2016年7月27日水曜日

もしかして、ですが~フェスタサマーミューザ オープニングコンサート

こんにちは。千葉です。

なんと言いますか、梅雨が明けないと楽器を吹くタイミングが掴めなくてちょっと困ります(屋外で、川っペリで吹いているから)。いやだいぶ困ります。この前こんな記事を見かけたからなおさら楽器が吹きたいのに、というのは冗談ですけど。練習しないと単純に下手になっちゃってつまらないですからね…

*************

それはさておき、聴いたコンサートの感想をば。単体で記事化できそうもないものはこうして残しますね、特にも現在第三シーズン絶賛コンプリート中のノット&東響の公演でしたので。

●フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2016 東京交響楽団オープニングコンサート
  ※リンクはフェスティヴァルのトップに貼ってます。毎日更新される情報があって楽しいのでぜひ御覧くださいませ

2016年7月23日(土) 15:00開演 ミューザ川崎シンフォニーホール

指揮:ジョナサン・ノット
管弦楽:東京交響楽団

ヴィラ=ロボス:ニューヨーク・スカイライン・メロディ(1939)
アイヴズ:ニューイングランドの三つの場所(1929)
ベートーヴェン:交響曲第六番 ヘ長調 Op.68 「田園」

プログラムについては、ノット本人がインタビューで解題してくれていますので、そちらをお読みいただくのがよろしいかと。いつも記事の方でしているような深読みをするのもいいですけど、今回は素直にそのまま、取材も予習もしないでただ演奏を楽しんできました。素晴らしかったです。

とすっとぼけから入りましたが、例によって刺激的な演奏はぼんやり受け身でいてはもったいないものでした、ちょーっとあれこれと書いておきます。もしかすると第三シーズンの中でもひとつのマイルストーンを超えたかも、という演奏会でもありましたし。

*************

「よろこび=歓喜」をテーマにしたとノット自身が語るプログラムは、例によって素朴なものではない。当日会場で配布されたプログラムでは「風景」をキィにこのプログラムを読み解いていたけれど、あえてさらに別の読みを示すならば時代を超えて示される「居場所」だろうか。
ニューヨークの摩天楼の形をそのまま方眼紙に書きとって音符へと変換したというヴィラ=ロボス作品、そして自らの居場所をコラージュで描き出すアイヴス、そして近隣の田舎への小旅行に託して様々な心情を描くベートーヴェン。ある場所に居ることで喚起される感情をそれぞれの手法で描いた作品を集めたプログラム、と読めなくもない。ような。

前半の作品に馴染みのあるお客さまはほとんどいらっしゃらなかったでしょう、千葉も実演は初でした(録音だって、ヴィラ=ロボスは手持ちがないし、アイヴスもそう回数を聴いているわけではない)。でもこの日の演奏が最高に楽しいものだったことは聴いた人誰もが同意してくれるはず。…いや、耳慣れない響きに戸惑われた方も多かったと思います言い過ぎましたごめんなさい(笑)。

千葉はですね、ヴィラ=ロボスは音楽的には捉えきれないままに終わられてしまった感じがあります。三分程度の作品で聴きにくくはないけれど、「どんな感じ」と掴む前に次の曲へ。ここでアタッカにできなかったのはまあ、いいんじゃないでしょうか、お祭りですし。今回は昨年11月ほどコンセプトを周知したわけでもないので。

で、アイヴスの作品ですが、考えてみても実演で聴いた記憶がない。もしかすると「答えのない質問」くらいは聴いているかもしれないのだけれど、強い印象は残っていない。けれど、この日の演奏は違いましたねえ。ミューザの音の、独特の解像度の高さも相まって空間的にも楽しい演奏となったのは好印象でした。東京交響楽団の音程の良さ(気が抜けた音がするようなことがない、位の意味です)もあって、アイヴスの音楽的コラージュの破壊力がそのままに伝わることの楽しさたるや。.第二楽章のマーチの乱入には吹き出しそうになりましたし(我慢しましたよ!ほんとうです!)、第三楽章の高揚には「キューブリックは”2001年”にこれを使うべきだったな」と感じておりました。オルガンをも交えた大編成、弦セクションを分割して創りだされる精緻なカオス、こればっかりは録音で聴いてもつかめないものです。

いやあ、このプログラムがフェスタ一回しかないのがほんとうに惜しい(それもあって、予習もできない状態から無理やり聴きに行きましたよ)。
ですがこういう時はジョースター卿に倣って逆に考えましょう(おい)、「もしかするとまだ予定されていなかった公演が、フェスティヴァルのおかげで実現した、と考えるんだ」と。これはもしかして、本来はもう少し先に予定されていたベートーヴェンへの本格着手の、その第一歩なんじゃないのかな、と。ベートーヴェンの全集が完成した後に、「あれは前奏曲だったのだ」と思い返される公演だったのでは、とコンサートから日が経つにつれて千葉には感じられてきました。

今回演奏された「田園」、よくも悪くも名曲すぎてその前時代的な標題音楽であることの風変わりな性格や、音楽の仕掛けの多さがどこか見逃されがちである、ようにノット&東響の演奏の後では思えてしまう。前の時代の標題音楽に、そして後の時代の「アルプス交響曲」にもつながる内面的ドラマを描く作品であることがわかってしまった後に、普通の泰西名曲としてこの作品が聴けましょうや(反語)。
ただねえ、今回本当に予習も取材もなかったもので、細部についてはいま書くのが難しいんです。先日ブルックナーの記事で書いた「楽譜の読みに支えられた、しかし融通無碍なアプローチを方法論的にまとめるのは難しい」というノットの演奏評価は本心です。演奏を聴いている間、「ああこんな音に」「そんな繋ぎか」「なんというバランス」「この内声!!!」とか随所で驚き、笑い、つい空を見て涙目になったりと実に忙しく楽しく演奏を聴きました。いわゆる「田園」、いわゆる「運命」に負けない新しい音楽だったんですねえ……

*************

音楽監督として、ジョナサン・ノットはオーケストラを信頼する一方で課題を出していくのだ、という話を団の方から伺ったことがあります。その課題を受けて団員各位が考え、試し、そして成果を出してきたから今の東京交響楽団の好調がある。
その経緯を見てきたから、と偉そうに申し上げるのではありませんけれど、先日のブルックナーの名演は到達点ではなく次の段階の入口を開くものだった。そういう評価になりそうな、そんな予感がしています。

おそらくは東京交響楽団は先日のベートーヴェンで新たな課題をノットから渡されて、これからのノット不在の演奏会の数々の中でそれを消化して、10月にはまた一回り踏み込んだ演奏を行ってくれる。その日はもうそう遠くない、というのはこの前の記事に書きましたけれど、きっと聴き手の私たち以上にオーケストラの皆さんがその時間のなさを感じていらっしゃるはず。
しかし、以前「ノット監督の指示は他の演奏でも活きるもので、それを消化すれば間違いなくオーケストラが成長すると確信している」とも団の皆さんが語っていらした、東響の積極性は信じるに足るものです。必ずや一回り深化した「ノット&東響」になって、欧州ツアーを成功させることでございましょう。嗚呼今から10月定期の取材が楽しみです。…その間に何回も伺いますけどね!(笑)

まずは、今度の定期かな…(いま切り口製作中。ポポフの交響曲第一番、割と面白く紹介できそうです←珍しく自画自賛←まだ書いてないくせに)などと考えつつ、本日はここまで。ではまた、ごきげんよう。

0 件のコメント:

コメントを投稿