じない方も多いかもしれませんけれど、嘘で作り上げたキャラクタが暴走して天下とっちゃうお話、あってほしくない方向への「あれよあれよ感」とでも言えそうな、しかし業界に通じた作者ならではのリアリティゆえの低速度暴走展開が見事な小説ですので興味のある方はぜひ。


え?虚構と現実を一緒くたにするな、ですか?でもねえ、そもそも今回のお話、嘘だったわけですし。
なんというか、最近は「嘘っぽい話だけど、まさかそんな見え見えな手は使わんでしょ」的な出来事、けっこうあるんですよね。大雪りばぁねっと(名称の小さい「ぁ」がすっごくムカつく)とかもそうだけど。やり口に一面の真理すらないただの美談ごっこ、幅を利かせてるんすよ。もっと言えば言論弾圧やら情報統制やらに注力する政府なんかもそうだけどさ。サム氏の話なんかにこんなに騒いでいられるほど、我が国はまともな状態なのかねと憂国の情を発することしばし、であります。まあ、そういう話は向こうのブログででも。そろそろ絶句から回復しますので。

*************

週刊誌報道が出る直前まで続いたサム氏の快進撃の、リミッタとなった要素を挙げるなら「サム氏が全聾である」というコミュニケーションをあらかじめ限定する「設定」(作品をベースにビジネスは展開できても、それ以上の発信力は持ちようがない。はずだ)、彼らの仕掛けの虚構性(いわゆる現代音楽として認められようとしながら、エピソードを過剰に乗せてアウトサイダー・アート扱いすれすれを狙いこんだかのような。これは正面からの批判を回避させるうまい手ではある、実際後述するけれど千葉の反応もそうとうに歯切れが悪いのだ)、エスカレーションを楽しんだりしない/できないスタッフ(ビジネスチームがどうかは知らないけれど、N氏の良心は本物なのだと思いたい)、あとは美談をそれ以上の「何か」につなげる仕組みの不在(擬似宗教くらいにならなれたかもしれない、あの調子だったら)。それになにより目的が功名だけ(ここ重要)と思われること、くらいでしょうか。

ちょっと考えてみてくださいな、いまどき現代音楽でここまでの大ヒットを想定するハイリスク・ハイリターンな、というか「結果に対する期待値が、可能性に対して異常に高い」詐欺師はそうおりますまい。しかしおそらくは望外といえるだろうことに、2007年に本が出てから初演までの時間を雌伏の時(仕込みの時、かもしれない)としても、初演の成功からCDのヒット、そしてあれやこれやに至るサム氏の活躍はまさに破竹の勢い、そしてその成功は短くもない期間にわたって続きました。普通にやってればこれだけの大作、話題にしていた一部の人達が思っていたように、初演される可能性さえ低かったと千葉は思うよ。その話はおいおいしますけど。

本題に戻りましょう、現代音楽としてはそう望めないほどの成功ののちに、さらに多くの美談、チャリティ的活動があっても、それはサム氏を止めたりしなかった。というかそんな要素は彼らのビジネスをより大きくしていくアクセルになった。交響曲にいくら注力していたにせよ、長年の彫琢あっての交響曲の後に次々と曲を出したのはまあ、ブラームスの例がなくはないから※ビミョウではあるけれど、さすがに多様な曲風が求められたのだろうサントラはやり過ぎだ、とか冷静な判断はなかったのかな。ううん。ああ、でもサム氏のスタートはゲームのサントラだったからいいのかな。むむむ。

※もちろん、交響曲の作曲こそ長い時間をかけたけれど、その間ヨハネス青年はがんがん曲を書いて自ら演奏して、と活躍されていた職業作曲家なわけだから、ここで名前を挙げたのは単に「ひとつめの交響曲という高いハードルに立ち向かった先達」という繋がりからにすぎませぬ(サム氏の場合、「作品」がこの先どう扱われることになるのかはまだ微妙だけど)。こんなとこで引き合いに出されて気分を害された方、ごめんなさい。

そんなわけで、いわゆる「事件」をこんな風に「けっきょくあれはなんだったのさ」と少しだけ時系を踏まえて見てくると、「いい話やべえ」ということくらいしかこの件から一般性のある教訓は得られそうもない、というのが現実でございます。いやはや。

にしても。詐欺師だとわかったにせよ、個人史を漁るの、ほどほどにしないと後が大変だと思うんですけどいいのかなマスコミさんは…そういう覗き見趣味、あたしは感心しませんよ?

*************

いろいろ書いていたらずいぶんと長くなってしまったので、ここまでを前編として先行して公開しておきます。後編では「では千葉はどうだったっけ?いつ何でどんな風に知った?これをどう聴いていた?」というのを検証してみますよ。それくらいしか同時代人の特権はないのですから、シカトした自慢なんかしてちゃイカンのです(笑)。次は早めに更新しますね、ではまた。


 

0 件のコメント:

コメントを投稿