2016年2月26日金曜日

書きました:開幕直前・30分でわかる!新国立劇場 ヤナーチェク「イェヌーファ」

こんにちは。千葉です。

もう終わろうとする今月の、そのヤナーチェク月間たる所以のところである(くどい)、新国立劇場の「イェヌーファ」が間もなく開幕です。28日からです。

そんなわけで、その直前特集を書きましたよ。文章はもちろん千葉のオリジナルですが、影響を大きく受けたミラン・クンデラのヤナーチェク観は抜きがたいし、そして日本ヤナーチェク友の会様が出版されている対訳本は大いに参照していることをお断りさせていただきます。


今回、千葉は稽古始めから何度か取材させていただいているため、どこまで書いたものか若干迷いがありまして。考えに考えて、今回の落とし所は「掟の門前」までとなりました、マックス・ブロートつながりでカフカにつなげてみました、とは言いませんが。これだけのプロダクションとなると、幕が開く前にすべてのネタを割るのはあまりにも惜しいと思いまして。そんなわけで、演出については初日が開いてから詳しく書かせていただきます。現時点では「グラミー賞で小澤征爾のライヴァルだった舞台は伊達じゃないんです」とのみ、申し上げておきましょう。

証拠ということもないんですが、グラミー賞の公式サイトより。
映像と音声と、同じ土俵なんですねこの賞は。

ことヤナーチェクについてはクンデラに影響されまくった千葉としては、ヤナーチェクをちゃんと彼が生きたその時代に置いて、その上で彼の「遅れてきた出世作」を受容してほしいなと心から願っております。千葉の文章がいささかなりともその手助けになれば幸いです。

なお、今回「イェヌーファ」について書かせてもらっていることの数々は、私的に行っている「100年も前の作品を”現代”音楽っていうのやめようよ」キャンペーンの一環でもあります。これはたぶん「春の祭典」の話などでも書いたと思いますがテーゼはシンプル、「せめて、WWI前の作品についてはやめましょうよ現代っていうの」というものであります。ほんとうはWWII前にしたいところだけれど、それだとけっこう自分にも厳しくなるので基準を緩くしています(笑)。

「これがいいものだということだけはわかっている、それなのに100年も咀嚼できていない」残念さを口惜しがるだけの矜持は持ちましょうぜ、くらいの軽い気持ちで皆さまもぜひご参加ください。しかしながら、もちろんこの煽りはこのように申し上げる自分にもそのまま跳ね返るものであります、ご注意くださいませ。がんばろっと。

さて、「月間」とまで言いながらブログの更新がお留守な千葉に対しては「おい自分」と後ろからどついてあげたくなりますが、本日はさらに昨日のイヴェントのレポートと、全力のオススメをこちらに書きますよ。今回の「イェヌーファ」、音楽面からも最高にオススメできる上演になりそうですので。

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25日の14時から、新国立劇場オペラパレスでいわゆる公開ゲネプロとして、「イェヌーファ」の舞台稽古見学会が開催されました。千葉も勇んで伺いまして、より一層のオススメをせんと決意するに至った次第なのでありました。


 
新国立劇場入口前の看板は「イェヌーファ」モードになっています。
なお、3月6日からは「サロメ」の再演、指揮はダン・エッティンガー。
東京交響楽団との顔合わせはなにか新鮮ですね。

オーケストラなどが開催する「公開リハーサル」ならば必要に応じて演奏を止めて、本番の公演に向けて仕上げていくさまを見るわけだけれど、この日のこれは「公開ゲネプロ」。なので、演奏や舞台転換の深刻なトラブルでもなければ途中で止めることもなければやり直しもなし。実際、この日やり直した感があったのは最後のカーテンコールだけ、でしょうか(笑)。
にしても、この前伺った「魔笛」の初日も拍手が微妙だったし(ザラストロは研鑽をやめない存在であることを示すためか、最後の歓喜から離れて読書して終わる舞台なので、ちゃんと音楽は終わったのに拍手が止まってしまった)、最近こういうケースによく当たるのはなんなんだろう…


この日のスケジュールはこちら。昼公演の場合このスケジュールで進行すると思われますので、
「全三幕を休憩二回はさんで上演、17時前後に終演」と見ていただけばよいかと。3時間程度です。


それはさておき、ですよ。前述のとおり、舞台についてはリリース済みのDVDを観てもらうこともできますが、今回の日本での上演について千葉が全力でオススメしたいのはトマーシュ・ハヌスの指揮、そして東京交響楽団の演奏ですよ。今月、書く時間こそ作れなかったもののヤナーチェクを大量に聴いてきた千葉ですが、これほどまでに目から鱗が落ちるとは。この日感じたインパクトをあえて高調子に、過去の自分に向けて礫を投げつけるように申しますと、「ヤナーチェクのオペラを知らないで、彼の音楽がどうこう言ってても不毛」となります。それくらいの衝撃なんです。
過去の経験を振り返ってみれば、これは”ジョン・アダムズの「ニクソン・イン・チャイナ」をMETライブビューイングで見た時の感覚”に近いかな、と個人的には思います。あれはオペラを一見したことで、それまでよくわかっていなかったミニマル音楽の表現手法がわかったように感じましたし、その後多くの映画でサウンドトラックを手掛けるハンス・ジマー的なものの源流がここだったことも理解できましたし。それに負けないくらい、今回はエウレカ感があります。

本題に戻りましょう。ドラマの中で発揮されるヤナーチェク音楽のパワーはもう、ただ音を聴いているだけではわかりにくい部分だな、と感じました。オーケストラやピアノ曲、室内楽では作曲上の特徴と感じられていた繰返しの多さも、ドラマの中では明確な表現として伝わってくるんですよこれ。クンデラがヤナーチェクを評して、一般的な「表現主義」とは違う、”表現に必要な音だけで音楽が構成されている”表現主義なんだ、としていたことも理解ですよ。全三幕、まったくムダがない。だから聴く方も体力いります(笑)。

もっとも、そのように作曲されているから効果が十分に上がってくれる、というならこれまでにも上演されている「イェヌーファ」はもっと人気があってもおかしくないはず。レコーディングだって少なくないわけですし。では何が違うのか。

まず考えられるべき今回の上演のキャストでしょう。シュテヴァ役のジャンルカ・ザンピエーリを除けばベルリンでのキャストが来ているわけなのですから、ある意味聴く前からお墨付きです。このことはもちろん、作品の持つ力をより強く伝えてくれています。それに「ザンピエーリが初役をきっちり作ってきた」というのは取材の中で伺いました(とはいえ、シュテヴァ役って、上手く歌っても演じても扱いが微妙になりそうですけどね…個人的にはこの役に、「外に逃げられないピンカートン」を感じています)。なお個人的にはですね、ブリヤ家のおばあさん役の歌うハンナ・シュヴァルツ、存在感がさすがすぎて頭が下がりました。ヴェテラン凄いです。
(なお、メインの役どころの話は幕が開いた後で書きます。「いいです!」くらいなら今の時点でも言えますが(それこそ聴く前からわかっていましたからね)、せっかくの名歌手たちをゲネプロで判断してしまうのも惜しいですから)

しかしながら、千葉がこれだけ認識を改めるに至ったのはキャストのこなれ具合以上に、なによりピットから聴こえるオーケストラの音によるものです。こんなに多彩で、ドラマの中で機能する音楽なのかと随所で思わされっぱなしですよ。凄いです。
東京交響楽団は、かつて舞台上演・コンサート形式とりまぜていくつかのヤナーチェクのオペラを演奏してきた、もしかすると世界的にも数少ないだろう「ヤナーチェク・オーケストラ」なんですよね(詳しくはリンク先参照のこと。スダーン、そしてノットとの仕事で印象が変わりつつありますけれど、東京交響楽団は数多くの日本初演をその昔から務めてきた進取のオーケストラであることを再認識できます)。充実した音楽がピットから常に聴こえてくることの快楽たるや。
細かく書いていくとすっごく長くなるので(記憶のままに書いたら読むのに一時間はかかっちゃう←書く方は何時間かかるかわからない)、一箇所だけ印象に残った部分を挙げるならば第三幕の大詰め、コステルニチカの告白のあと、イェヌーファが養母の罪を受けいれて赦す場面ですね。「神々の黄昏」でブリュンヒルデが登場する場面にも似た威厳ある雰囲気の中、聴こえてくるオーケストラの音がヤナーチェク自身が演奏した楽器であるところのオルガンの音だったのは、もう圧巻でした。随所に見られる室内楽的な部分も見事で、それはもう感心いたしました。

でもでも、千葉が信頼する東京交響楽団が如何にヤナーチェクに慣れていると言ってもそれだけでここまでの達成に至るはずもなく。上記記事中にも書きましたが、この作品を知りつくしているからこそ効率よくしかも濃厚なリハーサルを行えた指揮者、トマーシュ・ハヌスはきっと、今回の上演を聴かれた方は忘れない名前になることでしょう。彼がオケからこの音を引き出したことは、今回の上演を成功に導く大きい要素となることでしょう。
ちょっとだけ舞台が眩しかったのと(この舞台はほとんどが”白い部屋”で展開されます)、あまりにも音楽が良かったのでこの日はピットに目をやる時間も多かったのですが、オケのドライヴも、歌手へのキュー出しも実に巧みで。作品が彼の手の内にあることはオーケストラ・リハーサルでしたたかに理解していましたが、ここまで見事に舞台をリードされるといまさらながらに「オペラ指揮者」という仕事への尊敬がいや増します。素晴らしい。伊達にバイエルンに呼ばれてない。

もう千葉は覚えましたよ、トマーシュ・ハヌス。ぜひ今後も東響の指揮台に来て、ヤナーチェクとかマルティヌーとかガンガン振っていただきたい。ドヴォルザークでもスメタナでもいいけど。もっと他のレパートリィでももちろんいいですけど。
ちなみに彼のFacebookページはこちらになります、興味のある方はご覧あれ。

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なお、この作品が成立からプラハ初演に至るまでに紆余曲折あって、楽譜が複数の種類存在することはこの作品に少し詳しい方ならご存知でしょう。ブルノで何度か上演される中でも改訂は行われていて、初演から1911年までは上演のたびにヤナーチェクが自ら手を入れています。コヴァジョヴィツに対するミラン・クンデラの呪いの言葉の数々は、前に紹介した「裏切られた遺言」をお読みいただければそれはもう。
ただ、先日上映された「白いたてがみのライオン」では、「プラハ初演の成功にすっかり気を良くしてコヴァジョヴィツを褒めたりするヤナーチェク」像が描かれていましたので、意外と本人は気にしてなかった、のかもしれません(もっとも、ヤナーチェク没後にコヴァジョヴィツ側から「編曲の分著作権ありますよね」的な申し出があったらしく、遺族はたいへんお冠だった、とは何かの本で読みました)。

今回の上演では、1908年版をベースに1911年の演奏譜を参照して「ヤナーチェク自身が手を入れた最終稿」として出版されているウニヴェルザール・エディションを使用しています。オーケストラとのリハーサルを見学した際にお借りしたヴォーカルスコアの中表紙がその証拠だ!(なくてもいいよねその証拠)


ちなみに英語訳にENOでおなじみのエドワード・ダウンズが関わってるのは納得ですね。ふむ。
そしてサー・チャールズ・マッケラスとジョン・ティレルの名が並ぶ表紙を見ていると、マッケラスによるヤナーチェクのオペラBOXがほしくなりますね……(Amazonだと見つからないけど店頭ではまだ見かけるので、塔とかお犬様とか見ればあるかもです。前に見かけた時のお値段はたしか、8,000円程度だったかな…←その金額が出せない奴)

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以上とりとめなく長く書きましたが、結論は一つ、最高の「イェヌーファ」を体験したかったら28日から新国立劇場に行かれるとよろしい、です。「イェヌーファ」プラハ初演から100年目のことしに見られ聴かれるべき良い舞台ですから。

とはいえ、これだけの舞台でも、もしかすると「抽象的な舞台では、戯曲の作者がスロヴァーツコ地方を舞台にした意味が薄れるのでは」なんて思われちゃうかもしれませんが、作品の持つドラマは存分に表現された、良い演出だと思いますよ。登場人物たちの立ち位置(文字通りの意味です)、特に壁や出入り口との距離あたりを注意してみると面白いのではないかと。

…公開ゲネプロからの帰り道、聴いたばかりの音を忘れたくなくて反芻しているうち、リハーサル中にハヌスが先ほど挙げたイェヌーファの赦しの場面について「ここは指揮をしていても泣いてしまいそうになるんだ。それまでとは完全に違う雰囲気で演奏しよう」とオケに語りかけていたことを思い出しました。しみじみ。
無事本公演が成功しますよう、心の底よりお祈りさせていただき、この長い文章はおしまいです。ではまた。


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